2012年1月5日。時計を見たら、一時過ぎとる。午前中だと思っていたのに。
年が明けてもう五日目。この調子で時間が過ぎていくと、365日なんてあっという間なのは、年の初めから見えているではないか。なぜ、毎年末、えー?もう師走?なんていいながらおどろいたりするのかね。

昨年末は母方の叔父が亡くなり、大晦日は通夜。2011年は一年を通じて死、ばっかり。
去年の今頃は、インドのバンガロールでカラリパヤットのデジタルアーカイブを作っていた。用意してくれたフラットから事務所まで歩いて二十分ほどの距離を毎日せっせと往復していたのだけれど、周囲はキリスト教イスラム教ヒンズー教の墓場に囲まれていて、途中、どうしてもヒンズー教徒の墓場をぬけていかなければならなかったのである。なんどか棺桶を担いだ一群とすれちがい、新しい墓が増え古い墓が朽ちていくのを毎日ながめた。二十代の頃、葬儀屋のバイトをしていたことを思い出し、つくづく俺は死に縁があるのだな・・・と、普段そういう縁やら業やらといったようなことを真に受けない自分が自然とそういうことを思ったのにおどろいたし、業にからみとられて身動きが出来ない閉塞感みたいなものを感じて、年頭から大分がっかり・・・
そして、大震災である。テレビでは百人千人万人単位の死が毎日報道されているのをみた。有名無名のひとたちの死を一年中ききつづけた。

初っぱなから、とってもくらい話ばかりしててもしようがないので、あかるいはなしをしよう。
・・・ない。

あ、一月二日、思い立って水戸の実家から母の赤いマーチにのって、六号国道をただただ北上してみた。途中うちの奥さんを助手席に乗せた。小名浜あたりの津波の被害をみながらとにかく北へ行ってみた。だんだん道が閑散としてきて、唐突に管理区域20キロ圏内へのゲートが現れた。気がついたらJヴィレッジの入り口付近だった。そそくさと引き返してきた。引き返す途中、日が暮れてきて気がついたが、三十キロ圏内くらいの民家には明かりがともっていなかった。街には誰もいない。
北に行こうとしたら道がつながっている限りどこまでも行けるはずなのにいけなかったです。

・・・あかるくない。

実家では、ずーっとお酒を飲んでは寝ておせちを食っては寝てお餅を食っては寝て・・・を繰り返す。久しぶりな気がする。去年がインドだったからか。一昨年の正月は白鳥を見に千波湖へいったんだった。

昨夜は、ケイコさんの紹介で連絡を取ってきたフランスからのお客さんで超イケメンバックパッカーのGaetan君とうちの奥さんと三人で思い出横町で飲んで歌舞伎町あたりをうろうろしてカラオケまで。終電で帰宅。

本年は宜しくお願いします。

メイ
IMG_4574.JPG

オイ
IMG_4547.JPG

家族ゲーム
IMG_4575.jpg


2011年、おわり - MATSUO MEMO

| No Comments | No TrackBacks

・・・一年を振り返ろうと思ったんですが、長くなるのでやめます。
さようなら。おやすみなさい。

IMG_4482.jpg

IMG_4335.jpg

2011年12月 - MATSUO MEMO

| No Comments | No TrackBacks

もう、あと二週間ほどで今年も終わりではないか。
あーびっくりした。

ことしは世の中でいろいろなことがあって、俺の中でも4000回ほど真理を悟ってはすっかり忘れるというようなことを日々繰り返し(いやもしかしたら五億年ボタンを4000回ほど押したかもしれないけど・・・)、そして記録に関しては昼飯の写真や面白街角スナップなどをツイッターにあげるなどに終始して、ほとんど残してこなかった。
激動の2011年をこのような形でスルーしつづけ自己の怠惰な生活の些事にのみ拘泥し、社会にたいしてなんのお役にも立てなかったことについては、慚愧に堪えません。
同じく激動の年だったと言われる1989年、1995年に、当時とおっさんになった今では不安の種類は違えども、大いなる不安を抱えつつもとりあえずビールの缶を開けて俺はただ身の回りの日常をやりすごしていたのである。
スルーする能力いわゆるスルー力に関しては、誰にも負けません。

ツイッターにばかりあーとかうーとか暇にまかせて無駄口をだらだら垂れ流していてどうにもこうにもここでの無駄口の垂れ流し方を忘れてしまったので、うまくいかん。
いまついさっき思ったことだけでも書いておく。
四十年生きてきてやっとわかったのだが、おれは、自分の問題を解決する事より人様の問題を解決する事の方が得意だしやる気も出る。そして、まさに俺の問題の中心は、人様の問題を解決するという自分にとって最も得意なことが、十分に達成出来ていないという問題なのであった。ということに、人生で何度目になるか忘れたが、思い至った。
なるほどー。どうしよう・・・。

ところで、去年の今頃はインドへ行く直前で、バタバタとしていた。そんでクリスマスと正月をバンガロールで迎えたのであった。
インドの真ん中で「来年こそは大いなる躍進の年にしたい」と強く願いながら、いろいろなんだかんだ抱負やら目標やらを考えたのだったけれど、たぶん何一つ実現はしていない。たぶん、というのは、すでに考えた内容の一つとして思い出せないからである。
来年は、ちゃんと紙とか石とかココとかに書いておくことにしよう。


