2006年11月アーカイブ

今日、勤労感謝の日は一日中ねていようと思っていたのだけれど、さっき注文しておいたコンタクトレンズを届ける郵便屋さんに起こされた。夢を見ていた。覚えていない。
最近(この四〜五日)よく夢を見る。よく、というか、必ず見ている。内容は覚えている物と覚えていない物がはっきりとしている。覚えている物は、しっかりとしたストーリーがあり、今でもリアルな体験のように思い出せる。
あまりうまく眠れていないようだ。
日中も、ものすごく眠くなる。まぶたが重く、乾く。自分では寝ていないつもりが、夢のような物を見ているのに気がついて、あ、おれ今ねていたな・・・と気がつく、とか、脈絡のない非現実的なことをじっと考えてしまっていたりする。たとえば・・・どれも思い出せないが、たとえば、ボルトをナットにはめるための潤滑油として一番適していると思われる食品は何か・・・みたいなことを、うとうとしながら執拗に考えているようである。一日に何度もである。
病院に行った方がいいのかも知れないし、これはただ疲れているだけなのかも知れない。
これはただ疲れているかも知れないと思ったので、そんなに脳が寝たいといっているのなら、一日寝せてやろうと思ったのだけれど、今起きてしまった。
起きてしまったら、何本かメールを書かなければいけない用をおもだして、そいつをやっつけようとコンピュータに向かったら、書く気が起きず・・・といっても、これをだらだら書くようなのはヒーリング(笑)なので、これから・・・・
書かなければいけないメールはめんどくさい内容の英文である。時間がかかるし面倒くさい。
英語の勉強をきちんとしたい。便利な言い回しとか、覚えたい・・・。

人の夢の内容を聞かされるのほどどうでもいいおつきあいはないが、なんか衝撃的だったので、一つ書いておく。もちろん、ものすごく脈絡のない、だらだらと長い物なのだけれど、少し配慮してかいつまんで短く記す。
夢ここから↓
俺とうちのかみさんは、あと十六時間かそこらで”世界の終わり”である事を知っている。知っているにもかかわらず、知らない街を歩いていて、さらに家への帰り方もわからないために(俺はあきらめている。彼女はどうだろうか)、商店街を冷やかしてたらたら歩くことしかすることがない。おかしいのはどの道も子供の頃から良く知っている道のようにもみえるのだけれど、そこの角を曲がるとこうなっているだろうという予想がことごとく外れるのだ。だから、ここは俺の知らない街なんだろうと思う。
かみさんが、なぜか小さなガード下のトンネルをくぐったすぐのところにある駄菓子屋の店先のアイスクリームの冷凍ボックスから不思議なアイスクリームを見つける。それは質の悪いグレーの紙に包まれた三〜四本のアイスキャンディーである。ビーディーの束を大きくしたような感じだ。「あ、これ、インドでよく食べたね」「ああ、食べたかも。うまかったねえ。これ日本でも売るようになったんだねえ、みんなに教えたいねえ・・・でも見た目が悪いから気持ち悪がるだろうねえ、うまいのにねえ・・」とかなんとかいう会話のあと、でも、世界は終わるんだな・・・。世界が終わるというのに、彼女はそれにリアリティーを感じていないのか、それとも、そんなことは重々知りつつこうも無邪気に不振る舞っているのか・・・」とおもう。
ここまで

オレンジ色というのか黄色というのか、どうしようもないジャケットにビートルズとかラブと書いてあって、ビートルズの新作だという代物が発売されていて、ポールとリンゴだけでビートルズはねえだろバカじゃねえのか・・・と思いつつも気になって調べてみたら、シルクドソレイユがラスベガスでやる見せ物のためにジョージマーティン親子がビートルズの曲をコラージュして作ったサウンドトラックだという。新作の定義がその業界でどういう物なのか知らんが、ジョージマーティンはビートルズじゃないし、ましてやその息子もビートルズじゃないし、オノヨーコさんがいいよと言おうが、ポールマッカートニーがいいねえと言おうが、それはビートルズの新作じゃないと思うんだが・・・。「新作」って書くな。
フリーアズアバードみたいなやり方なら、ああこれ新作っていってもいいかもなあ、とおもうけど。

