gost in the machine
九日。一日中、某サイトのポップアップメニューの調整のためjavascriptとcssと格闘。しかし、完全にはうまくいかず。夜十二時頃まで。
しかし、これは宿命のようなものだけれど、macとwinとまたそれぞれのブラウザーで表示がバラバラなのはほんとに何とかしてほしいと思う。本気で殴り込みに行こうかと思ったりする。
しかし、あと十年もすれば、「昔はねえ、こんな事全部、人がやってたんだからねえ・・・」なんてことになるんだろうな、こんな作業。
たとえば「昔は駅で一日中切符を切ってた人がいる」とおもうと、切なくなる。切符をきりつづけて三十年、という人がいるかどうかわからんけど、その人の切符を切っていただけの時間はどこへ行ってしまったのだろう、とか・・・。もちろん、人の時間というのはそんな単純な物ではないのだけれど。
十年後、「むかしはポップアップメニューを正確に表示させるだけのために何日も費やしてスクリプトを手書きしていた人がいた」とかいわれるんだろうな・・・。
世の中には、技術の進歩によってもその価値が変わらない事象とそうでない物があって、たとえばこういう事に費やされる時間というのは、いつか無価値になってしまうのだろうか・・・と思ったりする。いくらフォトショップが優秀でもゴッホが手書きした油絵に費やした時間の価値が変わるわけではない。
これはまた別の話なんだけれど、作品作りにテクノロジーを導入するに当たって、直裁的にそのおもしろい効果をわかりやすく見せたい、というタイプと、テクノロジーを導入することによって作品の作り方というか成り立ちというか受容のされ方というかそういう物を変えることができると思うタイプがいて、俺はもちろん前者的なギミックも好きだけれどどっちかというと後者だ。
今の技術でできる事なんて限られているし、要はアイデアであって可能性の提示が重要なんだけれど、作品の見てくれとしては、だからどうした、という感じもしてしまう。
それよりも技術をプロセスに導入することで作者の意識、方法論、コンセプトがどう変わっていくかという方に興味があって、だから俺がやってるのはメディアパフォーマンスといってもそんなに見た目テクノスペクタクルな感じではない。当たり前の例だが具体的にいえば、リハーサルにビデオカメラを使用するとか、集団作業のコミュニケーションに電子メールやBBSや電話を使い分けると行ったような作業だ。パフォーマンスはパフォーマンスだけれど、メディアによってパフォーマンスの「作り方」はどう変わっていくのか、というのが重要であって、わかりやすく今ここで見た目テクノっぽくすると行ったような意味ではない。作り方、考え方が変われば、作品の表出も変わるし、それをどのようなフレームをつけてみせるかで、観客の認知のし方も変わっていくんだろう。
気長な話だ。
last.fmで300曲以上再生したら、お隣さんがたくさん増えて、ドンぴしゃの選曲にだんだん近づいてきた・・・のか?
おもしろい。なんか知らなかったすてきなアーティストを見つけたりするとうれしい。うまいシステムだ。
さて仕事しよう。
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