ブレーキは停止線のの50メートル手前から

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忙しいときに限って、毎日こういうところに書いてみたりする。で、書くこともない。世の中の問題に対する意見とか、気の利いたことを言うつもりもないし、今俺にそんなことをきいても「こわいねえ」とか「どうかねえ」とか「いやだいやだ」くらいしか返ってきませんよ。好きな音楽のこときいたって「ああ、いいねえあれは」とか「いいんじゃない」とか。

以前nestのSFというパフォーマンス作品で使ったチャリンコを四谷飯田橋往復の交通手段に使っているんだが、そいつはもうすさまじくへたれなチャリンコで、俺以外の人間にはとうていコントロール不可能なくらい乗るのにコツがいるスクラップである。
まず、ブレーキがやばい。効かない。思い通りのタイミングでとまるためには俺にしかわからない操作が必要である。それにフレームが曲がっている。まるで職人が長年使い込んだ道具のように、俺の体の曲がり具合と一体化しているし、また俺の体はこのチャリンコにあわせて神経システムを発達させた。水中に住む生物がほ乳類であろうと魚類であろうと同じような流線型になり同じような動きを生み出してきたように俺とこのチャリンコは全く自然に存在する。

しかし、あまりにもあんまりなので、ちょっくらブレーキングにあまりコツがいらないように修理しようと努力。ちょっとグリップのゴムを車輪によく食いつくようにした、つもり。しかし、かえりみち、ペダルがやたら思い。ゴムが車輪に当たりっぱなしになっていて、つねに前輪のブレーキがきいた状態である。直す工具がないので、頑張ってこいでかえった。

とても疲れました。

眠い、眠い、眠い。ちょっと一時間くらいねてもいいでしょうか?
別に徹夜したとか、人一倍根を詰めたというわけではないんですが。

あ、意見とかそんなもんじゃないんだけど、最近思うこと。ねむいのに・・・やめるか・・・。でも・・・。
適当にウェブ見てて目に付く言論の傾向なんだけど、最近おかしくない?
すぐになんか極端な方向にどどどっと流れていく。ウェブにはいろんな意見が平等にあって・・・みたいなのは幻想だということはわかってるけど、声が大きいやつの意見が目立つのはウェブでも一緒で・・・。しかも匿名だから、平気でものすごいこと言いっぱなしにするし。
建て前と本音のつかいわけは、コミュニケーションでは重要なテクニックで、ちょっと極端な信条を持っている人だって、世間的常識と駆け引きしながらうまく自己主張をして、突発的な感情的諍いが起きないようにバランスをとってきた。それがウェブでは出来てない。ものすごく炎上しちゃったりするブログとかスレッド・・・。
内輪で炎上しているならまだいいけど、たとえば人種差別的発言とかはやばいだろうとおもう。そんなこと考えてもいなかった人が、一気にそんな大声に同調していく。で、そういう偏った意見がなんだか世間の本流であるように錯覚していく。で、それを外部の人達が見る。感情的に反応する。ループ。
北朝鮮の核の問題で、若い人(若い人かどうか知らんが、それを見てなるほどと思う無知な若い人が大勢いるのは確かだ)が「広島、長崎?そんな昔のこと知ったことか、そんなのほんとにあった事かどうかもわからん。それより日本だって核持たないとやられちゃうぞ」みたいな書き込みを大量にしてるのを見ると、背筋が凍る。
無責任な。死にたいのか?次の世代の子供たちを死なせたいのか?それぞれはどういう信条を持っててもいいよ。でも、未来の人達に負担をかけないでほしいな。とおもいます。

ねむいな。

しかし、ウェブ、わけわからん。全米ナンバーワン!とか全米が驚愕!とか映画の宣伝によくあるけど、そもそもその全米ってどこだよ?NYとLAのことか?ネブラスカか?テキサスか?ユタもいれるのか?とか、そもそも全米の感性ってのが信じられねえだろ、みたいな感じで、どうも信用出来ない。ネット投票とか。
それとはちょっと違うか。

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このページは、matsuoが2006年10月17日 10:30に書いたブログ記事です。

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