大学時代にお世話になった鹿瀬島正剛兄から突然メールが来た。webで検索してこれを見つけたのでメールしてくれたらしい。
彼とはおれが大学一年の冬に出会った。彼の脚本演出の芝居にでることになったのがきっかけである。(ここまでの経緯は複雑なので省略)
アートシアター新宿という今はもうない小さな芝居小屋だった。そのときの記憶は、実はあまり鮮明ではない。
某北村氏(お兄ちゃんのほう)や斉藤ラーメン氏の主宰する劇団倭人プロダクションという小劇団のしかも新人公演という扱いだったのが、芝居のできが悪いこれでは我々の新人公演と言ってはならん!みたいな事で彼らに突き放され、その公演のために新劇団を鹿瀬島正剛兄たちと立ち上げたというながれがあったような・・・。
何しろ、右も左もわかっていなかった。右も左もわかっていない学生劇団の中で、さらに右も左もわかっていないんだから、それはそれは目も当てられない。
これが生まれて初めての舞台作品だった。あれからはじまったのだ。
で、おれは未だに終わらせることが出来ていない。

熊本の男らしく意志の強い人だった。それでいて内省的で繊細な人だった。
俺は長男だったし、それまで先輩という存在にも恵まれていなかったから、はじめて兄貴が出来てうれしかったんだと思う。大学に入ってただぶらぶらしていた心ははしゃいだ。がさつで自己中心的で不勉強で怠惰な19才の俺(今まであんなひどい19才は俺以外に知らない)に、良くつきあってくれたと思う。
彼は当時荻窪の死ぬほどたばこ臭いぼろアパートに住んでいて、崩壊寸前のポンコツな信用金庫の営業車みたいな白い軽自動車にのっていた。そのポンコツは環七の荻窪の坂を登り切ることが出来なかった。彼のいない間に、鍵のかからない二階の窓から忍び込んで仲間たちと酒を呑みながら鹿瀬島兄の帰りを待っていたこともある。
彼の台本は青臭かったが前向きな意思とユーモアがあった。原稿用紙にかかれた特長ある手書きの字は今でも鮮明に覚えている。

彼にははじめから目指す物があったのだとおもう。
”カセちゃん”はあのあと芝居をしばらく続けたが、司法試験合格を目指すために芝居から足を洗った。
俺はそのころこう感じたことを良く覚えている。「おれは弁護士になろうと思ったことなど生まれてから一度もなかった。それがどういう気持ちなのか、想像も出来ない。弁護士だけではなく、何者かに成っている自分が全く想像できない。俺には想像力がないのだ、たぶん。このまま舞台を続けなければなに者にも成らずに死ぬんだろう。それにたぶん、このまま舞台を続けても、舞台の世界で何者かに成ることは出来ないんだろう。この世界でずっと続けて何者かに成っている俺も想像することができないのだから。俺には何か目標をイメージしてそれに向かって進む能力が欠如している」という焦燥感。

彼のその後はずっと気になっていたが、そのころのつながりはいまでは遠く、なかなか情報が入ってこなかった。
(あの人やあの人はどうしてるんだろう?)

いま、鹿瀬島兄は熊本でリーガル・プロという弁護士事務所を開いている。熊本へ行って、こまったことがあったら、駆け込むところが出来た(笑)
弁護士法人リーガル・プロ
弁護士紹介ページ下「女性アシスタントも皆様のお越しをお待ち致しております」と、その横で変な踊りを踊る粘土アニメに、相変わらずのアホセンスを感じる。
しかし、彼が東京で困ったことがあっても俺はまだあんまり役に立たないのは申し訳ない。
まあ、そんなもんだ、兄貴分と弟分の行く末なんて。

12月7日に東京へ来るという。もちろん呑みに行くつもりだ。

富山公演がおわって、ボローニャから続いたツアーも一段落。今日は雨なので外に出ずに、雨なのに洗濯したり、つまらないのにテレビで映画見たりしてごろごろしている。ああ、まだ掃除機をかけていなかった。やるか。

