2008年2月アーカイブ

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もう、帰ってきてから随分たっちゃったんだけれど、簡単にでも最後の二日のことを書いておかないと、東京の日々の報告が出来ないので、もうそんな昔のことは思い出せないのだけれど、書いておく。

マディケリを出発して七時間半のバスの旅の末にバンガロールにたどり着き、宿泊しているジャイのうちの鍵を持っていないのでアタカラリに向かう。それが午後三時くらいか。
ジャイもトーマスもいなかったらアタカラリでゆっくり待つつもりだったんだけれど、トーマスがカナダから来たアーティストとなにやら打ち合わせ中。鍵を受け取り、ジャイのうちへかえり、かび臭い体をシャワーで流して昼寝。やっぱバンガロールはいい。快適。この街なら住めると本気で思う。(もちろん、それなりの地位とお金は必要なので、俺にはむずかしいけど)
少しうとうとしているとトーマスが帰ってきたので、今となっては何話したんだかおもいだせないが、お茶を飲みながら、とてもゆっくりした午後を過ごす。iPodをダメ元でもう一回バラしてみたら、(とりあえず)復活。旅から帰ってきてすぐ、このタイミング。ついてない。もういい加減新しいのを買わないとならんか。だって音楽聞いているときに、いつ止まるか気が気でなくて音に集中できない。いや、バッテリー交換すればなんとかあと三年は持つか。
夜7:30ごろ、濱中さん達みんな、それからアーユルヴェーダのトリートメントのためにインドの山奥に二週間もこもっていたJOUが、ジャイのうちへジャイとトーマスと俺を迎えに来る。アタカラリのツアーマネージャーであるラギニのうちで、今日はパーティー。打ち上げである。みんな、こぎれいなシャツなんか着ているので、俺もあわててシャツを羽織る。
はたして、話に聞くとおり、ラギニのうちも日本語で言えば豪邸であった。飯も(もちろんカレーだが)とてもうまい。自称インドのエルビス、ラギニの旦那のギターで歌を歌ったり、濱中さんの千の風にのって?だっけ?の熱唱やら、ラケシュのおなじみ謎のボリウッドショーとか、JOUのダンスやらいろいろ大盛り上がり。いやあ、隠し芸は日頃から練習しておくべきですね。俺も久しぶりにギターを持たされたんだが、とっさで何も出来なかった・・・これは、芸人として非常に悔しい。
しかし、みなさん、お金持ちばかりである・・・・。

翌二十二日は朝からつぎの企画のロケハンツアー。十二月にアタカラリが主催する国際ダンスフェスティバルのオープニングピースを一緒に作ることになっている、というか、いつのまにやらなっていたんだけど。
もちろん、濱中さんも松本さんもトーマスも一緒である。ジャイの話、というか夢を聞くと、なにやら壮大な計画のようだ。ラスベガスのショーのイメージが頭に浮かぶ(笑)
まず、はじめにいったのがカルナータカ州庁舎である。この建物をバックにオープンパブリックな作品を大々的にやりたい、とかおもってるんだから、たいした夢である(笑)まあ、すごいところである。どんだけすごいかはネットで検索すれば写真があるとおもうよ。
まあ、あといろいろまわったんだが、州立庁舎はだめとしても、まあ、何となくいいところはあった。
どこでやるとしても、難しいですね。
帰ってきて濱中さん達はジャイに頼まれてダンサー達の撮影セッション。
おれは今まで忙しくて買い物する暇もなかったので、やっと街へでて土産物ショッピング。fabindiaにも、最終日になってやっと行けた。テーブルクロスやらなにやら、かみさんに頼まれた物を購入。
夕方五時頃戻ると、ちょうど撮影会も終わる頃。おれはアタカラリとお金の話をしたり、両替商にルピーをユーロの両替してもらったり。
六時頃アタカラリのみんなに別れを告げて、ジャイのうちへ向い荷造り。
七時半、トーマスとジャイに見送られながら、我々日本人チームは帰国の途へ。
十二月に、戻ってくる。?でもさ、あんな規模のイベントやるとなると、準備が大変なんじゃないだろうか・・・・。