5648428769_6e216c9527_b.jpg

5649343172_08f873dede_b.jpg

6339205531_d551a12f40_b.jpg

11月10日、になって四十分ほど過ぎたところ。
6日のあさ、?昼過ぎてたか?に帰国。
五日の日記。朝十一時チェックアウトだったので、朝十時半にチェックアウトして電車とバスを乗り継いでテーゲル空港へ。早く着きすぎてしまったのである。早く着きたかったのであるけれど。なぜなら、早めにチェックインして土産などを買おうと思っていたのである。しかし、チェックインして中に入ってみると、日本の標準的コンビニの半分ほどの広さの香水とタバコとチョコレートの店しか中になかったのである。
ならばコペンハーゲンで買い物をしてくれようと思ってはたして乗り継ぎの待ち時間はいかほどかと思って確認すると、なんと到着して十分でゲートオープン。買い物が出来無いどころか、万が一ベルリン発フライトが遅れたとしたら非常に面倒くさくなる展開であった。
以上が、土産のないいいわけです。ごめんなさい。
で、無事コペンハーゲンには提示より十分ほど早く到着したが、ここでトランジットセンターで次のチケットを発券してもらわなければ成らないらしく、長蛇の列に時間を気にしながら並ぶ。やっと自分の番がきてチケットゲットと思いきやおばちゃんが端末を見つめながら、「すいませんがこの便はオーバーブッキングで席がもうありません、そこで提案なのですが、フランクフルトに戻りフランクフルト発成田着の便に変更していただければ、600€をお返しします。その代わり到着は五時間遅れます」というのである。キタ!奇蹟のボーナス6万円!すかさず、お願いします!と二つ返事である。「とにかく、もうすぐオープンするゲートまで行って待っててください、係の人間がマツオ様が日本に帰れるようにします」ということで、みなさんがすっかり搭乗してしまってがらんとしたゲートでぎりぎりまでまっていると。背筋の伸びた金髪のおっさんが紙切れをひらひらさせながら、キャンセルがありお席が用意できました。おめでとう、この便で帰ることが出来ますよ!」
まあ、向こうも商売なので、最後まで努力をする・・・余計な努力をしていただいたおかげで、二時間余計にヒコーキにのるだけでお小遣い6万円というチャンスを逃してしまった・・・・
まあともかく、無事帰国。

あ、前後するが、四日の記録。
朝十一時頃、ソニーセンターへ行き映画館でPINA3Dのチケットをゲット。上映は二時からなのだが、万一ソールドアウトだった場合、最後の日だしもうみれないじゃんとおもって・・・。で、二時まで近所の絵画館に絵を見にいく。絵がいっぱい。いっぱいすぎる・・・。音声ガイドもないので、無学の俺にはハードルが高い。素直にキレーダナー鑑賞モードでさくさく観て歩く。クラナッハの絵がエロくて良かった。あとクラナッハの地獄?最後の審判?の絵がすばらしかったです。とにかく、クラナッハ超すばらしいことがわかった。もちろん、他にも超すばらしいのいっぱいありましたが、わすれた。
で、時間になったのでお待ちかねのPINA3Dである。綺麗なもぎりの姉ちゃんに2番の劇場を指さされ入ってみると、俺だけである。客が。しばらくしたら、老夫婦が近くに座った。で、三人。少しして買い物袋下げたおばあちゃんが、よろよろっと。で、四人。コマーシャル中に若いカップルで、六人。結局、六人で飛び出るブッパタールを観ました。まあ、公開されたのはもうずっとまえだろうしね。いまだに一日一回でもソニーセンターのでっかい劇場でかかってる事だけでもすごいんだろうけど・・・
ダンサーのインタビューというか独白が結構はさまれているので、何言ってるかわからんことも多かったんですが。字幕ドイツ語だし。それぞれの言語で話すからドイツ語でしゃべってる人には字幕つかないし。かろうじて、英語で話すアメリカ人ダンサーだけわかる感じ。そんなわけで、内容はまあ、たぶん、すばらしかったですよ。舞台作品は抜粋でぶつ切りなのでもちろん全体はみれないし、いろんなロケーションで振付を踊るダンサーたちのシーンも、ヴェンダースの演出で振付はピナバウシュって感じじゃないか・・・と思いました。
一度、ホテルへ戻り、五時半頃ロレンゾのうちへ。空港が近いため爆撃をまぬかれて古い建物の残るエリアだという。なんだかトスカーナの田舎でお邪魔した前に住んでいた家もすごかったけど、たぶん十九世紀から建っているベルリンの家も超広くていい感じでした・・・。で、後から後から怖そうなイタリア人がどかどか集まってきて、最終的には十人ほどに。スキンヘッドに刺青がっつり入ったビルダーみたいな強面の兄さんから国立バレエのデミソリストの超綺麗なお姉さん、頻繁に日本いいってるというDJは十八日にドミューンでやるっていってた彼はフランス人だといってたな・・・で、ロレンゾの子供三人。サーカスみたいでした。 俺だけイタリア語を解せないという状況になっていて・・・・俺がトイレに行っている間にイタリア語、そのほかは英語で話すみたいな感じで恐縮w ポーランド人の奥さんのポーランド料理、というかポーランド風水餃子を延々食い続け、次から次へとつがれるワインを飲んでいたらいつの間にか十二時越え。
明日帰るからつって退散。最後の夜にふさわしくベルリンのイタリアナイトで楽しかったです。