で、掃除機をかけてきた。

富山へは始めていったのだけれど、富山のどこが富山かわからないまま帰ってきた。
みんなとは一日遅れで富山に入る事になっていた俺はあさ9時半の新幹線に乗り遅れ、次の便で一時間予定より遅れて一時半頃到着。しかし、ついてもまだなにも出来ることはなく、四時まで中華屋で餃子食って時間をつぶす。
そのあと劇場で二時間ほどセッティングして、仕事はほぼ終了。そのあとみんなで軽く通してみる。長らくやっていなかったので勘を取り戻すことに気合いを入れて六時頃終了。ひらさんと瀬田君とハチヤマ四人でホテルの近所のうまそうな居酒屋へ繰り出し、ぶりと白エビの刺身とホタルイカの黒作りを肴に店のオヤジがラジカセで流してくれたおわら風の盆の淫猥なリズムを聴きながら地酒を飲み比べた。十分富山的か(笑)
でもホテルは駅前だし劇場は駅を挟んで向こう側だし、便利なことは便利だけれど、感じとしては国分寺あたりに来たのとあんまりかわらない。
昨日、本番当日は一度通したあと、ものすごく大量のスタッフの動きに押し流されるかのようにいつのまにか本番。短編数作品を並べたオムニバスのトップでしかもたった十五分の作品なので、あっという間に終わり、他の作品の上演中にあっという間にバラシ、あっという間に劇場を出て、ひらさんとハチヤマと飯食って酒飲んで、俺は夕方5時の電車で帰ってきた。残る彼らはもう一泊するらしいのでまだ明るいうちからガンガン飲んでる。瀬田君は金沢へ美術館を見学に、いってしまった。

しかし、あのものすごい量の現場スタッフの数、何なんだろうか?すくなくとも二十人(いやもっとか・・・それでも新国の時よりはさすがに少ない)舞台上で動いている。五人で良くない?なんて思ってたけど(笑)・・・転換が多いからそれなりに人は必要だろうけど、それにしても、モニタースピーカー一台に五人のスタッフがたかっているのにはビビッた。いつものように機材をテーブルに広げると、ばばばっとスタッフが集まってきて、ケーブルを刺したり抜いたり。まるで手術台にねていて次から次へといろんなチューブがつっこまれていくような。音も映像も一緒に話しかけてくるもんだから、片手で映像のセッティングをしながら、音響の方の質問に答え、ケーブル引き回す係の人のために足下を気にしているというすさまじい状況。もうちょっと落ち着いてやってもあんまり時間的には変わらないし、確実だし、何より精神的にリラックスできると思うんだけど。
さらに、舞台に上がるタイミングからキューのだされ方からいつもは自分で決めてスタッフに指示することがいつの間にか「では、こういたしますので、よろしくお願いいたします」という風に決まっていく。恐るべし日本の舞台スタッフ。

しかも時々険のある言葉が飛び交う。あれでは出演者の方がびびって気後れしてしまう。あれはなんとかならんものだろうか?どうでもいいことを嫌みたっぷりに、でかい声で怒鳴るのはやめてほしいなあと常々思う。あれでは後輩も自分で考えて行動することが出来ないではないか?自分が人を使う立場になってからやっとリラックスして自分で考えて進行することが出来るようになるんではいかんと思うけど、どうだろうか・・・・。萎縮してしまったらパワーがでないじゃないか。人が多すぎるのが悪い。五人で十分でない理由があるんだろうが・・・。
ヨーロッパのツアー先のスタッフを見ていると作品のために判断して行動していてとても作品に近いところでいっしょにつくってる感じがするが、日本のスタッフは現場の監督に怒られないために行動しているような感じがある。
でも舞台に携わる仕事にそういう傾向の人が集まるというわけではなくて、あれは、その世界がそういう物だと思っている伝統があるからではないか。俺も学生の頃から舞台に関する仕事してるけど、怖い人たくさん見てきた。コワい人を見て育った人が、こういうものだと思ってまたコワくなって、それを見た後輩がそれを踏襲していく、と。舞台で、仕事中に、嫌み混じりの怒号を、発してもいいんだと。それが常識になってしまったんだな・・・。
おれの関わる現場では、それ禁止。


そういえば、ぶっ壊れた外付けハードディスクの変わりを買わんとなあ、と考えていたら、iPod80GB・・・・?と言う選択肢が頭をよぎった。iPodもぶっ壊れたし、外付けハードなんていつ必要になるかワカンナイので一応持ち歩くようなちょっとしたデータを持ち歩いたり移動したりするときに使うのが主目的だし三〜四十ギガあれば十分だし、音楽データをラップトップ本体に入れておくとかさばるので外付けに入れておくことにしてたし・・・それじゃあ、iPodじゃんか、買うべき物は・・・・。でも、今月は賃貸契約の更新もあるし・・・・。
あ、ツアー先ではずっと舞台上にpowerbook二台開いてアップルの宣伝屋みたいだったし、こういうのをやるにはやっぱりアップルのコンピュータがいいのかという質問をたまにされるけど、そのつど「もちろんアップルだ、それ以外は糞だ」と答えているんですが・・・・
アップルさん、iPodください。


