七月一日午後二時頃、無事帰宅しました。
いや、無事でないな。うちの奥さんのスーツケースが、まだ届いていません。コンテナ一つ積み忘れたようです。
アリタリア、suck。
結局、イタリア日記は書けませんでしたな。なかなかつなぐポイントもタイミングもなかった。
それに比べてインドのインターメット環境はなんだかんだいってすばらしいものがあります。インターネットカフェはごろごろあるし、意外なところにwifiがばっちりあったり。安いし。
本来何をしにいってきたかというと、ベネチアビエンナーレに参加するためです。ジャイと浜中さんとマチュウさんと一緒に作ったダンスパフォーマンス作品「プルシャルタ」を上演。
それは全日程の半分で、のこりは、ザ・観光。
一日目から細かく振り返って書いているときりがないので、忘れないためにメモ程度にあった事行ったとこ。
6月19日
浜中さん、松本さん、俺、俺の奥さん一行は一時頃成田からアリタリアでミラノへ。乗り継いで十時頃?十一時頃?ベネチア到着
マルコポーロ空港から船でボートでベネチア入り。セントラルカナルをすすみリアルト橋をくぐり、サンマルコの近くのホテルフェニーチェへ。ホテルでエリアムに会う。我々は近くの今風のバールでちょっとした食事と乾杯のあと就寝。
6月20日
朝八時、朝飯ミーティングの後、バポレットで劇場のある造船所跡のアルセナーレへ。三百人くらいはいるテアトロピッコロ。
仕込み、パスタ、仕込み。スタッフたちはナイスガイばかり。音担当のロック野郎エンリコともうまくやれそう。
床面壁面両プロジェクションなのに、ステージは1メートルも上がっている劇場で、前から三列ほどは床を見ることが不可能。後ろの方の席でも、床面を見下ろすことは不可能。図面でのやりとりで、困ったね、困ったな、とは行っていたが、三列つぶせばなんとかなるかと思っていたが、これは深刻な問題。
6月21日
仕込みやセッティングにそれほどかかる舞台じゃないので、この日は余裕でなおし、リハーサル、ランスルー。スウェーデンから照明助っ人のトーマス登場。浜中さんといっしょに新しい照明作り。基本はプロジェクションでてらす舞台だが、ダンサーに当てる明かりがないと舞台でごにょごにょ何やってるかわかんなかったところがばっちり見えるようになる。
6月22日
昼頃劇場入りして、仕込み、チェックなどのつづき、ランスルー。
夜七時?八時?から本番。劇場はほぼ満員。コンディションも最高。
途中、松本さんがあまりのアクションの激しさにサブミキサーの電源を蹴飛ばして音がとぎれるも内容はすばらしいものでした。
自画自賛。マチュ卯の演奏もやればやるほどよくなっていく。日本の皆さんにお聞かせしたいです。どこかでライブやらせてくれないかな・・・。
うちの奥さんは、浴衣で見に来てくれました。
終了後、劇場横のいつものピッツエリアで
6月23日
本番二日目。
昼間はかみさんと観光。船乗ってあちこち。ゴンドラに乗ろうとしたが、百二十ユーロという法外な値段なので、トラジェットという渡し船に乗ることでゴンドラ気分を味わうだけにする。
グッゲンハイムと、なんてとこかわすれたけどWHere are we going?という展覧会を見に行く。ジェフクーンズのでっかい風船プードルと村上隆さんの観音様がカナルに面してかなり目立つように設置されている。
夕方入りで、本番は九時から。こんな遅い時間にやっても、客は歩いて帰れるからいいよね。
内容は、今までで最高のできでした。
インドチームはジャイとエリアムをのぞいて朝四時起きでインドへフライト。本番終了後から数時間で帰りなんて・・・。
ほんと、どさまわり家業・・。
6月24日
起きると浜中さんはもうすでに取材旅行へ出発したあと。
松本さんはジョットの絵を見にパドヴァへ。
うちの夫婦とジャイ、エリアムとトーマスはフィレンツェへ昼頃出発。インドのワークショップで一緒にハードな三週間を過ごしたロレンゾに会いに行くため。
三時間くらいでとうちゃく。ロレンゾの指示に従って指定された住所へ行くとそこは廃ホテル?(営業してるのか?)。入り口で待っていると中からロレンゾが出てくる。なんと敷地内にでっかい庭を造って、彼のライフワークである「サウンドガーデン」のプレゼンテーションをしていた。敷地内にある事務所でしばらくゆっくりしたあと、フィレンツェのどこか丘の上にある公園に新しくサウンドガーデンを作っているのでそのオープニングへ。
その前にピザで腹ごなし。ヴェニスより全然うまい。ヴェニスの安飯suck。高いところは知らないけど・・・。
運良く、この日はフィレンツェの花火大会。というか、何かの記念日らしい。ロレンゾがみんなに説明してくれていたけど、聞いていなかった・・(笑)
マルコというロレンゾの友達のデザイナーを紹介してもらって彼のうちに二日間とめてもらうことに。
ドゥオモの近くで超便利。
6月25日
あさスーパーと99セントショップでちょっとハムやパンなど買い物して、マルコのうちで食い、そのまま昼寝してしまう。三時頃から観光開始。塔に上ったりドゥオモ見学したり。トーマスに電話して六時に待ち合わせて、マルコおすすめのサンスピリト地区へ。広場ではDJ屋台がでたりしていて若者がたむろしている。どうも夜な夜な若者たちはここへ集まって路上で酒を飲むのが習慣らしい。
