2008年1月アーカイブ

書かなくなると書かなくなるのでちょっと書いておく。

2月6日からインドツアーである。バンガロール、チェンナイ、デリーをまわる。もう一カ所、グジャラートのなんとかというところと未だ交渉中らしいが、できれば三カ所にしてほしい。二週間で四カ所は(しかもインドという条件を考えると)非常にハードだから。2006年のヨーロッパツアーよりもハードだ。
グジャラートには行ってみたいんだけれど。
ということで、いろいろ、出発前に終わらせておかなければ行けないことが山積み・・・でもないけれど、とにかくやっておかねばならないことを一つずつこなしている。
機材、荷物は大丈夫だろうか・・・定点観測サイトをどうしようか・・・金のやりくりどうしようか・・・今日は何食おうか・・・などなど。
かたづけなければいけない件のうちに「どこそこへ入金」とか「誰彼に入金」という項目が多くて込まっていますが(笑)

毎日、もうすぐ「常夏の国インド」だ、この寒さから逃げられる、カレー食いまくりだ、とおもいながら生きながらえています。

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汚いように見えるけど、よく見ると道に花びらがばらまかれたように落ちている国なんて、ないよね(笑)

いよいよ、というかやっと、というか、そもそも2005年に発売する予定だった、バラタナティヤムのデジタルアーカイブ「NAGARIKA」の発売が決まった。とりあえずインド国内のみだが予定では初版5000枚。そんなに売れるかどうかわからんが、まあインドにおける古典舞踊というジャンルの重要性と人気(そして人口)を考えると、妥当なのかもしれない。
で、発売に当たってマスターを作って送ることになり、問題だったビデオの修正を一気にやる。プログラムも気になる箇所を改良。
先週一週間は、タランカタキタカタキタカトンが頭の中を久しぶりにぐるぐる回っていた。
それでいそがしくしていたせいでこのひとりごとブログが滞っていたわけではないけれど、また随分時間が空いてしまった。
もう一週間も昔のことなど思い出せないが、総じて漠たる将来への不安を抱えながら毎日を送っていたような感じ。

昨日は、友人有村肯也さん主催の朗読会のお手伝いをさせてもらう。一応舞台監督という立場であるが、まあぶっちゃけ不慣れである。彼女の熱心さとお手伝いの皆さんのおかげでなんとかイベントは成功に終わった。
朗読会といっても、こだわりを持って演出すれば、お芝居やらパフォーマンスやらに劣らない強い磁力を持った場を作れるもんである。調べたら浅野温子なんかもこんなのやってるらしい。こういうのもみてみたい。一口に朗読といってもいろいろな演出の可能性があったりする。

話題は古いがMacBookAirというのが発売された。ディスクドライブもないしUSBポート一個だけという潔さである。ディスクなんて、もうすぐ役割を終える。そりゃあいらないだろ。フロッピーディスク付いてるやつは、付いてるからフロッピー使い続ける。今更ブルーレイディスクとか言っててもおかしいだろう、とおもう。ブルーレイディスク開発する暇があったら、なんでストリーミングやらの画質をアップするための開発をしなかったのかな。
アップルが考える近未来をフォローすれば、事が足りる。メディアに関して、アップルが手をつけていない物に関して、何もフォローする必要ない、とさえおもう。だから、ブルーレイディスクが採用されてなんたらとか、地デジがどうのとか、ワンセグうんぬんとか、わからん。知る必要もないし金も時間もない。どうせそのうち意味なくなる。
今のところ、未来についてはアップルがなんか考えてくれてる。
俺は他のことを考えよう。

1月26日、いろいろ一段落したあとの週末である。
ところがもう四時半である。さむい。
さて、どうするか。腹減った。でも料理なんてしないで、お菓子食ったりしながら、本でも読もうかな。
やることいっぱいたまってるんだけどなあ、とか、今何かがんばればこの生活から抜け出せるかもしれない、なんて考えたらだめだ(笑)
今日は休む。
明日、また考える。


火曜日、茗荷谷へ行き、インドビザの申請をする。受取時間が五時半から六時まで野三十分に限られているので当日の受け取りはあきらめる。
水曜日、茗荷谷へ行き、インドビザを受け取る。
木曜日、銀行へ行き、助成金受け取りのための口座開設を申し込む。個人名義でない場合、諸々確認作業があるため当日の開設は無理らしい。
金曜日、諸々の書類を持って再度銀行へ行き、口座開設。
帰宅すると、ゆきちゃんが来ていて、北京で買ってきた麻ラー湯のスープの素で劇辛鍋を作って食う。まあまあ、うまかった。