あせった・・・持ち歩いていた外付けのハードディスクがお釈迦になった。
どたばたと三台のマックを行ったり来たりしているうちに、時差ボケからか、足下がよろついてこけてしまったついでにケーブルに引っかかってしまったのだ・・・・。しゅーしゅー言いながら高速回転しているハードディスクは、がんっとおとをさせて何かにぶつかった。
はじめは、何だよ、落としちゃったよ・・・位にしか思っていないおまぬけな認識だったが、うへえ・・・もしかして、これは一大事じゃないのか・・・・?と。案の定、データを移そうとしてもちっともコピー中のステイタスバーが進まん。
確かちゃんとバックアップとってあったはず・・・・
作業を中断して急いで帰宅。二時半。
250Gのハードディスクをつないでみるとそこにはがらくたと写真データとmp3だらけ。うげーうげーうげー、と泣きそうになるが、もういちだい300Gを買ったことを思い出す。
あった・・・・・
しあわせ。

ちょうど、パワーブックはツアー用にディスクスペースを空けておいたところだったし、もしバックアップとってなかったら、なーんにも残らないところだった。

でも、なーんにも残らなくて清々するかもなあ・・・とも、帰りにチャリンコとばしながらちょっと思った。

あ、もちろん[c-e]とプルシャルタも無事です。

トーマスと一緒に、ポーランドで120Gのサムソン2.5インチ外付けドライブかっといても良かったなあ・・・ケース込み400ズウォティで。15000円くらい?それって安くない?

昨日の朝、帰国。
風邪をひいてしまったようだ。2〜3日寝込みたいところだけれど、そんなことは言っていられないな。
明後日は富山で[c-e]の公演なのでその準備もしなければいけないし、今日と明日でこの三週間分の仕事の遅れを取り戻さなければいけない・・・・(笑)いろいろ細かい仕事もある。チケットとったり。お金のやりくりしたり。
まあ、ちょっとその前に・・・忘れないうちに最後のデュッセルドルフの辺りのことをメモしておく。あ、ルブリン公演のことも書いてなかったか・・・。

ルブリンでは、到着後から三日間ほぼやることなかった。まあ、そんなわけで、特に観光意欲もないわれわれはホテルでズブロッカ飲んでいたわけですが、マイダネクにいったのは前述の通りです。それが出来ただけでもポーランドへ行った意味があったと思えるくらいの経験でした。
本番前日の夜、ポールテイラーダンスカンパニーの公演後、深夜まで基本的な舞台作り。会場が劇場と言うよりはレクチャーホールのようなところなので、舞台にトラスを組んで仕込む。状況としてはワースト。スタッフはムハトハーレには比べられないけれど、なかなか頑張ってくれていた。プロジェクター担当の兄ちゃんは英語が全くと言っていいほど話せないのだけれど、それ故か、なにも言わなくても一度指示しただけで全部が滞りなくすすみ一が十になって帰ってくる。仕事が速い。技術力をもって言葉の壁を埋める。それが彼のやり方なのだろう。しかし、タイムカウントモニター用のテレビをおばあちゃんの部屋から借りてきたのには笑った(笑)
当初は最悪と思っていた公演は(もちろんそれなりではあるが)なかなかうまくいった。会場の制約で、床面プロジェクションが弱かったのは残念だけれど。
公演後、ホテルでバーカウンターのブロンドのかわいいお姉さん(むちゃむちゃかわいいんですよ。で、時々きつそうなワイシャツの胸のボタンがはじけてとれちゃってちらりと見えるんだよ(笑)知ってた?浜中さん)をながめながらサティヤやサーガたちとビールで乾杯したあと、三時間ほどねて、深夜三時半にデュッセルドルフへ出発。

デュッセルドルフでは中央駅近くのホリデーインに宿泊。またまたトーマスと同室。もちろん飯はいつも一緒にドナーケバブ。「俺はドイツでなにが食いたいかって?・・・ドナー。もちろんドナーだ。スパゲッティでもドイツ料理でもないんだ、ドナーが食いたいんだ。終わったらドナーストリートへ行ってドナーを食おうな?」
だいたい飯の半分はドナーだったか・・・(笑)まあいいけど。確かに、肉と芋とザワークラフとが一皿にてんこ盛りになっている飯を一日三食くうよりはいい。

