2006年7月アーカイブ

これは、梅雨が終わったんですか?
どうなんですか、また雨がじとじと降ったりするんですか?
季節の変わり目感、というのは非常に重要で、毎年、「今日から春です」「今日から夏です」みたいな日は敏感にはっきりと感じるのだけど、なんか今年はわからん。
朝起きて、ぼーっとした頭で「ああ、今日から夏だな」とか、「あ、今日夏終わったな」とか区切りをはっきり感じないとつぎに進めない。

金曜日の夜は、神楽坂の阿波踊り(むかし、外人に本気でバブルダンスフェスティバルと説明している方がいた。誰もつっこまない。緊張しすぎで何か基本的なことがぶっ飛ぶ気持ちはわかる)にいく。河内夫妻とヒジヤくんにハチヤマとうち。家に来て鉄板焼き大会。なんかね、俺、うちにみんな誘って飲むときは、必ず飲み過ぎるみたい。なんか、ずいぶん飲んだようだ。みんなが帰る頃には、宇宙がぐるんぐるんしていた。家で飲むときは注意。もうあとはねるだけ、とか思っちゃうんだな。
ということは、外で飲んでるときは、意外とリラックスしないで飲んでるってことだ。でも、外じゃあ、ほどよく緊張して飲むのがいい。スマートに。でも家の中では、ただの酔っぱらいのお父ちゃんになってしまって・・・。ああ、外でもそうだね。

土曜日は、一日うちにいて、作業したり本読んだり。
「東大アイラー」のつづきを読む。pandoraとかlastfmとかインターネットラジオをききながら。やっぱpandoraの方が音がとぎれなくていいなあ。アタリ度も高いし。pandoraとairfoilっていうaietuneをitunes以外で実現するソフトとallofmp3の組み合わせは、自宅にいながらタワーレコードやHMVでかご持って徘徊する気分に浸ることができます。
[c-e]の映像のシステムは、三台のマシンを同期させるやり方に方向修正。全部openGLで、と思ったんだけど、よくわからんのでそっちはそっちで探求することにして、フラッシュのアニメーションを組み合わせることにした。フィックスされちゃうんだけどね・・・変化に対応できないし、インタラクションの可能性がなくなっていく。
神戸の震災の時、高速道路がグラングランに揺れて崩壊する映像をテレビで見た。その映像はニュース解説用にアニメーターがアニメーションをしたモノだった。別の番組では、同じような映像なんだけど、コンピュータシミュレーションされたCGが放送されていた。動きは同じ。でも、片方は、リニアにセル画をつなげてったモノ。一度作っちゃったらフィックス。一方は様々なパラメータを入力してリアルタイムに生成された映像。パラメータを変えれば震度1でも震度18でもシミュレーションできる。そんとき、あ、こういう舞台が作りたい、と思った、ので、今いろいろやってます。
じゃあ、フラッシュでアニメーションじゃ、駄目じゃん・・・。
でも今回はそれで行く。うーん、でも・・・。

日曜の今日は、古い友人の滝沢涼子の舞台があるって言うので、池袋まで行く予定。CMprocessを始めた頃にたくさんヒントをくれた人です。
それまでは、ネタ作り。など。

あ、それから、もう一人、古い友人(むかーし某局某番組で一緒に司会みたいなことやってた人)と久しぶりに連絡が取れた。ふと何を思ったか忘れたが、古いブックマークを探っていて彼女のページにアクセスしてみると、「旦那様」という言葉を発見。うわ、結婚したんだ・・・。しかもつい最近。ということでおめでとう、と。
頑張ってね、結婚生活。

ん、しばらく書いてなかった。忘れてた。
雨が降り続いているので洗濯物が乾かない。猫の小便の匂いが落ちない。
先週末は、新国立劇場の立派なリハーサル室でリハーサル。この期に及んで引っかき回してしまった。もうちょっと前からリハーサルにつきあえていたら良かった・・・・と後悔。はじめから、がっつりワークショップすべきだった。
そのあと広太さんと中村さんとハチヤマといつもの増村で一杯。
新宿でかえるのキムさんの送別会に合流。大人数で大カラオケ大会中でした。