外国に住むならベルリンがいい気がしてきた。

で、そもそも、俺は何しにベルリン行ったんだっけ?w

ベルリン6 - MATSUO MEMO

| No Comments | No TrackBacks

11月4日 金曜日 午前九時半。
さて、明日の朝帰る。
別にやりたいことや行きたい所なんてのもなかったから、やり残したことや行きそびれた所なんてのはないのだが、このさきヨーロッパへ訪れる確かな予定がないので、すこしさびしい。
ヨーロッパへ引っ越すなどという考えも、震災直後はちらとあたまをよぎったし、それを勧めてくれたこっちの友人も数人いた。すくなくとも数ヶ月、こっちに避難したらどうか・・・とシリアスに考えてくれた友人もいたが、いまは急激に変わりつつある、というかこれでかわらなかったら先がないだろう、というような状況の日本にいてそれを感じたいと思うようになっている。

ベルリンにとりあえず三ヶ月くらいいて、引っ越しを前提に根回しをしてみたらどうかといってくれた友人の一人がロレンゾで、おとといはすれ違いで出張に行ってしまってあえなかった彼がベルリンに帰ってきたので、会うことにした。
ウンターデンリンデンのグッゲンハイムでみたいものがあるというのでそこを待ち合わせ場所にしたのだが、名前のビッグさに比してドイチェバンクの下の非常に小さなスペースだったので見つけることが困難だったw
マフィアみたいな格好をしたロレンゾとその東欧人の情婦みたいな(失礼w)おくさんが登場して場が一気にイタリアw
ALEMCH というアーティスト工房hが公開製作していたグッゲンハイムを観て、なにやらポッシュな通りのポッシュなカフェでコーヒーとビールを飲み、奥さんが「ずっと観たくてだけど三人目の子が出来てしまって子育ては忙しいし一緒に行こうと言ってもロレンゾはいつもいないしでいけなかった」と文句を言っていたポーランドとドイツのアートを両者の歴史と関係にそって展示した展覧会をみに、Martin Gropius Bauとかいうところにいく。おくさんはポーランド人なので熱が入っていた。すばらしい展示。音声ガイドに日本語なかったし、キャプションもドイツ語とポーランド語だけというハードコアな状況だったけれど、すばらしく展示方法がうまかったために、がっつり観ることが出来た。しかし、ポーランド人、天才多いな。コペルニクスがポーリッシュだとはしらなかった。
六時半頃、メシを食いに来いと誘われたのだが、金曜にホームパーティーに誘われてるしそのときに伺うよということにして、子供を待たせている二人と別れてUバーンに乗る。ホテルからちょっと離れた駅でおりて歩いて帰る途中身の丈に合っていそうなドイツ料理レストランがあったのでそこで適当にトラディショナルと書かれた料理とビールを注文。たぶんワインで煮た、酸っぱい牛肉。うまかった。歩いて帰る途中、メニューがローストチキンしかないという有名な古いレストランを発見してそこにすれば良かったかな、とビール瓶片手に少し後悔。
部屋に戻って少し休んだら、深夜の徘徊がしたくなって、近所の店でいつもの兄ちゃんからビールを買ってその場であけてもらい、ビンを片手にカールマルクス通りの方をぐるっと回って4~5キロほど歩いて帰宅。なんにもなかった。あ、廃工場みたいな敷地のおくに、なにやら派手な照明の場所があって、ビルの上の方に巨大なマシュマロマン?(木立に隠れてよく見えなかった)みたいな人形が座っていて手がウイーンウイーンって動いていてらいとアップされてる場所があった・・・どう説明していいのかわからんが。タクシーで乗り付けた初老の夫婦が手をつないで敷地内に入っていくので、興味があって後を付けたが途中でいなくなった。店?スクウォットされたアーティストの巣窟?看板ないしなんだかわからんので、びびって引き返す。