北京での自分の覇気のない制作態度を反省して、今後いろいろ(あれもこれも、みんな)やっていく自信のようなものがなくなる。それは普段も毎日必ず五分程度思うことであるが、近頃は十分程度おもう。

いつの間にか、なんと驚いたことに、こんなもんが。四十年ぶりって・・・・。と思ったら新曲は少ない。でも、新レコーディング。iTunesStoreで試聴したら、そのまんまだった。でも買わない。前のを聞いて我慢。十五年聞いても聞き飽きない。
ロジャー・ニコルズ-ザ・スモール・サークル・オブ・フレンズ

土曜日、知らんかったが三連休の初日。
夜、TMUGへ行く予定だったんだが、新潮文庫のカラマーゾフの兄弟上巻の終わりを読んでいたらすっかり忘れて気がつくと七時を回っていたので断念。結局、はじめの一回しか行けてない。残念。
テレビで映画を何本か見る。どれも見たことのあるやつばかりである。おもしろかったから良いけど。
あとは、くろさんにもらった橋爪大三郎の「隣のチャイナ」をよむ。わかりやすい。
今年は中国語をマスター・・・等と思っているんだが、まだ始めてもいない(笑)ちょっと中華はしばらくいいよ・・・って感じで。
シャオクーからこないだのステージを記録したDVDが届く。研究してフィードバックしなければ。こう思っている段階は、何となくわくわくするんだよな。いざ・・・となると途方に暮れる。で、とっかかりがちょっと見つかると、うわーっと興奮状態でアイデアをまとめ、こんどはそれを実現するために動き出すと、がくっと落ちる(笑)

日曜日、昨晩遅くまで映画を見ていたので、昼頃まで寝る。ホットケーキ焼いてくう。
クソ寒いので外出ははばかられたが、一日中寝間着でうちにこもってばかりいるとダメ夫婦精神がさらに腐るとおもわれたので、一番近い娯楽施設ラクーアへ行く。ショッピングモールをぶらぶらして冷やかす。さすがに四十近くなって穴の開いたスニーカーはまずいだろうということでスニーカーを購入。消費者をなめた値付けの某高級スーパーで食材を購入(近所のスーパーユネスコの1.5倍〜2倍の値段!)
ところで、後楽園のラクーア一帯は、異様な興奮状態に包まれていて、訪れるといつも少しひく。
昨日は格別であった。まず、これはデフォルトで、数分に一回、ジェットコースターがレールを走る爆音と共に、ものすごい人数のすさまじい悲鳴があがる。さらに数十秒に一回、ものすごい水しぶきと悲鳴と共に、遊技用のボートが水につっこむ音が鳴り響く。これに昨日は東京ドームからはなにやら爆音でポップソングが漏れ聞こえているうえに、中庭ではぐるぐる回る電飾まみれのメリーゴーランドの脇にしつらえた特設ステージで、延々と一カ所をぐるぐると、何にとりつかれたかデンデケデンデケ太鼓をたたき、このクソ寒いのになぜか一心不乱に阿波踊りを踊り続ける一群がいた。かとおもうと突如がらんがらんと鐘の音が鳴り響き、新年セールのくじ引きで京都旅行が当たっただのなんのと大騒ぎ。この真冬にどこで日焼けしたのか謎な小麦色のヤンキーカップルが、アイスクリームをなめながら無表情でそれを眺めている。Lushの前ではすさまじいにおいと客引きが、謎のラクーア祭りに思考停止させられた客をねらっている。パワースポット(笑)
夕飯は、うちへ戻ってお好み焼き。それからユネスコで買った豚肉でチャーシューを作ってみる。うまくできた。中国で買った八角やらなにやらをいれて、中国の街中の香り(笑)を再現。昔始めて中国いったとき、何食っても八角とかフェンネルとかクローブだろうか・・・・?の香りが強かったし、油もラードが多くて、日本でそれまで食ってきた「中華料理」と全く違うことに驚いたおぼえがある。
夜、何となくテレビ見ていたら、イーストウッドのマディソン郡の橋が始まったので見てしまう。一杯のかけぞばとか、そういうちょっといい話系の映画化な、企画もの感がするんだよな・・・・、こういうのは。まとまりすぎてて。