土曜は記憶にない。あ、掃除。

日曜日、勢いで掃除などの続き。掃除など、などしている暇はないのだが、仕事などしている暇もないほど緊急に掃除が必要だったので掃除。
夕方から、中島陽典さんの演出した芝居を見に行く。ワークショップの発表公演?という割には、芝居の完成度高く感動。非常に難しいテーマと難しい台本。中島師匠(昔、澁谷にXpがあった頃、佐々木という役者の友人と二人で師匠のワークショップをうけていた時期があったのです)の演出プロセスはディープにコミュニケーションをしてかなりディープに台本を掘り下げていくので(俺らの時はそうでもなかった、というか俺らが甘かったのでそこまで突き詰められなかった)役者の舞台への入り込み様は並みではない。しかし、ああいうテーマが深く社会的で台詞の抽象度の高い台本だと、少し観客が突き放されてしまうかも知れない。以前新国でやった「死の棘」のような台本を演出したものが見たい、かな。

腰が痛い。時々、ピキッと痛い。ヘルニアじゃないことを祈る。少し安静にしよう、っていうか、毎日安静な日々なんですけど。別に運動もしてないし。

[c-e]、もうちょっと頑張らないと・・・。

あ、いいなさんがdance and media japanのホームページにこないだのワークショップのレポート書いてくれていた。ありがとう。よくかけてたので見てやってください。

「東大アイラー」の後半を浜さんに借りて読み始めた。おもろしろいなあ・・・。
SFCでの菊地氏の特別授業もおもしろかった。ストリーミングで見られます。http://gc.sfc.keio.ac.jp/
ああ、最近こういうお勉強になるアーカイブって言うか、なんて言うかすごく充実してるサイトを見てると時間があっという間に過ぎるので、見ないようにしてます。でも、自分で作るより人の作ったのみる方が楽でいいんだよねえ。自分で話さないで人の話聞いたりね。だから、ついぼーっと無責任に・・・・。こことか、http://www.ubu.com/ 最近公開されたICCのアーカイブとか。あと、ネットレーベルの紹介ページね。http://www.acowo.org/意外とおもしろい音がまるごと聞けたりね。
あ、last.fmも日本語ページができて、ラジオプレーヤも新しくなったみたい。
というわけで今日は一日ブルーズたれながし。

まずは、かみさんの出版記念パーティーへ来てくださった方々、本当にありがとうございました。思っていたよりも大勢の皆様に来ていただいてびっくりしました。案の定ばたばたな状況で、直接ごあいさつできなかった方もいらっしゃったかと思います。すいません。懲りずにまたおつきあいいただければと思います。詩集も気に入ってくれたらうれしいです。

ということで、一大イベントが終わってひと安心。家の中はいただいた花束の山からのむせかえるような香りで充満している。
で、猫のロイが何にいらついているのか、最近小便を洗濯物の山にひっかけまくったり玄関の靴にひっかけまくったりという暴挙にでているので、花の香りと、猫の小便の香り。

ダンスアンドメディアのワークショップも終わって、一段落したので、[C-E]に取りかかる・・・つもりの三連休は、ほんとにちょっと取りかかった、程度にしか手をつけられていないが、頑張りますから・・・。
ワークショップの方は、結構おもしろかったんではないかと思う。今回はやって良かった。いろいろ気がつくことが多かったし、言葉も多かった。いつも海外なんかでやると、ベーシックなアイデアを伝えるのに精一杯で、しゃべりながらふと新しい発想が生まれることが少ないんだけど、今回は密かにいろいろ思いつきましたよ。

パーティーの金曜日があけて、土曜日の夜はルドの家へ。奥さんのヴァレリーと子供たちがパリへ引っ越してしまうので、ちょっとしたお別れパーティー、なのかな。寂しくなるね。いつもあえると思っていた人達がなかなかあえなくなるのは、複雑な感じがするもんだ。あえるときにたくさん会っておけば良かった・・・と思ったりする。