劇場は歩いて五分くらいの、NPOがやってるタンツハウスというところ。ここがすばらしいところで、いくつものスタジオに劇場が二つ。子供からお年寄りまで、ガキ向けヒップホップから社交ダンスまでをカバーするクラスにたくさんの人達が出入りしている。コミュニティーの大きさもうかがい知れる。
会場となった大きい方のホールはムハトハーレを凌駕するベストな環境。そしてベストなテクニシャンたち。おもしろくて仕事も速い。もう、ドイツ以外ではやりたくなくなったほどドイツの劇場スタッフはちゃんと仕事をする。盆もフランクフルトもミュンヘンもデュッセルドルフも、質は一定のレベルをきちんとクリアしている。
ドイツ人のすばらしいところは、アイデアや工夫がきちんと積み重なり、蓄積され、その結果として問題への対応が非常に的確で早いところだ。それは彼らのつかう道具に反映され、劇場設備に反映されている。たとえば、これはつまらないたとえに聞こえるかも知れないけれど、高いところへ届く長い竿がすでに用意されているようなことだ。ドイツ以外だったら、その都度どうするか大騒ぎになって半日もかけて急ごしらえで対処し、終わればそんな騒ぎは忘れられ作られた長い竿は改良されることもなく捨てられる。そこで手を抜かないのがドイツの工業製品の優れている理由の一つだ。
デュッセルドルフ公演は今までで一番の好条件の元、ベストの上演が出来たとおもう。残念だったのは、観客が満席ではなかったことだけど。

デュッセルドルフでは、クビライカーンインベスティゲイションというグループと、ベルギーのなんと言ったか忘れたが女性のアーティストのパフォーマンスを見る。前者は日本人の女性二人が大きな役目を負っていた。日本の女性コンテンポラリーダンスグループ的なセントとテイスト。ガーリー。後者は、全編全裸の男女二人組によるなにやら挑発的なパフォーマンス。プロジェクションのアイデアはおもしろかったが、メッセージ性が強い割に掘り下げ度が低かったように思う。全裸で真摯さの態度表明をしているほど、演出からは真摯さが伝わってこなかった。少し、紋切り型すぎたか。思いが強ければいいって物ではない。心で泣いていても、顔で泣いていなければ、他者には彼が泣いていることは伝わらないのだ。何かを伝えようとしてパフォーマンスをするのであれば。

フランシスベーコンの展覧会が開かれていたのでみる。百六十点あまりの巨大なベーコンの作品を一度に見たあと、ピカソからボイス、クレーの膨大なコレクションにリヒターの立ちくらみそうな作品群を見通してみて、一日に芸術作品は一つか二つで十分だな・・・・・と結論づけた。トーマスと一緒にケバブ食いながら。

帰りは、またまた早朝六時にトーマスにたたき起こされ、またいつか会う約束をして(彼はモナコへは来ない)部屋をでて、空港へ。なんだか十五時間くらい飛行機に乗ってうちに帰ってきた。

今回のツアーは、たぶん、なんかいい経験になったような気がする。

十二月はモナコ。


いまデュッセルドルフにいます。今日が最終日です。
問題はありません。ホリデーインのwifiが高いので詳細はあとで。

Majdanek

ルブリンに来て三日目になるが、実は毎日あまりすることがない。一日一度スタッフと会って打ち合わせをする程度。昨晩、初めて劇場へ行った。いかにも共産圏のホールという感じである。共産党の地区大会とかが始まりそうな雰囲気。

ルブリンに関してはwikipediaをさっと通して読んでいただけなので、あの施設がここにあるとは思っていなかった。Majdanek強制収容所。
オシフェンチム(アウシュビッツ)強制収容所に次ぐ規模のナチスによるユダヤ人強制収容所である。

http://www.majdanek.pl/en/

松本さんと浜中さん、トーマスと一緒に今朝行ってきた。
たったいまさっき見てきたばかりなのだ。
巨大な遺灰の山の前で、なにを言えばいいのだろうか・・・。

俺の頭にはまだ、「おいおい、まじかよ〜・・・・やべーよ〜まじかよ〜、いや、ヤベーどころじゃねーよ〜、まずいなーなんなんだよこれ〜」くらいしか浮かばないのだ。足先から力が変な風にぬけていく。