月曜日、もうさむくて、負けた。二人でうちにいる。グーグルアース遊びしたり、飯作って食ったりしてたら、もう夜六時である。
年末腰を悪くした影響で、痛みが体中を転々と移動している。腰をかばおうとした筋肉が痛み、痛くなった筋肉をかばおうとした筋肉が痛む。たぶんそういうことだろう。治療が必要である。
しかし、基本的にマッサージが嫌いなのである。されるのもするのも抵抗があるのは、たぶん人に簡単に心を開かない性格からだろう(笑)

こういう一週間が、死ぬまで続くなら、つまらないかもしれないが、わるくないかもしれない。せめて。
しかし、世界は変わりつづけているから、我々も変わらなければいけないだろうし、変わりたくなくても変わってしまう。

明日は、皆さんご存じのように、1月15日火曜日。

そういえば、北京でみたアディダスのコマーシャルがすごかったです。


写真追加。

CCD workstation 草場地芸術村にある劇場というか、こういうところ。
草场地工作站

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北京の地下鉄に、自動改札機が導入されます。

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アディダス雲南七子餅茶(もちろん、アディダスとは関係ないです、よね?)
オリンピックまでに、変えてください。至急。

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隣のおっさんもディズニーキャラみたいですが、有名なネズミが中国でも活躍中。

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こっちは中国オリジナルキャラ、だよな。ちょっと不安。八達嶺万里の長城入り口にて。

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万里の長城に登る謎のジェットコースター。なぜジェットコースターでなければならないのか・・・。

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食ったら意外とおいしいんでしょうけど・・・。

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前回来たときも、これは普通にヨーグルトとしてうまかった。十八年前は、汚い人民服来たおじいさんが自転車をひいて売りあるいてたな。今は見かけなかった。陶器入りヨーグルト。

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北京行きはマイレージでフリーチケットがとれたので、今回の旅の出費は驚くほど少なかった。劇場のゲストルームに泊まることが出来たし後半のホテルも安かったし(ツインルーム一泊3500円)、何より飯やらなにやら、激安。
十八年前、家庭教師で得た七万円ほどを用意して、渡航費から滞在費まで全て含めておつりが来たのを覚えている。帰国して残額を確認して驚いた。ドミトリー一泊、日本円で250円くらいだったような記憶がある。

アムスでの本公演では正当なギャランティーと今回の分を含めた渡航費を請求したいが、どうなる事やら。ちゃんと契約を交わしていないのだ。いつまでたってもそういうことがごてごてになってしまうのは良くない。今年はちゃんとしよう。

なんだか九月のプルシャルタ日本公演からすっと忙しかったので、正月になって少し冷静になると、逆に何をして良いのかわからなくなる。
無趣味な人間である。べつにしたいことなどない。出来ることなら何もしたくない等とふだんうそぶいていても、本当にしたいことがないとなると、不安に陥る物である。余計な情報が心の隙間をねらって、もぐろふくぞうのようにドドーンとねらっている。
まあ、とはいっても七日からWEB仕事に精を出すことになるので、のんびりしてはいられないのだが。
去年はだらだらとネットのくだらん情報をだら見するのにうつつを抜かす時間が多かったような気がするので、今年は計画的にお勉強でもしよう。もう四十歳目前である。三十代はあまり本を読まず、たまに読むのは娯楽本、四十代になったらたくさんお勉強の本を読む、というおおざっぱすぎる読書計画を二十代終わりに立てた。そろそろお勉強し直す時期だ。

今年はいまのところわかっている予定ではそれほどいそがしくならなそうなので、来年からどうなるか不安ではあるが、まあ一つ一つがんばればなんとか次につながっていくだろう。去年はインド日本交流年であったこともあり、どうしてもプルシャルタ日本公演を実現しなければならないという思いがあったから、それに随分エネルギーと資財を費やしてしまった。今年は自分で仕掛けていくというより、与えられた機会をきちんとこなしていくことに集中しようとおもう(まあ、基本的にいつもそういうスタンスなんだが。去年が特別だった)。

七月、アムステルダムでやる作品は、もう一回、あと六ヶ月かけて練り直す。いつも心がけていることだが、エキゾチシズムできをひくことは絶対さけるが日本人としてというか、ここで生まれてここで情報を得て育った俺フィルターをちょっと戦略的分析的にコンテンポラリーダンスというかシアターピースというフォーム自体にかけること。それから、エロティックであること。ポルノグラフィーはアートの本質だとおもう。特にダンスというのはエロくなければいけない。
シックルームという作品はいい実験材料だ。