外は暑いし、じめじめするし、ずっと家の中にいたりするんだけど、なんだか猛烈な眠気がして、たっていられない。今日、月曜日は雨だし外はそれほど暑くないからまだいいのだけれど、昨日は自分が痴呆症になったのかと思うくらいにぼーっとしていた。

やっとボブディランのNo Direction Homeを全部見る。すばらしい。
裏切り者呼ばわりされたコンサートの映像も始めて見た。あの当時そう叫んだ人達は、今どう感じているのか?
それはディランが正しいとか間違っていたとかそんなこととは関係のないことだ。そんなことはディランも行ってるように、時代は変わるし、どの考え方だって、いつかは善で、いつかは悪にもなる。
自分もあの場にいたらそう叫んでいる一群の中にいたかも知れない、そうでないかも知れない。ずっとそのことを考えていた。
これは子供の頃からとらわれている思考の傾向だ。
自分はある一つの考え方の中にとらわれているが外部からそれを冷静に判断することはできない。自分には特にその能力がないようにおもい、いつもあとになって後悔する。そのとき、なぜそんな考え方のもとに熱狂してしまったのか・・・。もし学生運動の時に生きていたら自分は体制側についていやしなかっただろうか?戦争が起こったら万歳をしながらお国のためになんて叫んではいないだろうか?極端に聞こえるようだけれど、そういうことだと思う。今まで人生のいくつかのシーンでそういう体験をしてきた。
だから不安で仕方がない。
でも、とにかく、体制側でも反体制側でもどっちでもいいんだけど、外部にでることは不可能かも知れないが、外部にでようとする意識をキープし行動することは不可能ではないと思う。
ディランは、そうして生きている気がする。

それとは関係ないかも知れないけれど、プロテストソングを歌って若者の代弁者といわれていたディランが、そうでない意味不明な歌を爆音で演奏するようになったのは、ディランがそれを意識したのではないかも知れないけれど、同じことをただやり方を変えただけなんじゃないか。公民権運動の集会に出向き意味を歌詞にこめてその歌の意味で彼らにものを考えさせて何かを変える方法から、ディラン自身がディランという人物を「この人を見よ!」という姿勢で、ブーイングの雨あられをうけながらもやりたいことをやり、既成概念にとらわれた人達や人が自分の思い通りに動かなければ敵視するような人達をわらいとばし、言ってもらいたいことを言わせようとするインタビュアーにくってかかりながらメディアにこびずに自分の態度を貫くという、一貫してクールに外部に立とうとする生き様を見せる方法に、やり方が変わったともいえるかもしれない。でも、別に何かを変えようと思っていたわけじゃなくて。ただそういう人だったから、みんなが「ディランやばい」というんだろう。


月曜日から、Dance&MediaJapanのワークショップが始まる。サウンドとパフォーマンスというテーマだが、CMprocessを中心にやってくれといういいなさんの要望なのでCMprocessワークショップ。
昼間は、なんだかよくわからないが、カンファレンス、ということらしい。CMprocessのプレゼンに一時間弱。月曜とおなじことを火曜にも。二回。で、一生懸命萌え、いっぱいいっぱい萌えの話など・・・・。

インドで一緒だった、クリスバナマン教授からメール。早稲田にプレゼンテーションに来ているらしい。
しかし、残念ながら、あえなさそうだ。今週は一杯一杯。

syd barrettが亡くなったらしい。バイバイ!
sydのいないpink floydは本質的に凡庸なロックバンドなので、sydの影響が薄れてくれば薄れてくるほど、つまらなくなっていった。様な気がする。
濃縮液を薄めて薄めて使っていた感じ。floydのことは詳しくないけどね。印象です。
どっちにしろ、つまらんバンドだ。
sydは凡庸ではない。音楽的に天才、とか、そんなのはわかんないけど、なにか凡庸でなかったことは確かだ。
もし、もうちょっと何かが変わってれば、enoみたいなアーティストにもなれたかも知れない。