昨日は、昼頃からブラウンシュヴァイクを目指して中央駅へ。1時間半ICEにのってブラウンシュヴァイク中央駅へ到着。街中に行くトラムに乗って市庁舎前へ。降りて適当に少し歩いたら、ブラウンシュヴァイク君に急に出くわす。本物とは初対面。感慨深い。
あれは2005年だったか、2007年のヨーロピアンカルチャーキャピタルにブラウンシュヴァイクが立候補した際、市がアイデアコンペを実施しそれに濱中さんや瀬田さんやフェムケにアラートたちと応募したプランが一等賞をもらったことがあり、いつの日かベルリンへ行ったときについでに実際に町へ行ってみようとは思っていたのである。(ブラウンシュヴァイクは落選し、ルクセンブルクが選ばれたために、我々のプランは実現しなかった)
一時間ほど中心部をぶらついてみる。こじんまりして、戦災を免れた古い建物と、巨大スクリーンがはめ込まれた近代的な建物が違和感なく混在していて、悪くない町だと思った。もし、ココにあのプランが実現していたらと考えると、なんの不思議も感じない。建物の高さや広場の見通しの良さ、そして見通しの悪さ・・・。いま、iPhoneやネットなどで実現されている技術を考えると、当時は、実際はハードル高いぞ・・・なんて思っていたことが、すんなり実現できてしまうだろうと思うと、ぽしゃったのは残念だ。
長居してもやることないので、帰りもICEで1時間半。六時半頃ベルリンに戻る。ルクセンブルクチームのダンサーのゆうこさんのいもうとさんで、ベルリンに住んでるあいこさんと彼氏とめしをくう約束していたので、彼女たちの住んでいるあたりの駅へ行ってみる。が連絡がうまくいかなくて、すれ違い。残念。
ということで、ひとりまたビール瓶片手に歩いて帰る。ビール飲みすぎで、腹がたぷたぷ。酔わないのに。あと、ブラウンシュヴァイクで食ったシュニッツェルが腹にもたれて、夕飯抜き・・・。胃が拡張されている。休めなければ。
東京に帰ったら、少し絶食でもしてみるか・・・・

きょうは、夜はロレンゾのうちのホームパーティーへ行く予定。少し早めに行って、なにやらビジネスwの相談をしたいらしい・・・(ちなみに、やつは音楽家なんだが、いま独自に開発したサウンドシステムをフィリップスと共同で、空港のラウンジやら、公園やら、公共施設のビルなどにインストールするプロジェクトをやってるんだそうである・・・)
それまで、せっかくなので、まだ細々と一日一回上演しているPINA3Dをソニーセンターに見にいこうかと思っている。早めに行かないと込んでるのかな・・・。

ベルリン5 - MATSUO MEMO

| No Comments | No TrackBacks

十一月二日水曜日。午前十時。
観光、という概念が欠如した人生を送ってきたようで、何をすればよいのかまったくわからず、たぶん歩けばいいのだろうと思って町中を歩き回っている。
ガイドブックに紹介されているエリアや場所へ出かけていっては、その周辺をなるべくホテルに近づくようなルートを探してくまなくまわり、途中、昼間っから売店の店先でビール飲んでるおっさんたちにまぎれてビール飲んだりぼーっとしたり、疲れ切ったところでまたはiPhoneのバッテリーがそろそろ切れるかというタイミングで電車に乗るかそのまま歩いて帰るか・・・それが俺の中では都市観光。
都市観光をしまくってわかったのだが、観光するなら南の島なんかがいい。都市はどこも同じだ。
といっても、今回はそんなことは十分わかった上で、ここに来たのである。歩き回ることも言ってみれば主な目的の一つである。歩き回りながら瞑想しようと思っていたのである。ここ二年ほど毎日8キロほどの道のりを東京でも歩いているのだが、それによって会得した歩き瞑想の技術であるw
そんなことはどうでもいい。

昨日の記録。
朝飯をまたもや食い過ぎたことはかいた。腹ごなしにまた歩きに行く。今度はzoo駅のまわりにいってみた。十年ほど前に初めて来たとき、まず町に出たのがこのあたりなので、ベルリンと言えばこのあたりの印象が強かった。さらに、U2のzoo stationという曲、というか神アルバムを学生の頃爆音で聴きながらベルリンを夢見ていたのであるw あと、ボウイとイーノのベルリン三部作。
ひとり、なつかしー、なつかしー、といいながら歩き回ったらまた10キロほど歩いていた。なつかしいけど、なにもないところである。(おれにとっては・・・であって、クーダムあたりのしゃれ乙な高級店や、セックス博物館に用があれば別)
電車で引き返し、途中何とか言う駅で降りてユダヤ博物館へ。以前来たときはバウハウスと同じでわらわらとみんな出来たのでじっくり見ることが出来なかったので、今回は二時間?もっとかな・・・くらいかけて、キャプションも読んで観た。見せ方がすごくうまいですね。勉強になりました。いろいろバイアスもかかっているんだろうけど、ユダヤの虐げられた歴史がよくわかったよ。ユダヤ人がいかに優秀か、優秀であらねばならなかったかということが、お子様でも観光客でも容易に感じられるように出来てる。同時に、なんかたまに、優秀でこしゃくなやついるじゃないですか。そいつにいらっとさせられるような気持ち、もあるんじゃないかともおもったなあ。追い詰めれば追い詰めるほどうまくやるやつむかーっ、みたいな。
で、ちかくにベルリーニッシェギャラリーとかいう現代美術館があるようなので、いってみた。が、閉館六時とかいてあるのに、妙に閑散としている。まだ時間はたっぷりある。ドアが開いていたので、入っていってチケットくれと言ったら、おばちゃんが今日はもう閉めたので明日おいで・・・と。今回、なんだか美術館に縁がない。ナショナルギャラリーもここも絵画館も全部休みでは入れなかった。
いわゆる美術館島も、入場制限されているもんのすごい観光客の行列をみて退散したのだった。なにやら有名なポートレートを集めた展覧会をやっているらしいが・・・。きょうは、グッゲンハイムで待ち合わせがあるので、ついでに見てみようか。もしかしたら、やってなかったりして・・・あ、おもいだした。昔ネストでワークショップやったのはクンストヴェルケというところだ。いってみるか。
仕方なく、歩いて夕暮れの町を観ながらホテルへ帰る。あ、途中、古い建物のレストランにはいる。ソーセージの山もいやだったので、英語メニューにトラディショナルと書かれていた料理とビールを注文。なんだろう。ワインで煮た牛肉?酸っぱかったけど柔らかくてうまかった。
夜九時頃、夜の散歩へ。近所のちっこい店でジャイアントコーンの小袋とビールを一本買い開けてもらって、橋を渡りラジアルシステムVとかいうアートセンターを横目に、すっごい道幅の広さが、ガチ東ドイツなカールマルクス通りにでて、少し寒々しさをおぼえながらぐるっと別の橋を渡って帰ってきた。5キロぐらい?もう一本くらいビール飲みたかったんだが、途中売店がなかった・・・つまらんエリアだ。

