先週は、いま進行していることがみんな中途にあったので、気分も中途半端であった。細かく達成目標をクリアしていく事ができれば気分も落ち着くはずなんだが、そうもいかん様なプロジェクトばかりである。
いかんせん物事の進め方が、ジョアン・ジルベルトが複雑なコードを涼しげに弾くような感じではなく、キース・リチャーズがずっこけながらざくざく刻む5弦オープンのカッティングのようである。コルトレーンのカルテットがジャイアントステップスやってるところにキース・リチャーズが入ってしまって、何もできないのでバーボンをラッパ飲みしながら頭をかいてるような中途半端さ。
週末は天気が良かったのでどこ過疎とをぶらぶらしても良かったんだが、うちにいることにした。頭が痛かったのである。
テレビで映画を四本見た。しかもビートたけし三本。と、中谷某主演の「嫌われ松子の大往生」とかいうやつ。
ビートさんのやつは菊次郎の夏とソナチネと3-4×10月というやつ。
3-4×はまえに見たことある。どれも同じ金太郎飴みたいだなあ・・・と。紙芝居みたいなカット割り。独特の間とかいって、あれが珍しがられてるんだろうけど、気になって鼻につき出すと、そればっかりなのでイライラする。
菊次郎の夏はなんだかひどかった・・・。とても評価の高い作品なんだろうけど、どうも・・・。見え透いていて・・・・。CGとか、妙にテレビくさい演出とか。ん?でも思い出すと良い映画のような気がしてきた・・・・。もしかしてとても幻想的に見えるのかもしれん・・・外国人には。特に。おれがすっかりテレビ、というか日本のテレビ芸能コードに毒されている色眼鏡で見てしまうからか。そうだなあ、1シーン1シーン思い出すと、あれはちょっと他にないなあ・・・・。
嫌われ松子もとってもおもしろかった。久しぶりに釘付けである。前に乗り出すようにして見た。あれは、どおなの?海外では。でも、ああいうちょっとやりすぎた画面とか作りすぎた演出とか金かけてるエフェクトとかは、いまいちキワモノ扱いされるんだろうな・・・結局、映画といっても新劇みたいなもん、というか一昔前に流行った静かな演劇?みたいなやつを映像化したようなもんが評価対象の中心なのだ。
主演女優と監督のインタビュー付き。監督と主演女優が大もめにもめたらしい。そのなかで、監督が気持ちが作れないとか理解できないと芝居できないと不平を言う女優に向かって言った「おまえの気持ちなんかどうでも良い」ということばにたいして、なにやら女優は失踪したとかぶち切れたとか、それに対してインタビュアーはそれは言ってはいけないことを言った、等といっておったのだが、あの映画で「おまえの気持ちなんかどうでも良い」は正論だと思うが、どうだろうか。「自分の気持ち」を作るんじゃなくて、「そういう気持ちなんだろうと見てすぐわかる演技」を作るんじゃないのか?悲しそうに見える演技をするために、悲しい気持ちになっていたらほんとに悲しくなっちゃって、悲しそうに見えるような演技はできないだろうと思うんだが。日常生活では、たいていの場合、悲しそうに見える人が悲しい気持ちを持っているわけではないし、無表情な人が無感情な訳ではないし、無感情な人間がものすごくおかしそうににやけている場合もある。たけしの映画のように無表情な人間の心の中を静かに文脈で「想像」させる映画ならまだしも、ああいうジェットコースターみたいな映画では、主人公の気持ちにどうかしてじわじわと身体に表出してくる感情表現をとらえる、なんてそんな暇はないだろうと思う。頭の中ではつぎの撮影のスケジュールを考えていたりしながら、すぱっとこういう場合はこうすればこういう効果を見物に与えることができる、という計算をして実行するのだ。かといって、漫画みたいになってもいけないし、そこは俳優の身体のコントロール能力、バランス感覚にかかっている。たぶん、監督はそれにいらだったんだろう。一発でわかりやすくしろ、しかしリアリティーはキープしろ、というか・・・・。
まあ、普通そんなことできないんだろうと思うから、その要求にはとても苦労したんだろう。
まあ、いいや。という週末でした。
今週は忙しくなりそうです。強引に物事をまとめていく必要あり。


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