やらなければいけない仕事があるのだが、むちゃくちゃ疲れてできない。
今から、この午前中に片付ける。

今日の方が、昨日よりも百倍疲れそうだ。

きのうはDance&Media Japanの企画で池袋の要町の廃校になった小学校においてCMpのお試しリハ。すごいメンツがそろって、いつものやつを。優秀なダンサーと優秀なプログラマー、アーティストの皆さん。
電車の中でiTunesでマイルスのBig Funをききながら、俺には一流のジャスバンドは作れないけれど、そんな感じのダンスグループなら作れる気がした(笑)。勘違いしすぎだ。でも、多分できるんじゃないか? 「できることなら何もやりたくない」なんていっておいて、そういう期待感があったりすると、「よし、すごいのを世界中の人に見せてやる」とか、やる気満々に色気を出したりするのが、達観してない証拠。
池袋の立ち飲み屋でのんで、ほろ酔いでよけいなことをまたべらべらまくしたてて帰宅。

かみさんの本ができあがってきた。きれいな本だ。なんか、田舎の女子高生とかが本屋で偶然手にとって、大切にしてくれたらいいなあ。そういうシーンが目に浮かぶ。

mixiミュージックというのがあったのでダウンロードして起ち上げたらファインダーのメニューにmixiマークが出てきてなんだかわかんないままほっておいたら、iTunesで流していた音楽のタイトルがダダ漏れていたので恥ずかしい。
しかし、なんかおもしろいので、このまま起ち上げ、恥ずかしい曲を聴かないように心がけることにする。大人が聴く音楽を聴くように心がけよう、趣味がいい人と思われるように努力しよう(笑)。
しかし、こういう日記みたいなもんとかSNSとかブログとか、以前は不特定多数の人様にお見せするようなもんではなかったようなことをだらだら漏らしていくようなことになって、密かにしている部分とそうでない部分の心の地図って言うかなんかそんなのがずいぶん変わってきたというか・・・自分がどう見られたいかというのを、勝手に自分の情報をさらしていくことでコントロールしようとしてるのか。こういう人間だと思われるように積極的に自分のイメージを作り出すって言うか。
おれのはどっちかというといいわけとかエクスキューズですな(笑)ばかに見えるかもしんないけど俺だっていろいろ考えてるんだよ、とか、怠惰な人間だと思うかも知れないけどやる気がないわけじゃないんだよ、とか。ばかロックンロールばっかり聞いてるとばかだと思われるから、たまにはインテリっぽい音楽も聞いてるようなことを書いておこう、とか(笑)これはどう見られたいかを自己プロデュースね。
できていない。

こないだのJapanのTin Drumをタイトルにしたときはふらっと誘われてmixiに足跡のこしてった人が多かったのに、Dylanの曲名をタイトルにしたら食いつきがわるい(笑)

イタリアからかえったら、アマゾンからNo Direction Homeがとどいていて、すぐにはじめの一時間くらいを見たのだが、諸要件のため時間切れで、未だに全部見られていない。
おかしなおっさんだ。中毒性がある。

アデージョとかアデオスとかちょいワルオヤジというコンセプト?があるらしいが、イタリアにいる間はすっかり忘れていた。
「ちょいワルオヤジ」なんてコンセプト、どこにもなかったし(笑)
「ちょいワルオヤジ」という言葉には「ワル」という言葉が入っているけれども、その「ワル」は、どこのどの人々を基準にした「ワル」なんだろう?
たしかに、イタリア人のおじさんやお兄さんには、日本でいわゆる「ちょいワル」ファッションの人々が一杯いる、というかみんなそうだ。つうか全員である。でも、別にその人たちが何かと比べて「ワル」いわけでないし、その服装に彼らは「ワル」とか「遊び人」とかそんなイメージは毛頭ないのではないか。単なる服装に対するセンスと「服を着ること」のとらえ方の日本との違いだ。
だから、日本でイタリア的なファッションセンスを「ワル」というのは、イタリア的な文化(説明は難しいけど、まあ、ああいう文化)を、戦後日本のサラリーマン文化の対極としてとらえていて、いままでのそれを「よい子」、そうではないイタリアのものを「ワル」とよぶ。
日本でいかにも「ちょいワル」なカッコしてる人は、イタリア的な考え方が根っこにある「本当のワル」では全然ないはずだ。
本当に「ワル」くなると、「ちょいワル」なんてコンセプトはなくなると思う。