二月のインドツアーは、もう二年越しのツアーということもあり、あまりつっこんだことは出来ない。出もちょっと音と映像をいじろうと思っている。観客の鑑賞コードが違うのだ。所詮芸人としては、芸は観客に受けるようにアレンジすることが必要である。上演環境が厳しいことになるだろうけど。健康が心配。

アムステルダムの前にスペインがあるのかないのか。[c-e]ツアー。ネタも練り直す必要あるし、システムがあれじゃツアー向きではないのでなんとか作り直す必要がある。プロジェクター三台と高速Mac三台はアレンジしにくい。それにエネルギーをとられたくない。

昨年九月の負債を引きずり金銭的に苦労しそうな年だけれど(今年に限ったことではないが)、なんか新しい展開を見つけられると良いなあなどと思っている。


あ、そうそう忘れてはいけない、これ、テレビでばりばりに宣伝してました。例の偽iPhone。
一言で言って、非常に、こういう事は良くない。改めた方が良い。法的に云々と言うより、その性根が理解できん。

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あけましておめでとうございます。ことしもよろしくお願いいたします。

もう四日である。若いときは、元日に「ああ、ことしもあと365日かあ〜」なんて、くだらないことをいってみてああほんとにくだらない等と思ったもんであるが、じじいになったいま「もう四日か、今年もすぐ終わるな・・・」と、本気で感じた。じじいになるということはこういう物の感じ方の微妙な変化の積み重ねである。

北京より昨日午後帰国。
備忘録。初日のパフォーマンスが終わったところで終わってたんだっけ?
二十九日、うちのおくさんはあっちゃんと中心街で待ち合わせているのでバスで出かけていく。
おれは初日に見えてきた、なんだかなあ・・・的なところをなおす。プロジェクションと音。音はなんかしらんが盛り上がるように、ピアノやらパッドやらをたす。
三時頃から一度リハーサルといっていたんだが、劇場に隣接するスペースで爆音で村人達やら関係者を集めてドキュメンタリー上映会をやっておりそれどころじゃないので、ランスルーはあきらめてなんだかうだうだとおしゃべりしながら打ち合わせ。本番前に近所のなんだかケミカルなにおいが店内に充満する小さい食堂で餃子を大量に注文し大量に食い大量に残す。
作品は昨日よりパワーアップ。二度みた観客が「きのうはそんなに驚かなかったが、きょうはこの作品は普通の作品じゃないと思った」といってくれた。すこしがんばって、わかっていることをちゃんと詰めれば、随分結果は変わってくる。やはり、最後は体力と集中力の問題だ。
終了後、近所の飯屋でシャオクー、チャオチャオ、ステファン、俺、かみさんで打ち上げ、かんぱい。好きな串をえらんでおでんみたいに煮てもらう料理。それからなんだかどぶみたいな、正直こえだめみたいなみてくれのスープ。味はうまかった。日本で、これをラーメンのスープにしたら人気が出るんではないか、ともったが、どどめいろ+具がきもいのでだめか・・・。
チャオチャオは、非常に日本びいきらしい。何でも日本が一番だと思っているという。で、良い日本名がほしい、というので、小沢さんに似ていることから小沢さんより偉大になるように姓を「大沢」、名はうちの奥さんの直感で「恭則」とつけた(笑)良い字だ。はじめ冗談かと思っていたんだが、なにやら本気で発音の練習をしているのである。彼にはずっと日本が好きでいてほしい。がんばろうと思った。
みんなとは七月のアムステルダムまで、お別れ。

