あけましておめでとうございます。ことしもよろしくお願いいたします。
もう四日である。若いときは、元日に「ああ、ことしもあと365日かあ〜」なんて、くだらないことをいってみてああほんとにくだらない等と思ったもんであるが、じじいになったいま「もう四日か、今年もすぐ終わるな・・・」と、本気で感じた。じじいになるということはこういう物の感じ方の微妙な変化の積み重ねである。
北京より昨日午後帰国。
備忘録。初日のパフォーマンスが終わったところで終わってたんだっけ?
二十九日、うちのおくさんはあっちゃんと中心街で待ち合わせているのでバスで出かけていく。
おれは初日に見えてきた、なんだかなあ・・・的なところをなおす。プロジェクションと音。音はなんかしらんが盛り上がるように、ピアノやらパッドやらをたす。
三時頃から一度リハーサルといっていたんだが、劇場に隣接するスペースで爆音で村人達やら関係者を集めてドキュメンタリー上映会をやっておりそれどころじゃないので、ランスルーはあきらめてなんだかうだうだとおしゃべりしながら打ち合わせ。本番前に近所のなんだかケミカルなにおいが店内に充満する小さい食堂で餃子を大量に注文し大量に食い大量に残す。
作品は昨日よりパワーアップ。二度みた観客が「きのうはそんなに驚かなかったが、きょうはこの作品は普通の作品じゃないと思った」といってくれた。すこしがんばって、わかっていることをちゃんと詰めれば、随分結果は変わってくる。やはり、最後は体力と集中力の問題だ。
終了後、近所の飯屋でシャオクー、チャオチャオ、ステファン、俺、かみさんで打ち上げ、かんぱい。好きな串をえらんでおでんみたいに煮てもらう料理。それからなんだかどぶみたいな、正直こえだめみたいなみてくれのスープ。味はうまかった。日本で、これをラーメンのスープにしたら人気が出るんではないか、ともったが、どどめいろ+具がきもいのでだめか・・・。
チャオチャオは、非常に日本びいきらしい。何でも日本が一番だと思っているという。で、良い日本名がほしい、というので、小沢さんに似ていることから小沢さんより偉大になるように姓を「大沢」、名はうちの奥さんの直感で「恭則」とつけた(笑)良い字だ。はじめ冗談かと思っていたんだが、なにやら本気で発音の練習をしているのである。彼にはずっと日本が好きでいてほしい。がんばろうと思った。
みんなとは七月のアムステルダムまで、お別れ。
三十日、十時に呼んでくれたいつものドライバーが迎えに来て、あっちゃんの待つ街中のホテルへ。
すごくおもしろいホテル。実際に清の時代の大臣が住んでいたという屋敷をそのままホテルに改装したところ。中庭にいるとあごひげ蓄えた道師が現れそうなところである。
ところが、案内された部屋がいようにさむい、その上下水臭い。みれば壁にはひびが入り隙間が空いており風がひゅーひゅー入ってくる。窓は建て付けがわるく、こちらもひゅーひゅー。シャワールームから強力なにおい。ヒーターは部屋に対して小さすぎ、オイルヒーターを追加してもらうも、焼け石に水であった。夜は氷点下になる。恐れをなした我々夫婦は一泊で宿をかえることにした。
悪くないホテルである。雰囲気も良い。夏には最高であろう。しかし、やはりせっかくの休みだ。楽をしたかった。清の時代のひとは、さぞかし寒い冬に耐えていたのであろう。
ということで、北京の銀座、王府井へ行きフツーのビジネスホテルみたいなホテルにチェックイン。老舎が晩年執筆活動をした胡同のすぐ近く。料金は半分。七時からあっちゃんの予約した北京ダック屋なので、それまで天安門広場へ行ったりぶらぶらしたり。
街の変わり様はショックであった。面影がない。
1989年に写真を撮っておけば良かった。そのとき、カメラを持っていなかった。買う金もなかったので、全てを頭にたたき込んでおこうと必至だった。頭に残った景色は、約二十年間の間に、ふしぎないろに熟成されて幻想の中国になっていた。
で、もう一度訪れてその幻影はどうなったのか?今、まだ答えは出ないが、急速になにやら蜃気楼のように、とおくかすんでいっているのがわかる。恋が急に冷めたかのような。