ミラノで見たビジネスマンは、日頃からスーツsuckネクタイshitスーツなんて一切着ないおれが、ちょっとあこがれちゃうくらい、きちんとスーツを着ていた人が多かった、というか全員。
それは、スーツやワイシャツや革靴というものに対する、コンセプトが日本人とは違うからだろうと思う。イタリア人のスーツのコンセプトのことなど俺はよく知らないが。
あれは、暑かったら袖を短くしたりところかまわず上着を脱いだり前ボタン全部外したり、外へ出かけるときはワイシャツ一枚サンダル履きでオーケーになったりするような、そもそも体温を調節するための衣類ではないのだろう。
ちっともクールビズなんかではないが、あの人たちの民族衣装なんだから、しかたない。多少暑くたって上着は脱がないで我慢するだろう、それも彼らのビジネスの一部だ。
外国人が日本の着物なんて着て、左前だったり、ちょっと着崩れしちゃって、しかもTシャツなんか中に着込んじゃってたり、それは日本人が見るとちょっと変だぞ、かっこわるいし礼儀が成ってないぞ、不吉な印だぞ、どこかわからんけど見ため微妙に変だぞ、どう見ても外人だぞと思ったりするけれど、それは彼らの着物に対する考え方が違うから。
きちんとした場にはスーツを着ていく、ビジネスマンはスーツを着る、という決まり事を文化にしたいのなら、ものだけ持ってくるだけじゃいけないと思う。背広といわれるものは着ているけど、まるで腹巻きすててこでビジネスしているようなオヤジはたくさんいる。
とりあえずスーツだからいいだろうと変な背広のボタン全開でネクタイぷらぷらさせていくのだったら、一番自分が理解できてキまっていると思われるTシャツとジーンズで仕事に行った方がまだましだと思う。
だから、おれがいつもTシャツとジーンズでいるわけじゃないけどね・・・。

あ、それと、テポドン2?
なんなの?このワンダー?な気持ち(笑)
イタリア対ドイツ戦の途中でニュース速報が入って、一瞬どうなるか青ざめた。
で、もう一気にサッカー熱なんてしらけてしまって、後半見ずに就寝。

ついていない気がする。
給湯器がぶっ壊れた。帰国したよる、風呂をためようと思ったらいつまでたっても水しかでなかった。
荷物は届かないわ、湯は出ないわで、ここはインドか?

相変わらずアリタリアからは、「まだ荷物は見つかってません」とだけ。おまけに、「お客様の場合はヴェニスからのトランジットで・・・」などとすっとぼけたこと行っていやがる。ミラノから荷物あづけて直行便で成田に帰って来たっつうのに。
ちょっと電話して何日の何便の積み忘れの荷物がどこにあるかいつ到着するかくらい大急ぎで確認することくらいできないのかねえ。

一生懸命やってる、つもりなんだろうけど、どうも航空会社とか国際的なトランスポートに関する商業にはサービスに独特のゆるさを感じる。仕方ないじゃん、これが国際的な基準だから・・・みたいな。しっかりやったほうがいいとおもうよ。サービス業なんだから。しっかりやった会社にお客とられるだろうに。

まあ、こういうこともある。たぶん七時間の時差のどこかで少しなにかがひねられたんだろう。

イタリアでは浜中さんに借りた菊地成孔氏と大谷能生氏の東大でやったジャズ講義の記録本を読んでいた。非常に良くまとまった、というかまとめてしまった偽ジャズ史。だが非常に示唆に富んでいる。通史をでっちあげることでいま何をすべきかを知る。それだけが創作を継起させる、俺にとっては。
すべての芸術は音楽にあこがれる、ってだれかの言葉だったような気がするけれど、自分のコンセプトを説明すると貴、よく人からは、「ああ、ジャズのインプロのような・・」なんていわれるときがあって、かもしれないなあ・・とおもいながら、いや、それはちょっと違うんですけどね・・・と言葉を濁していたんだけど、それはモダンジャズの急激にたどった圧縮された音楽史にたいする畏れと、それに比して自分のやってることが何を今更といわれかねない自信のなさから来るものだった。
でも、あれ読んで、なんか吹っ切れる。ジャズにはヒントがありそうだ。