とにかく・・・・
ご冥福をお祈りいたします。

DSCF2233.JPG

ミュンヘン四日目。十一月四日土曜日。
昨日はムハトハーレでの初日公演。終了後は昨日から合流したトーマスとインド料理屋へ行ってカレー食ったので、直接観客の反応をきく機会はなかったんだが、どうもやはり音のでかさとダンスのバランスに関しての意見が多かったようだ。今日は少しボリュームを下げなければ・・・。

今までの公演では、幸か不幸か、あそこまでクリアでパワーのあるシステムがなかったために、結構オーソドックスな質感のダンスとのバランスがとれていたのだろう。しかし当初のイメージに忠実な音と映像をあわせてみると、やはり考え方の違いが明白になってきてしまう。

プロジェクションに関してもそうで、パフォーマーとプロジェクションとLEDを含めたトータルなビジュアルデザインを目指していたプロトタイプからはずいぶんかけ離れた、ダンス主体の作品になってしまっている。逆から見れば、プロジェクションと音楽主体の作品になってしまっているということでもあるのだけれど。
ダンス主体、というか、ジャイは我々の目の届かないところで作った六十分バージョンの振付のプロセスにおいてダンス以外の要素を情報としてとらえていなかったのだ。

映像との絡みは無理もないとしても、音楽さえ聴いていなかったかのようだ。
ダンサーたちも不思議なことにどんなに音楽や映像のグルーブ感が上がっても、全く反応することなく淡々と、決められた振りをノングルーブにつなげている。
ジャイにはサウンドと映像を全面的に押し出した作品は今のトレンドとしては各国のフェスティバルに受けがいい、という戦略的ビジョンはあるのだけれど、実際に彼の感性にそれらのメディアが振付と同等の情報としてとらえることが出来るか、というと、そうではないのだろう。

作り手のジャイでさえそうなのであれば、観客の中には目の前で起こる出来事の中で人物の動きのみを情報としてとらえ、それ以外のサウンドやプロジェクションなどの要素をただのノイズとしかとらえることが出来ない人もいるのではないか、とさえ思う。
コンサートへ行けば音楽しか聴くことが出来ない、ダンスを見ればダンスしか鑑賞することが出来ない、という頭があるのかもしれない。

ただ、あの音を聴くためには多少普段からそれに慣れ親しんだノイズ耳が必要かも知れない。だから、ただうるさいだけという観客がでるのは当たり前なんだけれど。

しかし、気にしすぎだ。堂々としていればいいのに。
年寄りのプレス関係者になにを言われようとかまわない、これでいいのだ・・・という態度はやはりジャイには難しいのだろうか。

ところで「プロジェクションと音楽は今まで以上にブリリアントだ、しかし、今回はブリリアントすぎてダンスとのバランスが崩れてしまった。だからプロジェクションと音を減らしてくれ・・・。」というのはどうもおかしな話だけれど・・・・。
そもそもシーンごとのねらいというか、どういう結果を得たいのかということを、みんな忘れすぎている。ダンサーの動きに反応するシステムを作っても、まるでダンサーたちはそこに絡む意思がないようだ。きちんと徹底すべきだと何度もいっているんだが、ジャイにいわれたことをこなすのに精一杯なのだ。

ジャイとラギニによれば、多くの人からサウンドとプロジェクションが強すぎてダンスに集中できないという意見があったというが、トーマスを始め何人かは振付が弱すぎて音とプロジェクションの強度について行っていない、という。

実際に音もプロジェクションもそれほど主張の強いものではないし、それだけで完結しているわけでもなく、隙間はいっぱいあるのに。隙間はいっぱい作ってあるし、そういうプロセスを得て作られているはずなのだ。少しずつ考えの違いがずれを生んでいったのかも知れない。

まあ、どっちにしろ、現実的に作品としてのバランスをとらなければ共倒れなので、何か戦略を練らなければいけないだろう。
今からの数時間で。

ちなみに、昨日の音と映像は今までで一番良かったと思う。

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とここまでがミュンヘンの公演二日目の昼間に書いた物。

二日目の結果はどうだったかというと、まあまあ成功。昨日よりよかった、ということですが。
あまり変えなかったんだけれど。ちょっと変えたといえば、その反応。
松本さんのノイズは昨日よりでかかったし(笑)