坂本龍一のUSTをやっていたので聴いていたのだが、なんかここのwifiがすっごく遠くてブチブチ切れるので、仕方なくiTunesで1996聴きながら寝る。

ベルリン4 - MATSUO MEMO

| No Comments | No TrackBacks

十一月一日、火曜日。午前十時半。
きのうと、おとといと、いまのはなし。

いま、ずっげえはらがいっぱいでくるしい。朝から食べ過ぎた。朝食ビュッフェってのはいつも食べ過ぎてしまう。昨夜、チキン丸焼きを半分、がっつり食ってしまったので、寝る前に朝食は野菜のみにしようと心に誓って寝たんだった。誓いは破られた。生ハムやサラミの山を見ると、自然に手が動き、からになった皿を見ると、自然に寝ぼけたからだが皿を持って列に並ぶ。

一昨日、三十日は、昼頃からトルコ人がてんこもりのコトブッサートアのあたりからあるきはじめ、ゲルリッツ公園付近、クロイツベルクという地域らしいんだが、その辺をうろうろする。東へ行って運河をわかったあたりに屋内蚤の市を発見し、がらくたの山を見ながらぐるぐるしていたら、古い写真や絵はがきの山の中から、知った顔の日本人の古い写真が出てきた。?と思って裏を見たら、k.sejimaという走り書きがしてあった。高校の先輩w 一瞬迷ったが、俺が日本に持ち帰っても仕方ないので、写真を撮ってまたジャンク写真の山の中の奥の方にもどした。いつかだれか見つけて買うこともあるのかもしれない。
三時からクラウスと浦山さんファミリーに会う約束があったので、ゲルリッツァー駅にいく。少し遅れて三人家族がやってくる。ザーラちゃんという三歳の女の子が増えていたw 五年ぶりくらいの再会。クラウスはいまどっかの大学の助手をやっていて、狂言についての研究をしているらしい。日本語が少し上手になっていた。勉強してるらしいので、ときどき日本語で話してみた。浦山さんはこっちで子育てしながらお芝居もやってて、先日も自宅に客を招いて一人芝居をしたそうである。もうちょっとはやくベルリンに来てたら観に行けたんだけど・・・
彼らはベルリンから電車で1時間半ほどの郊外にすんでいるので、なかなかベルリンに出てくることはないそうだが、この日はたまたま月曜日が祝日だったのでベルリンにすんでいるクラウスのお父さんの家に泊まる用意でわざわざ出てきてくれた。
カフェでビール飲んで、ゲルリッツ公園やオーバーバウム橋なんかを解説付きで案内してもらって、シュレージッシェ通りのスペイン人がやってるカフェでビールの続きをのみながら、地震後のはなしなんかをする。なんと彼らはたまたま三月九日に日本に来て、クラウスは秋葉原から筑波へ向かおうとしていたその矢先に地震に遭い、四時間かけて秋葉から浦山さんの実家のある浦安まで帰ったのだそうである。なんという不運w たぶん、日本に深く関わる人生の実感をかみしめたことでしょうw
隣のひとからキックボードをもらってうれしくて手放さないもうすぐ電池が切れそうなザーラちゃんたちと別れ、一人歩いてホテルに戻る。なんだかんだいって、この日も14~5キロくらい歩いていた。
九時半頃?腹へってコトブッサーの元祖ケバブ屋ハジルへいってハジルバーガーを食う。