Dance and Mediaのカンファレンスのために、以前ZBBでやったCMp#2のシステムをアップグレードしなければいけない。あれはBIGEYEっていうOS9でしか動かないソフトを使った(そう、それとnatoも)。データのやりとりの部分に不安定なところも多く、もういちど一から構築し直してみることにする。あさってまでに。たいへんだな。動かなかったらごめんなさい。

九月にやるはちやまの新作[ c-e ]に取りかかりたいのだけれど・・・・

助成金の申請書類を提出した。うまく通ってくれるといいのだけれど・・・。通ってくれないと、すでに決定している六ヶ所に渡るヨーロッパツアーがパーだ。
しかし、時季が微妙にずれているフランクフルトとモナコ、航空運賃どうすんの・・・・。
モナコは別件でダンスフォーラムに応募して通れば確か旅費が出るとかなんとか、去年の募集要項に書いてあったようなきがするから、それでいこうか・・・・でも去年落とされてるし(笑)

どなたか投資してくださる方募集・・・。株でもやるか・・・・。

七月一日午後二時頃、無事帰宅しました。
いや、無事でないな。うちの奥さんのスーツケースが、まだ届いていません。コンテナ一つ積み忘れたようです。
アリタリア、suck。

結局、イタリア日記は書けませんでしたな。なかなかつなぐポイントもタイミングもなかった。
それに比べてインドのインターメット環境はなんだかんだいってすばらしいものがあります。インターネットカフェはごろごろあるし、意外なところにwifiがばっちりあったり。安いし。

本来何をしにいってきたかというと、ベネチアビエンナーレに参加するためです。ジャイと浜中さんとマチュウさんと一緒に作ったダンスパフォーマンス作品「プルシャルタ」を上演。
それは全日程の半分で、のこりは、ザ・観光。

一日目から細かく振り返って書いているときりがないので、忘れないためにメモ程度にあった事行ったとこ。

6月19日
浜中さん、松本さん、俺、俺の奥さん一行は一時頃成田からアリタリアでミラノへ。乗り継いで十時頃?十一時頃?ベネチア到着
マルコポーロ空港から船でボートでベネチア入り。セントラルカナルをすすみリアルト橋をくぐり、サンマルコの近くのホテルフェニーチェへ。ホテルでエリアムに会う。我々は近くの今風のバールでちょっとした食事と乾杯のあと就寝。

6月20日
朝八時、朝飯ミーティングの後、バポレットで劇場のある造船所跡のアルセナーレへ。三百人くらいはいるテアトロピッコロ。
仕込み、パスタ、仕込み。スタッフたちはナイスガイばかり。音担当のロック野郎エンリコともうまくやれそう。
床面壁面両プロジェクションなのに、ステージは1メートルも上がっている劇場で、前から三列ほどは床を見ることが不可能。後ろの方の席でも、床面を見下ろすことは不可能。図面でのやりとりで、困ったね、困ったな、とは行っていたが、三列つぶせばなんとかなるかと思っていたが、これは深刻な問題。

6月21日
仕込みやセッティングにそれほどかかる舞台じゃないので、この日は余裕でなおし、リハーサル、ランスルー。スウェーデンから照明助っ人のトーマス登場。浜中さんといっしょに新しい照明作り。基本はプロジェクションでてらす舞台だが、ダンサーに当てる明かりがないと舞台でごにょごにょ何やってるかわかんなかったところがばっちり見えるようになる。

6月22日
昼頃劇場入りして、仕込み、チェックなどのつづき、ランスルー。
夜七時?八時?から本番。劇場はほぼ満員。コンディションも最高。
途中、松本さんがあまりのアクションの激しさにサブミキサーの電源を蹴飛ばして音がとぎれるも内容はすばらしいものでした。
自画自賛。マチュ卯の演奏もやればやるほどよくなっていく。日本の皆さんにお聞かせしたいです。どこかでライブやらせてくれないかな・・・。
うちの奥さんは、浴衣で見に来てくれました。
終了後、劇場横のいつものピッツエリアで

