Sun, 01 May 2005

なにかが欠如していることはわかるがそれが欠如しているが故にその欠如しているものがわからない、という状態
今日で四月も終わりかあ、今年も一年の三分の一が過ぎたんだなあ、はやいもんだ・・・・とかなんとかいう書き出しは絶対にしない。今機嫌が悪いので、そういう、今日で四月も終わりかあ、今年も一年の三分の一が過ぎたんだなあ、はやいもんだ的なことを話すやつが目の前にいたら、いろんな意地悪なことをいって困らせるだろう、もしくは気が狂った振りしてぼぼぼぼとかいいながら手近のグリップがいい感じの棒をさがしてぶんぶん振り回したりするだろう。
今日は実家へ帰る予定だったが、世話になった友人たちのパフォーマンス公演があるというのでキャンセルし、横浜まで出かける。
なんといえばいいのだろうか・・・非常に残念だった。みている間、終演後、彼らになんていっていいのか、ずっと考えていた。結局何も見つからなかったので、手を振ってバイバイをしただけで帰ってきた。よくなった気配はないし、何のひらめきもなかった。これは、今日明日で何とかなる問題ではない、と思った。
俺の周りには、すばらしい物を作るアーティストたちが一杯いるが、それにもまして、つまらない物を作るアーティストも一杯いる。いい物を作るアーティストだって、いい物以上につまらない物を作るだろう。では問題は量なのか?といわれればそれもあると思う。多作であることは、たぶん多作であるということだけで、才能だから。しかし、もちろん、俺のいいたい彼らの昨日今日で何とかなるはずのない問題というのは、このことではなくて・・・たぶん、一番の問題は、彼らが信じているもの、そのものなんだと思う。だから問題なのだ。技術でもない、経験でもない、ロジックでもない、戦略でもない、もっと本質的に彼らが持っていて固く信じて止まない何か。芸術家としての才能のあるないをいっているのではない。そんなことはいいたくない。なんだろう・・・若さ、というのは、どうしようもなく、痛々しいもんだ、残酷。がんばれ青年!それは、どうしようもない、何かの欠如だ。その欠如に本人は気がついているのかもしれない、しかし、何が欠如しているのかは本人にわかりようもない、だから、悲劇だ。彼らの問題は、若さ、ではないけれど、例えば、そういったような悲劇だ。もう彼らは、若くない。彼らはその、何かの欠如、という状態に、気がつきいらだっているのだろう。しかし、何が欠如しているか、知りようもない。
だらだらと書いたけれど、そういう物のような気がしたので、何も言えなくなってしまったのだ。一緒にみた友人は一言、古い、といった。そうかもしれない。確かにすべての要素は、どうしようもなく古い。先端技術を使っていようが、古いものは古い。しかし、古いことは問題ではない。
じつはこう書いてきて、思い当たる節はあるのだ。なぜ、その欠如を知りようもないかということに。過去に一緒に仕事をしたとき、そのときは言葉にならずに、気がついていて、言葉にしなかった。今も言葉にならない。俺にはどうにもならない。そして、俺も少なからず、同じような問題を抱えている。

帰ってきて、カボチャのリゾットをつくり、焼酎を飲み、アイスクリームを食べ、テレビを見ていたら、もう朝だ。やばい。規則正しく生きよう。 もっと自由に、適当に、正直に、寛容に、規則正しい生活がしたいです。

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