脇坂が日本語を中国語訳してくれと頼んできた。
そんなもん俺に出来るか、中国語なんてしらね・・・・いや待て、俺、大学で中国文学専攻してた、と言う事実を思い出し、まあちょっと勉強し直せば何とか思い出したりして・・・・と思ったんだが、それより当時のご学友にあたってみれば何とかなるんではないか、あれだけ優秀な人材がそろっていたのだから・・・、と、親しかった友の名前をネットで検索してみた。
その翻訳の件はそのあとすぐに解決したようで、結局俺の出る幕はなかったんだが・・・、
でた。でました。A.F.の名前が。いましたよ、上海に。そういえば、何年かまえ、いや何年も前にT.M.にあいつは上海にいるんじゃないだろうか・・・・ときいた覚えがあった。でも何やってんだろう上海で。和平飯店でサックス吹いてるのか・・?とか、おもってたら、立派なIT会社を経営してたよ(笑)
卒業の時期は忙しくて、なんだかどういうわけで連絡しあわなくなったか思い出せないが、彼は野方、俺は都立家政に住んでいて、よく深夜に互いの部屋を行ったり来たりしながら酒飲んだりレポートについて話し合ったり(実際に何やってたのか思い出せないが)まあ、中文仲間の中でも親しかったわけだ。
早速メールしてみる。
話したいことはいっぱいある。十五年だもの。だからこそ言葉少ないやりとりにもなる。
そうだ、インターネットもウェブも携帯もポケベルもワープロもなかったな、あのころは。
だから、酒飲んで馬鹿話して、余った時間に本読んだり映画見たりぶらぶらしながら悶々としたりしていた。
わかんないことがあったら今はグーグルだけど、ほんのちょっとしたことでも本気で知りたいことは、本気で教えてくれるところに飛び込むか図書館に行って調べるか、電話で知ってそうなやつに聞きまくるか、わすれるか・・・。
今、お互いにコンピュータがないと仕事にならない仕事をしている。あれだけの時間の我々の会話の中に、インターネット、メールという単語はもちろん、多分、ポケベル、携帯電話、コンピューター、という単語さえ登場はしなかっただろう。マイルス、コルトレーン、モンク、竹中直人のイエローページなんて言葉は大量に出てきたんだが。
そういえば、そのころ俺はマイブラとかプライマルとかストーンローゼズとかダイナソーJRとか、そんなロックばかり聴いていて、持ってるジャズのCDはビッチェスブリュと至上の愛とラウンドアバウトミッドナイトだけだった。
かれは、ジャズ研でサックスを吹いていて、ジャズのレコードを大量に持っていた。
一度、彼にジャズのどこがいいのかわからん、そもそも、どういう構造になっているんだ?どうやって作るんだ?ときいたら、どのレコードを聴いてる?っていうから、「ビッチェスブリュ」と「至上の愛」とこたえたら、「そんなもんいきなり聴いても構造なんてわかんねえよ」といわれ、「ああ、ジャズは深いんだなあ、俺にはこの男が理解できている物が見えていないんだなあ・・・」と、寂しい思いをしたことがある。
彼は確か俺より二つ年上だった。


ごめんよー。でもまた頼むかもよ(脅)。
大学時代の友人とかのことを思い出してみたりできてよかったよ。
それだけでも頼んでみた価値あったわ。
都立家政、懐かしいです。
また飲みましょう。