タクシーでイトーヨーカ堂までいき、あっちゃんを待つ。対面にある「上縁坊」というレストラン。久しぶりの北京ダックである。日本人のゆうこさんという方がオーナーの店で、非常にクオリティーが高い接客と味。うまかった。北京ダック、うまかった。あっちゃんが泣きながら食っていた。
初めて北京ダックを食ったのは、あのときの北京である。店の名前は思い出せない。たぶん有名店である。ホテルで聞いたのだ。どこがうまいか。一人、店を入ると、一階に席がまだあるのに、誰もいない二階に通された。外国人席であろう。注文すると、食いきれないほどのダック祭りが展開された。服務員が見守る中、途中でダックにあきながら、食いやめ時を気にしていたような記憶がある。高級品なのだ。
ひとりで、確か日本円にして3000円ほどの外幣を払ったような記憶があるが、定かでない。
ホテルに戻り、ガクガクブルブルしながら別のへやら持ってこさせた布団を何重にもかけて寝た。
大晦日。朝からあっちゃんとうちのおくさんとお茶デパートへ。三階建ての大きなビルで売っているのは全てお茶である。試飲をお願いするとすごい勢いでお姉さんがセールストーク。こっちは中国語が話せないっつうのにしゃべりまくる。おかげで長居させられた。茶器と、何種類か良い値段の茶を購入。
北京の人は、相手が話せないのを知っていても、かまわずに中国語を話し続ける。
その後、王府井に戻り北京飯店で京劇のチケットを購入。べつに予約せんでもみれるような気がしたが、奥さんの薦めで一応。日本円で四千円ほど。前に来たときはびっくりするくらい安い値段でみたような記憶があるが・・・。
小吃街でちょっと腹ごなしした後、ぶらぶら歩いて牛街にある劇場へ。劇場は辛亥革命の時孫文が国民党を結成したという由緒ある建物らしい。キョイーンキョイーンという例の音が鳴り響いたとき、思わず笑ってしまった。隣のアメリカ人家族もつられて笑う。孫悟空の出し物は、ちょっとアクロバティックでおもしろい。まあ、概して大味な出し物である。
大晦日といえど、街はそれほど盛り上がる気配はない。いつもどおりの冬の1日である。
ホテルへ戻りテレビをつけると、紅白歌合戦のような歌のイベントが各地で開催されているようで、盛り上がっているところでは盛り上がっているのだろう。年を越した辺りで、あっちゃんが帰る。
なんだかおかしな年越しであった。
元日、朝から万里の長城へ。
ものすごく寒い。グレートウォールというが、ちっともグレートではない。それははじめに来たときと印象は変わらない。確かに、わけわからんスケールである。
見渡す限りの山に、ぺろぺろっと糸くずを垂らしたみたいな人工建造物。
これをみて中国はやはり偉大だという人もいるが、詰まるところ人間の所有欲と権力欲そして恐怖の醜い結晶物である。この偉大な大地に、あの糸くずのような壁を築くのに、どれだけの人々が犠牲になったのか。そこまでしてまもろうとおもったものは、どれだけの価値のある物だったのか。
今となっては、ぎゃーぎゃーうるさい観光客の見せ物になっているのが、せつない。
万里の長城をあるきながら、実家へ新年の挨拶の電話をかける。現在は未来である。
北京へ戻り、琉璃廠という書画骨董街へ。このあたりは清の時代の雰囲気を味わえる、らしい。清の時代がどんなだったのか想像の域を出ないが。元旦でしまっている店が多かったが、土産に有名店で墨を買う。お互いの両親が書道をやっているので、うってつけの土産である。
裏道にはいると、まだちょっと前の雰囲気を残す庶民的な街が開けている。やっと、二十年前の北京に出会った。あのころ、どこもかしこも、こんな感じだったのだ。適当な飯屋で火鍋をくう。激安。
王府井のスーパーで買い物してホテルへ戻り、寒さに疲れ果てて就寝。
二日、最終日。シャオクーが上海に帰る前にもう一度あえたらと思っていたのに、あれよあれよというまにタイミングを逃す。
最終日にやっと故宮見物。うちの奥さんは毎日天安門に来ていたが中にはいるのは初めて。俺が前に来たときは、ちょうど1989年6月の天安門事件のすぐあと。ということは正確には十八年ぶりなんだな。ベルリンの壁の崩壊が11月。昭和天皇のXデーもこの年の正月。激動の年だった。天安門広場にたつ無表情の若い兵士は、あいかわらず無表情であったが、あのとき感じた何かは感じなかった。