昨日は、結構早起きで朝飯食ったあと、すぐに、っていっても十時くらいか・・・ポツダマープラッツ方面へ。なにやら美術館でも見てみようかと思って。ところーが、ミースファンデルローエの新国立美術館も、絵画館も閉まっていた・・・あらら、ベルリン以外はお休みだけどベルリンは普通通り営業してる・・・ときいていたのに、ざんねん。仕方ないので、さらに歩き回り図書館を見たり日本大使館やらなにやらいろいろな国の大使館が集まってる獣園のそばを抜け、バウハウス資料館へ。前回きたのはいつだったか・・・ネストのみなさんとわらわらと来て以来である。今回は一人なので、音声ガイドを聴きながらじっくり見た。大変お勉強になりました。すごいね、バウハウス。超先鋭的。でも十五年かそこらで閉鎖しちゃったのは残念きわまりないです。ポスターを数枚買う。(以前買ってロイのおしっこのシミが広がっていたのとおなじものも気に入っていたので買い直した)
そのあとまたぐるぐる回ってソニーセンターへたどりつき、レストランで一人メシ。カレーブルストにビール。高い。観光客向け価格だった・・・。そこいらで食ったら五€くらいだろうというものが十三€。十五€紙幣で渡したら、二€のつりもくれず、チップになった。
そこで、青空文庫でベルリンについて書かれたものを探して読む。寺田寅彦のベルリン大学っていうのと、岡本かの子の変な短編二つ。
部屋に戻ったのが、四時半頃だったか・・・8キロも歩いてビールも飲んだのでへとへとでごろごろ寝ながらガイドブックやらネットやらをみていたらいつの間にか寝てしまって起きたら九時。もうちょっとはやくでるつもりだったが、メシ探しの旅に出発した。クロイツケルンあたりでどこか・・・とおもったが、途中ここいらの若者をまねてビール瓶を片手にほろ酔いで歩いていたら、ノイケルンの方までいってしまい、さらにビールがきれると売店でビールを買いその場であけてもらって飲みながら徘徊するということを続けていたら、ゲルリッツ公園までぐるっと歩くこと12キロ。さすがに、一日合計20キロも歩けばへろへろである。そしてその調子でゲルリッツ公園の爆心地のような(ちょうど夢の島のすり鉢のような)ところへいくと、暗闇の中にすばらしいながめ。写真に写らなかったから載せられないけど、すり鉢の中にドライアイスを入れたときのように、きりがたまっていた。底知れぬ闇と霧。底に行こうかと思ったが、酔った頭に恐怖心がでてやめたのである。
いい加減メシを食っていないことに気がつき、公園の入り口にやたらひとだかりがしていたトルコ人がやってるチキン屋があったのを思い出して、そこへむかう。十二時半過ぎていたが外のテーブルには、おっさんがぎっちり。さむいし。なので、テイクアウトにしてもらって部屋で食うことにした。しっかしやすい。ローストチキン半身3.75€。結構がっつりしたサラダもついてました。で、ビールを近所で一本かって、部屋食い。夢中で食う。超うまい。完食したあとに気がついたが、おれはみぎてだけを上手に使って食べていた。自分がいるところがインドなのかドイツなのかわからなくなる。
撃沈。

しかし、どうもおれはガイドに載ってるようなしゃれたレストランや、なんというか、ちゃんとしたところでメシを食っていないな・・・メシにこだわらないたちの人間がひとりだとなかなかね。

ベルリン3 - MATSUO MEMO

| No Comments | No TrackBacks

10月30日、日曜日。午前十一時。
なに地区って言うんだかわからないけれど、近くにイーストギャラリーがあったり、コトブッサーとかいうトルコ人街があったりするあたりらしい。らしいっていうか、歩いてたしかめたから確かである。

昨日の日記。
朝十一時にSamariterstrのbestwesternhotelをチェックアウトして、UとSを乗り継いでHeinrich-Heine-Str.までいき、がらがらとスーツケースを400mほどころがしてA&O何とかつうホテルにたどり着く。チェックインは15:00からなので、荷物をあずけてNHKのぶらりまちあるき的散歩へ。東駅からイーストギャラリー、オストクロイツ、ボックスハーゲナー、ツイッターでハチヤマがすすめてくれたベルクハインとかいう巨大クラブを横目に見ながら、東駅に戻り、ホテルの近くの古い教会の池のほとりにあるエンジェルベッケンとかいうしゃれ乙なカフェのテラス席でビール二杯にサンドイッチを食う。いくらだったかおぼえていないが、え?ってくらい安くて全部で1000円しなかったと思う。そこでiPhoneの青空文庫アプリで鴎外の舞姫をよんだ。厨房の頃だかに現代仮名遣いに平易に直したものを読んだ記憶があるが、重厚な文体で読むといいね。しかし、これは随分ひどい話だなw

でいいかんじに昼間っからほろ酔いで四時頃になってホテルにチェックイン。8階建てのビルの八階の一番奥の小部屋で、まあまあ快適ではあるが、wifiが遠くてつながりにくいのが難点である。
まどからは遠くまで見渡せるが、すぐ隣はスクウォットされた倉庫のような建物だ。あらゆる壁面、屋根がグラフィティで埋め尽くされている。
ここだけでなく、この町全体が、異様なほどのグラフィティや落書きで埋め尽くされている。さらに、長い間はり重ねられてきたポスターで元の壁や街灯のポールの表面が見えない。
どうか、とおもう。