三十日、十時に呼んでくれたいつものドライバーが迎えに来て、あっちゃんの待つ街中のホテルへ。
すごくおもしろいホテル。実際に清の時代の大臣が住んでいたという屋敷をそのままホテルに改装したところ。中庭にいるとあごひげ蓄えた道師が現れそうなところである。
ところが、案内された部屋がいようにさむい、その上下水臭い。みれば壁にはひびが入り隙間が空いており風がひゅーひゅー入ってくる。窓は建て付けがわるく、こちらもひゅーひゅー。シャワールームから強力なにおい。ヒーターは部屋に対して小さすぎ、オイルヒーターを追加してもらうも、焼け石に水であった。夜は氷点下になる。恐れをなした我々夫婦は一泊で宿をかえることにした。
悪くないホテルである。雰囲気も良い。夏には最高であろう。しかし、やはりせっかくの休みだ。楽をしたかった。清の時代のひとは、さぞかし寒い冬に耐えていたのであろう。
ということで、北京の銀座、王府井へ行きフツーのビジネスホテルみたいなホテルにチェックイン。老舎が晩年執筆活動をした胡同のすぐ近く。料金は半分。七時からあっちゃんの予約した北京ダック屋なので、それまで天安門広場へ行ったりぶらぶらしたり。
街の変わり様はショックであった。面影がない。 
1989年に写真を撮っておけば良かった。そのとき、カメラを持っていなかった。買う金もなかったので、全てを頭にたたき込んでおこうと必至だった。頭に残った景色は、約二十年間の間に、ふしぎないろに熟成されて幻想の中国になっていた。
で、もう一度訪れてその幻影はどうなったのか?今、まだ答えは出ないが、急速になにやら蜃気楼のように、とおくかすんでいっているのがわかる。恋が急に冷めたかのような。
タクシーでイトーヨーカ堂までいき、あっちゃんを待つ。対面にある「上縁坊」というレストラン。久しぶりの北京ダックである。日本人のゆうこさんという方がオーナーの店で、非常にクオリティーが高い接客と味。うまかった。北京ダック、うまかった。あっちゃんが泣きながら食っていた。

初めて北京ダックを食ったのは、あのときの北京である。店の名前は思い出せない。たぶん有名店である。ホテルで聞いたのだ。どこがうまいか。一人、店を入ると、一階に席がまだあるのに、誰もいない二階に通された。外国人席であろう。注文すると、食いきれないほどのダック祭りが展開された。服務員が見守る中、途中でダックにあきながら、食いやめ時を気にしていたような記憶がある。高級品なのだ。
ひとりで、確か日本円にして3000円ほどの外幣を払ったような記憶があるが、定かでない。

ホテルに戻り、ガクガクブルブルしながら別のへやら持ってこさせた布団を何重にもかけて寝た。


大晦日。朝からあっちゃんとうちのおくさんとお茶デパートへ。三階建ての大きなビルで売っているのは全てお茶である。試飲をお願いするとすごい勢いでお姉さんがセールストーク。こっちは中国語が話せないっつうのにしゃべりまくる。おかげで長居させられた。茶器と、何種類か良い値段の茶を購入。
北京の人は、相手が話せないのを知っていても、かまわずに中国語を話し続ける。
その後、王府井に戻り北京飯店で京劇のチケットを購入。べつに予約せんでもみれるような気がしたが、奥さんの薦めで一応。日本円で四千円ほど。前に来たときはびっくりするくらい安い値段でみたような記憶があるが・・・。
小吃街でちょっと腹ごなしした後、ぶらぶら歩いて牛街にある劇場へ。劇場は辛亥革命の時孫文が国民党を結成したという由緒ある建物らしい。キョイーンキョイーンという例の音が鳴り響いたとき、思わず笑ってしまった。隣のアメリカ人家族もつられて笑う。孫悟空の出し物は、ちょっとアクロバティックでおもしろい。まあ、概して大味な出し物である。
大晦日といえど、街はそれほど盛り上がる気配はない。いつもどおりの冬の1日である。
ホテルへ戻りテレビをつけると、紅白歌合戦のような歌のイベントが各地で開催されているようで、盛り上がっているところでは盛り上がっているのだろう。年を越した辺りで、あっちゃんが帰る。
なんだかおかしな年越しであった。