本番前に、クリスの作品を見に行く。森というタイトルの短い作品で、スクエアなスペースに蛍光灯がぶら下がっている空間の中、クリスティンが踊る。簡単なインタラクションでダンサーの一と動きによってサラウンドのサウンドがレイヤーを作り蛍光灯の明かりがダンサーを追いかける仕組み。シンプルで悪くないが、いいダンサーでないと見ていられないかも知れない。サウンドは良かった。

本番後はいつもgastでビールを三杯。ピポンたちに別れを言ってクリスたちと一時頃ホテルへかえる。

翌朝七時半に迎えが来て空港へ。ポーランドへ移動。ルフトハンザで一時間半くらい?でワルシャワへ。
初めてのワルシャワはものすごい寒々しいイメージ通り、ものすごい寒々しかった。なにやらスペースがいっぱいある。ぶっ壊れた建物も所々に。誰も買わないし、誰も直さないのだろう。

トーマスが別便で遅れてやってくるので、それまで昼飯を食って待つ。町中のローカルフードのレストラン(結構うまい)で腹一杯食ったあと、車で少しワルシャワ市内観光。なにもないんだけど。
トーマスをピックアップしたあとは車で三時間半ほどかけてルブリンへ。カンパニールというホリデーインのようなホテル。小さな部屋だけれど結構快適。トーマスと相部屋です。

街へ出て夕飯を食いに行くけれど、町には人の影が見あたらない。寒くて家にこもっているんだろう。気温はマイナス2~3℃。
昼に食い過ぎて、ものすごーく腹が減っていなかったけれど、とりあえずスープと野菜を頼んだら、ものすごいボリュームだった。具合が悪くなって、ルブリン初日は即就寝。

十一月六日月曜日。朝飯を食ってからジャイと話し合い。いろいろ俺なりのこちらからの要望というか不満を伝えておいた。扱いの件、クレジットの件、これからのこと、金のことなど。何度も話していることだけれど、とにかく、日本人同士のようにうまくいかないのが現実。

そのあとフェスティバルの事務所へ行ってスタッフとちょっと打ち合わせ。指定された飯屋でチキンを食い帰りにスーパーでズブロッカを買って部屋でちびちび飲みながらこれを書いています。今、まだ三時十五分。そろそろ外も暗くなってきて、っていうか、ものすごくどんよりしている。まるで世界の終わりにいるみたいだ。

今日、明日、明後日と、劇場にはいることが出来ない。こっちの失業者が一日中ウォッカを飲みたくなるのもよくわかる。

正直、あまりうまく表現できないけれど、結構精神的にきついです。松本さんと浜中さんも、多分ものすごいきついはずですが、彼らはちゃんとした人達なので・・・・かないません。

トーマスはもちろんいつでもハッピー。「モニカを探しに行かなくちゃいけないなあ・・・」とずっと言ってます。


ピポンが登場。やっぱりおもしろすぎる男。駄目なのかすごいのかわかりかねるくらいに自由。

昼ご飯はピポンの彼女って言うか奥さん?のコーネリアたちとgasteigで食う。コーネリアはミュンヘンダンスフェスティバルを仕切っている女性。2000年に来たときはその年だけノーマンさんがその役目を負っていた。

ピポンとは一月にインドであった。コーネリアと一緒に我々の作品の視察に来るはずだったのがマネージメントをしているラララヒューマンステップスの方で忙しかったらしく、ピポンだけがやってきた。
ロングバージョンの製作の最初から現場にいたので(現場ではちょっかいだされまくりでちょっとうざくてこまったけど・・・笑)、彼はこの作品がどんな成り立ちをしているか、すべてまるっとお見通しだ。我々がなにを必要としているかも理解している。で、爆音の出るムハトハーレに12000ルーメンのプロジェクターをきちんと用意しておいてくれたというわけ。

今日もすることがないので、むちゃくちゃ寒くなってきたミュンヘンの街をちょっと歩いて、六時にムハトハーレへいき、担当のテクニシャンとちょっと打ち合わせ。話が早い。ほんとに早い。「ケーブル?スクリーン?あ、それなら問題ない、なに?ああ、あるよ、じゃあ借りてくる、で、他には?音?音はまかせとけ、ここはコンサートホールだ。このくらいだったら、朝九時から仕込んで一時、二時くらいには終わるな、そのあとリハーサルできるよ。あ、君らは十時に来ればいいよ。以上。今夜は飲み過ぎるなよ。またあした!」という感じで終了。