六時にルクセンブルクから来たマネージャーのパトリックと落ち合ってメシを食う約束をしていたのでが、立場上どうしても見にいかなければいけない舞台があるので、終わったらメールするとの連絡。しかたないので、メシを探しに、歩いて1キロ弱ほどの所にあるトルコ人街?コトブッサーにケバブを買いに行く。どうも、ドナーケバブ発祥の地らしい。ほんとかしらんが。で、有名だというハジルという店でケバブ買って食いながらホテルに戻る。うまいわ。胃がもたれたけれど。

九時半頃メールが来て、アレクサンダープラッツでまちあわせ、お互いノープランだし、東京で一番ベルリンに詳しいと自負する友達が教えてくれたクラブに行ってみないかと提案して、昼間横目に通り過ぎたベルクハインにいってみた。
いってみたが、オープンしていない。なんだ、ここ入れねえじゃねえか、ひともいないし・・・なんていいながら、仕方なく隣のライブハウスへ入り知らないバンドの演奏をラウンジ的なところで聴きながらビールを数本。とかしているうちに窓の外を見ると、すごい行列がいつの間に出来ている。12:00。しかし、どうみてもクラブに遊びに来るようなタイプの人々ではない。服装も年齢層も。百メートルほどの列の一番後ろに並び、入場をまつ。
後ろに並んでいたでっかい男に、どんな音楽なの?と試しにきいてみたら、しらないよ、ガイドブックに世界で一番のクラブだって書いてあったからきてみただけだ、といわれる。確かに、見渡すと観光に来たと思われるローカル以外の人たちが多いようだ。前に並んでいる集団もイタリア人のようである。
しばらくして妙なことに気がつく。次から次へと列の横を引き返す人が通りすぎていく。入り口の方をみると、どうもそこで厳ついヘルズエンジェルスみたいな鼻ピアスのオヤジやマフィアみたいなスーツのオヤジが人差し指一本で入場できるか出来ないかの許可を下しているらしいのである。パトリックと二人で、一生懸命その基準を探していたのだが、まったく見えない。おしゃれをしてきた人たちもはねられてるし、人種でも、言葉でも、酔ってるかどうか、そんなことでもないようなのである・・・w 世の中には俺の知らない、人を見る基準というものが存在しているらしい。
しかし、引き返してきた人たちも、非常に素直に従って帰って行く。結構へんぴなところにあるのでここまでたどり着くのも大変なはずなのだけれど。まあ、セキュリティーのオヤジたちとはあまりもめたくない。
非常に不安になりながら自分たちの番がきた。前のおしゃれなイタリア人たちは、二秒ほどにらまれた後、そっこーではねられて、すごすごと帰って行った。
で、自分たちでもまったくなんでオーケーなのかわからんが、難なく入れてもらえた。なに?人数?でもないな、結構集団でもはいってたし、二人組もはねられてたし、一人でもダメな奴がいたし。
まあ、普通のクラブだった。フロアの音は良かった。三時頃までだらだら踊ったり観察したりして出る。長蛇の列と選別はまだ続いていた。相変わらず、五割ほどの人たちが追い返されている。
三時だと思っていたら、iPhoneの時計が二時を表示している。夏時間が終わったらしい。一時間得したような無いようなw

パトリックと東駅付近で別れてイーストギャラリーを抜けて歩いてホテルまで帰る。壁が壊れて世界が変わって随分たつが、とっくの昔にもう世界はその感動に浸るような世の中ではなくなってしまった。と、あらためてしみじみ思いました。


ベルリン2 - MATSUO MEMO

| No Comments | No TrackBacks

10月29日、土曜日。ベルリン。午前十時二十分。
十一時にチェックアウトしなければいけないので、それまで暇だからインターネッツとかみていた。

昨日は、午前中はゆっくり寝て昼頃にメシ探しながら観光にいく。まず、中央駅までいってブランデンブルグ門まであるき、ホロコースト記念パークをみて、フランスドームやらドイツドームやらまあその辺の観光地をうろつき、ウンターデンリンデンを抜けて、アレクサンダープラッツにたどり着き、しけた飯屋でカレーブルストとかいう名物?なんだか知らんけどジャンク的なメシを食って、ホテルへ戻ってくる。四時くらいだったか。またすっごくあるいた。途中でiPhoneのナイキアプリを立ち上げたので、正確にはわからんが、たぶん7〜8キロ歩いてるんじゃないか?

五時半に劇場へいき、ルクセンブルグチームとお別れ。また来年何か企画するから同じチームでやろうぜ!みたいなw マネージメントのパトリックはあと2泊するらしいので、あした、つうかきょうの夜飯を一緒に食う約束をする。

一度部屋に戻り、夕飯のじかんになったのだが、カレーブルストとかいうのが胃にもたれてはらがへらないため、ビールを飲みながらいろいろ今後の人生を考えることにして、スーパーでビールとつまみを買いだし。
結局、今後の人生のことは考えられず、なぜかネットでピングドラムやらニュースやらを見ていて撃沈する。

さて、そろそろ、準備をして引っ越し。
東駅付近にある一泊3500円くらいの安ホテルへ。さすがに四十越えてタコ部屋はきついので一応シングルルームだが・・・レビューでは評判は良かったんだけどね。どうなることか。