それと、プルシャルタは、今年六月に再びアムステルダムで上演されることになりそうです。(みんなのスケジュール次第なんだが・・・)シンガポールからも声をかけられているという話も。
正直、そんなに売れると思ってなかった(笑)

REPORT5までがインドで書いた物である。
2月23日夜、日本へ戻ってきた。
風邪がひどくなって、ちょっとつらい。マディケリのホテルでかかった風邪だ。

まあ、たいしたできごとはなかったんだが、あとでメモしておく。写真もいくつかアップしておこう。

ということで続き。
今日は2月27日。東京にいます。
時は戻って、二月十九日?二十日?まあ、どっちでもいいや。そのときマイソールです。
朝八時に目が覚め、シャワーを浴びようと蛇口をひねり湯を待つ。でない。五分ほど放置。でない。素直にあきらめ水シャワー。
マイソールにはもう用がないので、とっととマディケリに移動することにする。バスステーションへ行くと、またもやここではなくあっちのバスステーションといわれ、五分ほどあるくと今まさに出発するところ。
四時間半のバスの旅である。
で、このバスがひどい。バンピーこの上ない。エクスプレスはTATAの車両。いい加減な作りである。サスペンションもあったもんでない。道も適当な舗装なうえに、幅が狭く、ものすごいスピードで対向車とすれ違うもんだから、常に片輪は舗装の外である。しかも・・・これは俺が悪いのだが、一番後ろの席に座ってしまった。気がついたら満席である。一番後ろの席は最後になって埋まった。インド人後ろ嫌いなのかな・・・と思った程度だったが、走り出して訳がわかった。はねるとケツが十五センチは浮く。おかげで、腰に来た。ぎっくり腰に鳴りはしないかと冷や冷やした。
これでタミルナードゥで乗ったバスのように、二台のテレビでそれぞれ別のボリウッドムービーを爆音で流していたりしたら、発狂していたかもしれない。
景色は山に代わり、空気も澄んでくる。日本の山林のような景色だ。よく見ると謎の植物が生えていたりするが。バスがはねなければ気分がいい。
マディケリは標高千七百メートルくらいにある、小さな街だった。要塞意外に観光地としてはあまり見るところはない。ロンリープラネットを見ると、みんなここをトレッキングの拠点にするらしい。といっても一泊して明日バンガロールに戻らなければならない俺には時間がないから、とにかくホテルにチェックインして街をぶらぶらすることにする。
トーマスに勧められたホテルコーベリーを探し出し、チェックイン。ところが結構泊まり客が多いらしく、一階の薄暗い部屋しか開いていないという。見せてもらってそこに決める。そのときは、多少ジメッとしてるな・・・位の印象しかなかった。風邪気味のためかスモッグのアレルギーのためか鼻が詰まっていたのである。
荷物を置いて、サイフだけもって街をぶらぶらする。どいなかである。茨城の田園地帯のようである。山に囲まれて・・・・遠目に山は綺麗だった。足下はゴミだらけである。
道をあるいていると、よく声をかけられる。「ワッチョネー?カントリー?」「松尾!ジャパン」と何度もやりとりをした。
帰宅途中の女子中学生?達にきゃーきゃー言われる。スターになった気分だ(笑)昔テレビでMCやってたときのことをおもいだす。あのときも、知らない女学生にたまに声をかけられて手を振ったおぼえがある。
歩き疲れて五時頃。もういいかな、そろそろあれの時間だね、と思って、薄暗いバー(インドではバーはなんか悪いことしているみたいにたいてい薄暗くひっそり営業している)へはいると、そこは昼真っからだめなおじさんたちが撃沈していまくっている。キングフィッシャーを注文して薄暗い店内のさらに薄暗い奥の席へ。一本飲み終わる頃に、さっきからちらちら俺を気にしていたおじさんが意を決したのか話しかけてきた。ヒンディー語である。英語は少しだけ。日本から来たアーティストだというと、ちょっと待っててくれといい、店を出て行く。五分ぐらいして戻ってくると、分厚い写真アルバムを持っている。「あー、これ全部見せられる・・・」と思ったのは正解。なにいってんのかさっぱりわからんが、どうも、結婚式場の装飾なんかを生業としているオヤジらしい。一枚一枚、とても詳しく説明してくれるが、ヒンディー。とりあえず、グレートを連発しておいたら気をよくした。「今日は酒、ノー」をくりかえすが、まあ、一杯つきあえよ、ということで、おごってやる。するとつぎからつぎへとおやじが周りに集まってくる。五人くらいのオヤジに一杯ずつおごってやることにした。
悪質な安ラムを俺には危険きわまりない水道水でわってのむ。彼らは酒の味を楽しむと言うことは頭にないようだ。ほぼ、みんな一気のみである。酔うことが目的の酒だ。
おれがといれにたってもどってきたら、もうみんなのグラスに酒はなかった。
ところで、あの人達は、非常に酒に弱い。たったシングルのラムで撃沈である。目がどろどろになる。人格ががらっと変わる。インド人の体質にアルコールは合わないのだろう。だから、アルコールは禁じられなければならないのか。
デリーの宿の使用人の兄ちゃんもアルコールに関してダメ人間であった。俺とジュンジの部屋へ来て、「私、こんなにアルコールを飲んでしまったんですが、それはいけないことでしょうか?」と、どろんとした悲しい目できいてきたので、「だめ、お酒は味を楽しむ程度に。夜しかのんじゃダメ」と説教した。「結婚したらやめます。やめます。すいませんでした・・・」と反省しきりの兄ちゃんは、ほんとダメ人間。
アタカラリの名物使用人、バハドゥも酒にはまるでダメだ。ダメになっちゃうので、禁じられているらしい。一年半のんでいないんだと胸を張っていたが、デリーのアンジェリカの豪邸でやった打ち上げパーティーでジャイの目を盗んでビール一杯のんじゃって、四次元世界にいってしまっていた。
まあ、とにかく、バーでみんなに一杯おごったわけである。ちょっと五人は予想していなかったので、奮発しちゃったかなあ・・・と思って会計したら、俺のビールが二本で140ルピーくらいか、あとオヤジたちの分払って合計156ルピーとか。あのオヤジたちどんだけ安酒のんでるんだ(笑)
八時頃ホテルに戻ると、そこでものすごい悪臭に気がつく。強烈なカビのにおいだ。便所には電気がない。
あわてて部屋を変えてくれとお願いするも、もう満室で他に部屋ないんですよ・・・とのこと。
以前、チェンナイで借りた部屋の鍵が壊れて入れなくなり、別の部屋に一泊しなければならないことになり、それがまたすごい部屋で、外がどぶでものすごい悪臭がして蚊がぶんぶん飛びまくる部屋にねたときに勝る地獄。結局、廊下の方がましだった。
じめじめして臭くて寝付けない。マイソールで買ったお香を焚きまくる。いっそ気を失いたいくらいだった。外は山だから意外と冷える。廊下は無理だ。200ルピーの地獄である。
風邪をひいた。
朝七時、逃げるようにしてバンガロール行きのバスに飛び乗る。ばいばい。もう来ない。