6月23日
本番二日目。
昼間はかみさんと観光。船乗ってあちこち。ゴンドラに乗ろうとしたが、百二十ユーロという法外な値段なので、トラジェットという渡し船に乗ることでゴンドラ気分を味わうだけにする。
グッゲンハイムと、なんてとこかわすれたけどWHere are we going?という展覧会を見に行く。ジェフクーンズのでっかい風船プードルと村上隆さんの観音様がカナルに面してかなり目立つように設置されている。
夕方入りで、本番は九時から。こんな遅い時間にやっても、客は歩いて帰れるからいいよね。
内容は、今までで最高のできでした。
インドチームはジャイとエリアムをのぞいて朝四時起きでインドへフライト。本番終了後から数時間で帰りなんて・・・。
ほんと、どさまわり家業・・。

6月24日
起きると浜中さんはもうすでに取材旅行へ出発したあと。
松本さんはジョットの絵を見にパドヴァへ。
うちの夫婦とジャイ、エリアムとトーマスはフィレンツェへ昼頃出発。インドのワークショップで一緒にハードな三週間を過ごしたロレンゾに会いに行くため。
三時間くらいでとうちゃく。ロレンゾの指示に従って指定された住所へ行くとそこは廃ホテル?(営業してるのか?)。入り口で待っていると中からロレンゾが出てくる。なんと敷地内にでっかい庭を造って、彼のライフワークである「サウンドガーデン」のプレゼンテーションをしていた。敷地内にある事務所でしばらくゆっくりしたあと、フィレンツェのどこか丘の上にある公園に新しくサウンドガーデンを作っているのでそのオープニングへ。
その前にピザで腹ごなし。ヴェニスより全然うまい。ヴェニスの安飯suck。高いところは知らないけど・・・。
運良く、この日はフィレンツェの花火大会。というか、何かの記念日らしい。ロレンゾがみんなに説明してくれていたけど、聞いていなかった・・(笑)
マルコというロレンゾの友達のデザイナーを紹介してもらって彼のうちに二日間とめてもらうことに。
ドゥオモの近くで超便利。

6月25日
あさスーパーと99セントショップでちょっとハムやパンなど買い物して、マルコのうちで食い、そのまま昼寝してしまう。三時頃から観光開始。塔に上ったりドゥオモ見学したり。トーマスに電話して六時に待ち合わせて、マルコおすすめのサンスピリト地区へ。広場ではDJ屋台がでたりしていて若者がたむろしている。どうも夜な夜な若者たちはここへ集まって路上で酒を飲むのが習慣らしい。
トーマスとかみさんを深夜十二時近くまであれやこれやお話をしながら酒を飲む。

6月26日
午前中、どこ行ったか忘れたけど、観光から戻ってくると、ドアに手紙が挟んである。至急トーマスに連絡を請う。ピサへ向かうので駅に来い、とのこと。大急ぎで荷物まとめて駅へ。マルコのうちの目の前がHISのオフィスでたすかった。タクシーの電話番号もわからなかったのでとびこみ、タクシーを呼んでもらう。
冷房の効かない鈍行列車でピサまで。ジャイとエリアム、トーマス、と、うちの夫婦。ロレンゾがピサの近くに住んでいるらしく、そこまで迎えに来るという。
七時頃までピサ観光。斜塔です。
イタリア対オーストラリア戦があって、トッティがラストにフリーキックを決めて勝ったらしく、その瞬間町中から歓声が上がる。
ロレンゾの車で一時間くらい。トーマスマンの別荘なんかがあったという有名なビーチのあたりをぬけて、山間にある彼のうちへ。プール付きのすばらしいうちでちっこい娘たちと奥さんが迎えてくれる。
地ワイン飲んだりプールで泳いだりパスタくったりさんざんイタリア満喫してロレンゾのスタジオのソファで爆睡。