元日、朝から万里の長城へ。
ものすごく寒い。グレートウォールというが、ちっともグレートではない。それははじめに来たときと印象は変わらない。確かに、わけわからんスケールである。
見渡す限りの山に、ぺろぺろっと糸くずを垂らしたみたいな人工建造物。
これをみて中国はやはり偉大だという人もいるが、詰まるところ人間の所有欲と権力欲そして恐怖の醜い結晶物である。この偉大な大地に、あの糸くずのような壁を築くのに、どれだけの人々が犠牲になったのか。そこまでしてまもろうとおもったものは、どれだけの価値のある物だったのか。
今となっては、ぎゃーぎゃーうるさい観光客の見せ物になっているのが、せつない。
万里の長城をあるきながら、実家へ新年の挨拶の電話をかける。現在は未来である。
北京へ戻り、琉璃廠という書画骨董街へ。このあたりは清の時代の雰囲気を味わえる、らしい。清の時代がどんなだったのか想像の域を出ないが。元旦でしまっている店が多かったが、土産に有名店で墨を買う。お互いの両親が書道をやっているので、うってつけの土産である。
裏道にはいると、まだちょっと前の雰囲気を残す庶民的な街が開けている。やっと、二十年前の北京に出会った。あのころ、どこもかしこも、こんな感じだったのだ。適当な飯屋で火鍋をくう。激安。
王府井のスーパーで買い物してホテルへ戻り、寒さに疲れ果てて就寝。

二日、最終日。シャオクーが上海に帰る前にもう一度あえたらと思っていたのに、あれよあれよというまにタイミングを逃す。
最終日にやっと故宮見物。うちの奥さんは毎日天安門に来ていたが中にはいるのは初めて。俺が前に来たときは、ちょうど1989年6月の天安門事件のすぐあと。ということは正確には十八年ぶりなんだな。ベルリンの壁の崩壊が11月。昭和天皇のXデーもこの年の正月。激動の年だった。天安門広場にたつ無表情の若い兵士は、あいかわらず無表情であったが、あのとき感じた何かは感じなかった。
ともあれ、故宮に入り、まあ、ふつうにラストエンペラーツアーである。帰ったらもう一回みようねえ〜、等と。十八年前もそう思ったな。もう一回早くみてー、と。はじめて外に出る溥儀がちょっとよろけるんだけど、それをまねして午門を出てみたり。
そのあと天壇へいき、やっぱりわけわからんスケールでぞくぞく。あそこは、あきらかに、空が近い感じがする。観光客で一杯なんだが、なんだか、みんなそろって、何かの舞台セットの中にいるようである。
一杯の観光客の中にはたくさんの日本人がいるんだが、日本語を話すガイドさんと一緒で、その脇を歩くとちらちら解説を盗み聞きすることが出来る(笑)彼らの日本語はちょっと北京八先生のようでおかしい。
天壇を出て、北京駅へいき、ちょっとだけ腹が減ったので飯屋に入り強力にまずいチャーハン(たぶん日本で売ってるような冷凍ピラフである)をくい、夕食に備え盛大に残し、マッサージ屋へ。まあまあだけど、まあ、ダメな部類。
地下鉄でまた前門あたりにもどり、今度は大柵欄という繁華街へ。前門の前にあった大通りは全面的に封鎖されていて大改修中である。オリンピックに向けて。残念。
以前来たときここいらへんで、店先で何かを買っているとき、気がついたらバックにウンコが付いていて驚いたことがある、そんなおもいでしかないが、建物はみんな二階建てか三階建て程度の高さで、道は三車線程度の広さ(いやもっと広かったかな・・・上海と混同している部分もある)、人出は多かったな・・・壺入りのヨーグルトを食ってなんか腹壊すんじゃないかと心配していたら、心配しすぎてはらが痛くなった。ビンジュースを買って、店の人が手を滑らせて落として割った。なぜか二本分請求されて、ちょっと怒ったら怒り返してきて負けた。裏道にはいると、ごちゃごちゃしててションベン臭くて、食い物のにおい、八角やあぶらのにおいが充満してて、とにかく、映画のセットのような、Always三丁目の夕日に出てきそうな感じの。しかし、あの景色は、完全に消えてしまった。そうだ、あのとき、焼き肉を食った。誰かと一緒だった。建築家を目指していた鶴田君?火鍋も食った。ものすごい量だった。少しずつ思い出してきた。
しかし、あの通りはもうない。
こんかいは、奥さんと一緒にデジカメ片手にぶらぶらして、また建国門に地下鉄で移動して最終日にもう一回北京ダック。今度は鴨王というところ。ここもうまかった。
満足してホテルへ帰りパッキング。
翌朝六時、呼んであったタクシーに乗り、空港へ。
帰国。

去年の正月、身軽になることを目標に掲げたが、残念なことに目標は達成できておらん。
今年の目標。いろんな意味で身軽になるということ、それからいつでも自分なりの100パーセントでやること(今回初日と二日目のできがかなり違ったので、いつもはじめから100でやりなさいとおくさんにしかられた)。

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