朝八時半に目が覚めて、シャワーを浴びる。朝五時から十時まで湯が出ると言うが少し心配だったのだけれど、果たしてちゃんと一定の温度の湯が出る。
コンタクトレンズをバンガロールに置いてきてしまったようだ。めがねは持ってきたので大丈夫だけれど、視界が狭く、少し残念。
朝食を探して街に出る。バンガロールに比べるとやはり田舎に感じる。店に出ている物も、幾分垢抜けない。
近くに大きなマーケットがあったので中に入りぶらぶらする。山づみのバナナやタマネギや唐辛子。翌声をかけてくる。ジャパンジャパンというので手を振るとふり返す。やはり中国人でも韓国人でもなく、日本人に見えるのだろうか。少年がしつこくジャパンジャパンと付いてくる。何かと思ったら、ジャパン、マリファナ。日本人にはよく売れるのだろうか。
昨日の汽車の中では、二人の子連れの若いお母さんに声をかけられて(というか子どもにまず声をかけさせて)、いかに日本人が頭がいいか、いかに教養があって、頭脳明晰で礼儀正しくて・・・何でも日本製が一番で・・・という話をされた。日本人と話が出来て、とてもうれしかったという。どうして日本は優秀なのか、と聞かれたが、答えられない。今の日本をよーく知っていますが、日本はもうダメかもしれないですよ、といったら、でもまだまだ日本は大丈夫ですよ、と慰められた。まだ大丈夫かもしれないが、たぶん、今までとは違う意味で、大丈夫になっていかなければならんだろう、とおもう。
マーケットの近くの飯屋でマサラドーサを食い、宮殿へ向かう。ロンリープラネットの地図を頼りに、北門へ向かうがあいておらず、南から入れと言われる。北門からのぞくと遙か向こうに南門が見える。でかい宮殿をぐるりとまわり南門にたどり着くと、十時十分前。門は十時に開くから少し待つ。ぞくぞくと観光客が集まってくる。もちろんしつこい物売りも集まってくる。
もんをはいるとなんの儀式かしらんが楽隊が前庭を横切る。ムリダンガムの音と謎のパイプの音が前庭を囲む巨大な宮殿に反響してすばらしい効果。あらゆる楽器には、ならされるべき場所と時間があるとおもう。
宮殿内部はとにかく豪華絢爛である。個人宅である。王の家。圧倒的な金持ちの家。
大量の肖像画が展示されているのだが、どれもこれも突き放されたような無常を感じる。いなかから観光に来たと思われる中流の若い親子がその昔マハラジャがあるき使用人がひれ伏していたであろう大理石の階段をゆっくり歩いている。