ベルリン1 - MATSUO MEMO

| No Comments | No TrackBacks

2010年の4月、だったとおもうが、ルクセンブルグでProject-Oという子供向けパフォーマンスをつくりまして、それのベルリン公演があるので、ベルリンにいる。

到着したのは25日の夜。バスとSバーンを乗り継いでホテルと劇場のあるフランクフルターアレーとかいうところにきて、駅でばったり出演ダンサーのゆうこさんにあう。前回音をやった婚約者のペルー人トーマスは今回は参加できなかったらしい。それは残念。先日ルクセンブルグにアシッドマザーステンプルがきたとき、酔っ払ってなにやらやらかしたらしい。俺は別のホテルなので駅で明日の入りを確認してわかれ、1キロほどスーツケースを引きずってホテルにたどり着きチェックイン。朝八時にうちを出てから、合計二十一時間ほどの長旅であった。
腹減ってしかたがないので、道をはさんだコンビニ的な店でビール二本と、隣がケバブ屋だったのでもちろんケバブを買い部屋でひとり歓迎会。ようこそベルリンへ、とかいいながらビールを二本飲んで死ぬほど眠くなり死んだようにねむる、五時間。
ところで、物価が安い。だいたい日本の物価の四割引くらいか。ビール500ml一本1€。ケバブはたしか2.3€で買ったと思う。いま1€=106円です。

二日目はぼーっとしたまま朝飯食って十時に劇場入りして十一時まで仕込んで場当たりしてリハやってランスルーして、みんなの泊まるホテルまで歩いてビール一杯飲んで、帰宅。あ、途中で休憩もらってひとりベトナムレストランでフォーをくったが、ビール込みで5.8€という安さ。屋台とか立ち食いとかじゃなくて、ちゃんとしたそれなりのレストランである。日本じゃビールだけでそのくらいは払うんじゃない?

三日目、なんと本番は朝十時からなので、おれは劇場に九時入り。Mac立ち上げてプロジェクターに電源入れて・・・等としていたらあっという間に開場、開演。観客の8割方は5歳から7歳くらいの幼児たちです。あとは付き添いのお母さんや、引率の先生的な人。客席は超満員。何人くらい入ってたんだろう?二百〜三百人くらい?ルクセンブルグでの総動員数はたしか千七百幼児ほどでした。前回は出演もしていたので、はじめてブースから子供たちの反応を見たけど、舞台でおこってることに素直にギャーギャー反応しているのがちょっと幸せな気分になるのねw
終演後、機材をパックして楽屋でシャンパンで乾杯したあと、ホテルへ荷物を置いて、劇場近くのピザ屋に集合して一杯飲んで、俺のホテルの近所のしゃれたエリアでタイ料理をくって(意外とみなさんタイの大洪水について知らないんですね、ヨーロッパでは)さらにアレクサンダープラッツへ移動しぶらぶら歩き回り、アーティストがスクウォットして大変な事になっているTACHELESというグラフィティだらけのなんというか学園祭というか美大の学生会館とい言うかそういうところへ行きぶらつく。
さらにみんなでぶらぶらはつづき、高架下のバーでカクテル飲んだりして、適当にたどり着いたスリランカ料理屋でカレーを食って、へとへとになりながら十一時頃ホテルに戻る。
爆睡。

仕事は以上!

今日はみんなはルクセンブルクへ帰るので夕方に見送り。それくらいしか予定がない。
じつは、なにも予定がない。2011年は世の中的にも個人的にも大変な年だったので、というかまだまだ大変な事が待ち受けているので、一度こういう時間を作らなければ精神に異常を来すのではないかと思って無理にきてしまったのです。
さて、これからどうしようか。

そうだ、くる直前に気がついたというか思い出したんだが、2004年にヨーロッパカルチャーキャピタル云々のコンペで一等をとったゆかりがあるブラウンシュヴァイクへは、ここから電車で1時間半ほどらしいのである。あした?あさってあたり?行ってみるか。

まあ、とにかく、ぶらっとします。

写真とかはあとでまとめてアップします。回線細くて時間かかるから。ツイッターにはあげるけど。

Recent Comments

  • air con hire: It is on a read more
  • portable air cooler: I suspect read more
  • portable air conditioners for sale: Atten. We read more
  • home air conditioner: The Profes read more
  • delonghi pinguino portable air conditioner: I must wan read more
  • ge portable air conditioner: It is the read more
  • sharp portable air conditioner: Juvenile B read more
  • air conditioners: Consequent read more
  • portable air conditioners for sale: Is it each read more
  • 9000 btu portable air conditioner: The veto o read more

Recent Assets

  • IMG_4623.JPG
  • IMG_4575.jpg
  • IMG_4547.JPG
  • IMG_4574.JPG
  • IMG_4335.jpg
  • IMG_4482.jpg
  • 6339205531_d551a12f40_b.jpg
  • 5649343172_08f873dede_b.jpg
  • 5648428769_6e216c9527_b.jpg
  • 6339818854_86a67bd4c3_b.jpg