トーマスとかみさんを深夜十二時近くまであれやこれやお話をしながら酒を飲む。
6月26日
午前中、どこ行ったか忘れたけど、観光から戻ってくると、ドアに手紙が挟んである。至急トーマスに連絡を請う。ピサへ向かうので駅に来い、とのこと。大急ぎで荷物まとめて駅へ。マルコのうちの目の前がHISのオフィスでたすかった。タクシーの電話番号もわからなかったのでとびこみ、タクシーを呼んでもらう。
冷房の効かない鈍行列車でピサまで。ジャイとエリアム、トーマス、と、うちの夫婦。ロレンゾがピサの近くに住んでいるらしく、そこまで迎えに来るという。
七時頃までピサ観光。斜塔です。
イタリア対オーストラリア戦があって、トッティがラストにフリーキックを決めて勝ったらしく、その瞬間町中から歓声が上がる。
ロレンゾの車で一時間くらい。トーマスマンの別荘なんかがあったという有名なビーチのあたりをぬけて、山間にある彼のうちへ。プール付きのすばらしいうちでちっこい娘たちと奥さんが迎えてくれる。
地ワイン飲んだりプールで泳いだりパスタくったりさんざんイタリア満喫してロレンゾのスタジオのソファで爆睡。
6月27日
朝、目の前の山に登るぞ、ってことになってトーマスとジャイとかみさんも一緒に出かけるが、ひとんちのプラム畑を抜けて道なき道を上っているうちにかみさんの足下が危うくなってきたので、我々は引き返す。ジャイと機関車トーマスは頂上まで。
頂上から山向こうを見渡すと広大な森、大理石の採掘跡が広がっていたという。残念。
昼食のあと、近くの小さな駅(Fonte dei Marmiだったと思う)におくってもらい、ミラノへ。
リグリアの海岸線を走る鈍行列車で、どの駅もどの駅もビーチ。
ジェノバで乗り換え、ということだったのだけれど、「ジェノバ」っていう駅がなく「ジェノバなんとか」というのが四つくらい。駅員にあわてて聞いてここで降りろ!というので、降りてみたら接続一時間待ち。
九時半にミラノ着。タクシーで浜中さんの親戚の渡辺さんが予約しておいてくれたホテルメンターナへ。
小腹が空いたのでピッツェリアでスパゲッティとニョッキを食す。それともちろんビール。うまい。イタリアなのにワイン、のんでないな(笑)
6月28日
朝から、ダ・ヴィンチの「最後の晩餐」を見に行こうとしたのだけれど、一月前から予約が必要だと言われ、電話をしてキャンセル状況を確認するも、無理。残念。だいたい団体の観光ツアーがびっちり予約をとってしまっているのだ。
仕方ないのでもう普通に寺参り。ショッピング。
七時に浜中さんと待ち合わせて、再会。サンロレンゾ近くのおすすめのレストランへ連れて行ってもらう。白ワイン。パスタ。そんで今回のイタリアで発見した家でブームのアーティチョークのなんだか知らんがマリネのようなもの。ローマ風とかなんとか。
サンロレンゾ前はものすごい若者の海。イタリアの若者はこういう広場へ夜な夜な出かけてビール瓶片手に社交するらしい。安上がりないい文化だ(笑)
しかし、教会からは文句が出てるらしい。ゴミはばらまくし、植え込みでねちゃうし(笑)
昼間行ってみたけど、この広場、ゴミ箱の数が半端じゃない。だいたい五メートルおきにでっかいゴミ箱が設置されている。
6月29日
この日もあさはダビンチへ電話。三十日の四時四十五分に一人だけキャンセルがでました・・・と。無理。朝、日本に帰ります。
この日は、一日実家へのおみやげ探し、と言うか、ウィンドウショッピング。スピーガ通りとか、有名なミラノファッションストリートを冷やかして歩く。冷やかすつもりが、イタリア人ビジネスマンたちのスーツの着こなしのかっこよさに恐縮しながら、悔しいなあ何でむね張って歩いてるのに日本人の俺は情けなく見えるんだろうか・・・・なんて、おもいながら。
夜は、渡辺さんのお宅に食事に招待されていたので、花とお菓子を買って、七時半くらいにうかがう。
亡くなられた旦那さん(浜中さんのおじさん?)が日本人の外交官だったらしく、日本語がお上手なかたで、日本から来るファッション関係の人達のガイドをしたりする仕事をしているらしい。
息子さんのミケーレさんも、きさくなとても感じのいい人。
まあ、あまり詳しいことは書きませんが、非常に良くしていただいて、大変感銘を受けました。礼儀を外していなかったろうか、心配(笑)
6月30日
昼頃、浜中さんがホテルへ迎えに来る。渡辺さん親子にも見送りに来ていただいた。
タクシーでミラノエクスプレスの駅へ。マルペンサ空港から直行便で帰国。
7月1日
妻の荷物が届かず。アリタリア・・・・。
さて、これからいろいろやらなければいけないことが・・・。
まず、助成金申請。が、今日締め切り。持って行かなくちゃ・・。
Dance and mediaのカンファレンス用の作品。[c-e]も。
そしてもちろんもう一つの本業の方も。
次のどさまわりは、フランクフルト、ボローニャ、ルブリン、デュッセルドルフ、ミュンヘン、モナコ・・・。


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