そのあとカナダからのサラチェイスさんのパフォーマンスを見に行く。プロフィールを見ると、ダンサー、ではなく、ストーリーテラーと書いてある。ストーリーテリングウィズダンスだって。長身のきれいな女性で、英語は全部理解できなかったけれど、どうもトロントに住んでいた頃のエピソードをベースに、ちょっといい話をしていた模様。ゆるい変な手話みたいな動きを繰り返しながら淡々とちょっといい話をしていた。音楽はピアノの生演奏(ニューエイジ系?)と、たまに、あれはニールヤングだと思う。ニールヤングの声だった。ニールヤングはハーベストしか知らないからよくわからん。
ブルータスを思い出した。ちょっとおもしろい話をボディービルダーの動きで筋肉をみせながら話す変な芸人が昔いた。なかやまきんにくんの元ネタみたいなやつ。
ものすごい量の照明が蜂の巣のように吊ってあるので、どうしたことか、と思ったけれど、どうって事なかった。あれはあの妙に吊りまくった様を見せたかったのか、と思われるほど。でも、そうでもない。なぞ。

帰りに中央駅でベトナムのフォーを食って帰る。部屋に松本さんと浜中さんが来て、作戦会議、といっても明日サウンドチェックのときにでかい音でこれをちょっと聴いてみたい、みたいな話で終わり。
まあ、やりたい放題って事で・・・って、なにも話し合っていねえ(笑)

もうそろそろ下着もなくなってきたので、洗濯してねることにする。コインランドリーいきたいけど・・・。

あ、外は雪。インドチームの何人かは生まれて初めてみる雪だろう。


十一月一日水曜日。午前十時。
全くどうなってるんだか、今日は仕込みが出来ないんだという。
それならばそれで、やるべき事はいくらでもあるんだけれど、集中力がとぎれる。たたみかけるように本番をつないでミュンヘンに至りたかった。

昨日の夜は、ムハトハーレの近く、以前泊まったフォーラムホテル(今はホリデーインになっていた)の前にあるgasteigでピザを食ったあと、ムハトハーレをのぞいて街の中心へいき、浜中さんおすすめのビヤホールへ。どこかと思ったら、以前太郎さんと石山といったところだった。巨大なビールと巨大な肉のかたまりを巨大なオヤジたちが食っているところ。サッカーの試合があるようで、ユニホームを着たオヤジたちが街にあふれていて、我々と相席したビール腹のオヤジもユニホーム。もちろんビールもソーセージもうまかった。

ムハトハーレではブラジルから来たリアロドリゲスのカンパニーの作品を見る。
全裸でトマトケチャップまみれになる、内臓感覚満載の作品。一切サウンドトラックなどは使わず、舞台装置もなく、ただただ全裸でケチャップをかぶりまくる。ケチャップにまみれながら絶叫して転げ回る。順番にダンサーたちがケチャップを使ったネタを披露していき、一時間ほどで終了。あまりのグロさに途中で席を立つひともおおかった。
ケチャップネタがしつこすぎて途中でどうでも良くなってくるんだけれど、ネタは豊富で飽きさせない。センセーショナルをねらってユーモアのセンスは皆無なんだが、あれだけケチャップネタを見せられるとそれはそれで笑いに転化してくる。
もし作家にあって何か言うとしたらなにを言おうかと思って考えたが、なにも言うことはなかった。非常にセンセーショナルだけれど、俺の日常の方がもっとヘビーでシリアスでセンセーショナルです・・・とか。

腹もぱんぱんだし意味不明に疲れたので部屋に帰ってバスタブに湯をはってちょっと使ったら猛烈に眠くなってきたのでねる。

今朝、さっきちょっと遅れて朝飯を食いに行ったら、クリスがいた。同じホテルに泊まっているそうだ。彼の作品のダンサーのクリスティンと一緒。彼女はフォーサイスのCD-ROMでデモンストレーションしていた人らしい。そういえば、見覚えがある。世界中のみんなにビデオでスクラッチされているのよー、といって笑っていた。彼女はフランクフルトで我々のパフォーマンスを見に来てくれていたらしい。ドロシーと一緒だったということだ。
彼のインスタレーションとパフォーマンスはちょうど日にちがかぶっているので、どのタイミングで見に行こうか。

さあ、今日はどうする・・・。やるか、[c-e]。

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