6月27日
朝、目の前の山に登るぞ、ってことになってトーマスとジャイとかみさんも一緒に出かけるが、ひとんちのプラム畑を抜けて道なき道を上っているうちにかみさんの足下が危うくなってきたので、我々は引き返す。ジャイと機関車トーマスは頂上まで。
頂上から山向こうを見渡すと広大な森、大理石の採掘跡が広がっていたという。残念。
昼食のあと、近くの小さな駅(Fonte dei Marmiだったと思う)におくってもらい、ミラノへ。
リグリアの海岸線を走る鈍行列車で、どの駅もどの駅もビーチ。
ジェノバで乗り換え、ということだったのだけれど、「ジェノバ」っていう駅がなく「ジェノバなんとか」というのが四つくらい。駅員にあわてて聞いてここで降りろ!というので、降りてみたら接続一時間待ち。
九時半にミラノ着。タクシーで浜中さんの親戚の渡辺さんが予約しておいてくれたホテルメンターナへ。
小腹が空いたのでピッツェリアでスパゲッティとニョッキを食す。それともちろんビール。うまい。イタリアなのにワイン、のんでないな(笑)

6月28日
朝から、ダ・ヴィンチの「最後の晩餐」を見に行こうとしたのだけれど、一月前から予約が必要だと言われ、電話をしてキャンセル状況を確認するも、無理。残念。だいたい団体の観光ツアーがびっちり予約をとってしまっているのだ。
仕方ないのでもう普通に寺参り。ショッピング。
七時に浜中さんと待ち合わせて、再会。サンロレンゾ近くのおすすめのレストランへ連れて行ってもらう。白ワイン。パスタ。そんで今回のイタリアで発見した家でブームのアーティチョークのなんだか知らんがマリネのようなもの。ローマ風とかなんとか。
サンロレンゾ前はものすごい若者の海。イタリアの若者はこういう広場へ夜な夜な出かけてビール瓶片手に社交するらしい。安上がりないい文化だ(笑)
しかし、教会からは文句が出てるらしい。ゴミはばらまくし、植え込みでねちゃうし(笑)
昼間行ってみたけど、この広場、ゴミ箱の数が半端じゃない。だいたい五メートルおきにでっかいゴミ箱が設置されている。

6月29日
この日もあさはダビンチへ電話。三十日の四時四十五分に一人だけキャンセルがでました・・・と。無理。朝、日本に帰ります。
この日は、一日実家へのおみやげ探し、と言うか、ウィンドウショッピング。スピーガ通りとか、有名なミラノファッションストリートを冷やかして歩く。冷やかすつもりが、イタリア人ビジネスマンたちのスーツの着こなしのかっこよさに恐縮しながら、悔しいなあ何でむね張って歩いてるのに日本人の俺は情けなく見えるんだろうか・・・・なんて、おもいながら。
夜は、渡辺さんのお宅に食事に招待されていたので、花とお菓子を買って、七時半くらいにうかがう。
亡くなられた旦那さん(浜中さんのおじさん?)が日本人の外交官だったらしく、日本語がお上手なかたで、日本から来るファッション関係の人達のガイドをしたりする仕事をしているらしい。
息子さんのミケーレさんも、きさくなとても感じのいい人。
まあ、あまり詳しいことは書きませんが、非常に良くしていただいて、大変感銘を受けました。礼儀を外していなかったろうか、心配(笑)

6月30日
昼頃、浜中さんがホテルへ迎えに来る。渡辺さん親子にも見送りに来ていただいた。
タクシーでミラノエクスプレスの駅へ。マルペンサ空港から直行便で帰国。

7月1日
妻の荷物が届かず。アリタリア・・・・。

さて、これからいろいろやらなければいけないことが・・・。
まず、助成金申請。が、今日締め切り。持って行かなくちゃ・・。
Dance and mediaのカンファレンス用の作品。[c-e]も。
そしてもちろんもう一つの本業の方も。

次のどさまわりは、フランクフルト、ボローニャ、ルブリン、デュッセルドルフ、ミュンヘン、モナコ・・・。

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