宮殿を出て、街を小一時間ほど歩き、少し遅めの昼飯。ミールスにコーヒー。いったんホテルに戻り、コーラのみながら少し休んで、チャムンディーの丘とやらに出発。セントラルバスターミナルからバスが頻繁に出ているらしいと言うので向かう。AC車は20ルピーするだけ会ってがらがらで快適。三十分ほど走ると頂上。ヒンズー信徒に混じってお寺参り。なんだかみんな目の色が変わっているので、こっちも敬虔な気持ちに・・・特にそれほどでもないが、なる。遠くから来たのか大荷物の大家族が地べたに座り込んで飯を広げていたりする。個々は大変な聖地なのだろう。
日差しが強くてたまらないので、はじめ降りるときは歩いて・・・と思っていたが、帰りもバスで。ACでないので、6.5ルピーであった。
街へ戻って土産屋でものぞこうと民芸品屋へいくが特にほしい物や土産に出来るような物もなかった。街をぐるぐるまた歩いて、内省・・・等出来るか、クソ暑くて。薄暗いバーでビールを一本化ってホテルへ戻り、ビールを飲んで一眠り。目が覚めると夜八時をまわっていた。腹も減ったので、夜の散歩がてらレストラン探し。夜の宮殿はどうなっているのか見にいく。絵はがきで見たようなバカな電飾はなく、とても綺麗にライトアップされていた。
結局、昨日と同じHOTEL RRRでチキンマサラを食う。(こっちでHOTELはレストランの意である)うまい。

一人旅は、暇である。俺にはあまり向かないのかもしれない。一人でいると、いろんな細かいことに気がつく。インドは何度来ても謎だらけだ。特に宗教的習慣というのはあえて合理的でなかったり常軌を逸している物であったり、つまり祝祭は常識的であっては祝祭にならないのだから、当然理解不能な物になるのである。ただでさえ、共同体の外の人間である。全く意味不明なことが多い。
例えば、日本でだって鰯の頭が玄関にくし差しになってあったりするのを外国人はなんと思うか。夕食の鰯を干していたら猫に食われたと思うだろうか。
さっき門のところにコリアンダーの束が無造作にねじ込んであるのをいくつか見かけた。しかも大量に。なんだか訳がわからんが、なんだか、そういうことなんだろうと言うことにしておいた。そういうことにしておかないと、謎だらけで一歩も前に進めない。