ともあれ、故宮に入り、まあ、ふつうにラストエンペラーツアーである。帰ったらもう一回みようねえ〜、等と。十八年前もそう思ったな。もう一回早くみてー、と。はじめて外に出る溥儀がちょっとよろけるんだけど、それをまねして午門を出てみたり。
そのあと天壇へいき、やっぱりわけわからんスケールでぞくぞく。あそこは、あきらかに、空が近い感じがする。観光客で一杯なんだが、なんだか、みんなそろって、何かの舞台セットの中にいるようである。
一杯の観光客の中にはたくさんの日本人がいるんだが、日本語を話すガイドさんと一緒で、その脇を歩くとちらちら解説を盗み聞きすることが出来る(笑)彼らの日本語はちょっと北京八先生のようでおかしい。
天壇を出て、北京駅へいき、ちょっとだけ腹が減ったので飯屋に入り強力にまずいチャーハン(たぶん日本で売ってるような冷凍ピラフである)をくい、夕食に備え盛大に残し、マッサージ屋へ。まあまあだけど、まあ、ダメな部類。
地下鉄でまた前門あたりにもどり、今度は大柵欄という繁華街へ。前門の前にあった大通りは全面的に封鎖されていて大改修中である。オリンピックに向けて。残念。
以前来たときここいらへんで、店先で何かを買っているとき、気がついたらバックにウンコが付いていて驚いたことがある、そんなおもいでしかないが、建物はみんな二階建てか三階建て程度の高さで、道は三車線程度の広さ(いやもっと広かったかな・・・上海と混同している部分もある)、人出は多かったな・・・壺入りのヨーグルトを食ってなんか腹壊すんじゃないかと心配していたら、心配しすぎてはらが痛くなった。ビンジュースを買って、店の人が手を滑らせて落として割った。なぜか二本分請求されて、ちょっと怒ったら怒り返してきて負けた。裏道にはいると、ごちゃごちゃしててションベン臭くて、食い物のにおい、八角やあぶらのにおいが充満してて、とにかく、映画のセットのような、Always三丁目の夕日に出てきそうな感じの。しかし、あの景色は、完全に消えてしまった。そうだ、あのとき、焼き肉を食った。誰かと一緒だった。建築家を目指していた鶴田君?火鍋も食った。ものすごい量だった。少しずつ思い出してきた。
しかし、あの通りはもうない。
こんかいは、奥さんと一緒にデジカメ片手にぶらぶらして、また建国門に地下鉄で移動して最終日にもう一回北京ダック。今度は鴨王というところ。ここもうまかった。
満足してホテルへ帰りパッキング。
翌朝六時、呼んであったタクシーに乗り、空港へ。
帰国。
去年の正月、身軽になることを目標に掲げたが、残念なことに目標は達成できておらん。
今年の目標。いろんな意味で身軽になるということ、それからいつでも自分なりの100パーセントでやること(今回初日と二日目のできがかなり違ったので、いつもはじめから100でやりなさいとおくさんにしかられた)。










うまかったね、ダック。
でも、泣いてないしw
あけましてるおめでとうで!
ことしもよろしくですって、!
トイレ素敵!
>あっちゃん
いや、心のなき声が聞こえておりました。むせびなくこえが極寒の北京の空に響き渡っておりました。
ありがとう、あそこの店うまかった。
>はるか
トイレ、あれ、綺麗なトイレ。普通は、もうすごいことになっています。
おばちゃん達は、井戸端会議ならぬ、便所内会議をしゃがみながら・・・・
個室になれている人にとっては抵抗あるけど、彼らはほんとに心の底から気にしないわけだから、抵抗がなければいい文化だと思う。お互いの健康状態もわかるし、クソの色で話も弾む(笑)
郊外の村で、トイレはどこだって聞いて食堂の兄ちゃんに連れて行ってもらったトイレは電球が一つもなくて真っ暗闇。ものすごいにおい。穴だけ。俺がションベンしてるのを親切にも横から(局部を)ケータイ電話の明かりでてらしてくれていました。
で、すごいのは、その暗闇の奥で先客が大をしていたらしく、のそのそ出てきて驚いた。
もう何でも有りですわ・・・。