明日はマディケリに移動しようと思う。トーマスおすすめの避暑地だ。

いまマイソールのホテルの部屋でこれを書いている。コンピュータなど持ってきていないので、とても久しぶりに手書きで日記をつける。あとで自分で読み返せるかが心配。
午後四時頃、アタカラリの近くの大きなバスターミナルからマイソール行きのバスが出ているとウィルソンが言うのを信じていってみると、マジェスティーバスステーション(シティターミナルの前の巨大なバスターミナル)からしか出ていないと言われる。とりあえず適当にバスに乗りそこへ行くと気が変わり、列車で行くことにした。目の前がセントラルステーションだったので。
すぐに各停が出るところだったので、24ルピーでチケット買ってそれでいくことにする。急行でも三時間半。各停で四時間も悪くないかと思って。
2等車両の前で裸足のオヤジたちに囲まれながら待っていると、他の車両のドアがいっせいに開くのに目の前の車両のドアだけなぜか開かない。いつまでたってもあかないので大騒ぎ。そこで日本だったら、駅員に報告に行くところだが、おっちゃん達は窓をこじ開け、ガキは頭半分ドアに張られた鉄格子の隙間につっこんでいる。なにやらちいさな少年がオヤジたちに持ち上げられ、開いた窓から中に放り込まれた。中から鍵を開けてこい、ということらしい。すると、他のオヤジが、どうも向こう側のドアが開いていることに気がつき、連結部分をまたぎ、車両の向こうに渡り車内に侵入。重いドアを蹴破る事に成功。ドアが開くと同時に一気に人がなだれ込む。なんだかものすごくおかしくて笑いが止まらない。俺も負けてられないので、「おらおらおら」とかつぶやきながらなんとか席を確保。はじめに窓からつっこまれた少年はちゃっかり窓際のいい席に座っている。
車内は足の踏み場がないほどおやじおばちゃんガキがゆかに座り込むは、荷台にオヤジはゆうゆうとねているは、すし詰め状態というかなんかすごくスパイス臭いすし詰め。席が取れなかったらと思うと冷や汗をかく。
iPodも壊れたし、持ってきた本も飛行機に忘れてしまったしなんもすることがないので、じっとインド人達を眺めて四時間の旅だった。トーマスに借りたロンリープラネットは隣のインド人に貸したら、次から次に又貸しされて、降りる直前までかえってこなかったし。
マイソールに到着すると、駅前でリキシャつかまえて、トーマスに教えてもらったDASAPRAKASHというホテルへ向かう。バックパッカーが一杯。とりあえず、近くのRRRという飯やでビリヤニを食う。少し歩いたがなんの変哲もない街、のように見える。が、向こうの方に、なにやら宮殿の屋根のさきっちょがチラみえ。
明日はパレスとチャムンディーの丘へ。

そろそろ、なんだかインド人のペースにイライラし出したので、これはいかん。リラックス。
インド人がめし食っているのを見て違和感を覚え始めるともうアウトだ。
なんでおかしいのか少し考えてみたが、普通日本人が箸を使って物食うとき、食べ物をいじるときに、その対象を見ながらいじるんだが、インド人は手で食うから対象物を特に見る必要がなく、よそ見をしながら食べ物を手でこね、口へ運ぶ。あれが、どうもなかなか落ち着かないのだ。

今、デリーのゲストハウスで久しぶりのインド日記。
昨日チェンナイからデリーに飛行機で移動して、南側にあるなんとかというところのセクションD7とかなんとかいう普通の(インドの)集合住宅街の中のイリーガルなゲストハウスに泊まっています。じゅんじいと同じ部屋。
チェンナイに移動したところからさくっと出来事をメモ。
10の夜、アタカラリに集合してセントラルステーションへ。夜行寝台で翌11日の七時半?頃チェンナイに到着。ホテルに直行。朝からものすごい暑い。湿気も多い。三十度。
マサラドーサくって荷物を置いてすぐに劇場へ。ミュージックアカデミーというところ。伝統あるところらしい、大きな劇場。二階席は改装工事中。舞台の上にはつりもの用のバーの代わりに竹の棒が無数にのってい。そこに自前でウィルソンたちが照明用のバーをつっていた。何のこっちゃわからんと思うけど、なんかすごいことになっている。仕込みは早かった。
翌12日昼間リハーサル。夜本番。チェンナイで踊りを学んだジャイにとっては特別な公演である。コンサバな町だと聞いていたが、アフタートークでのはなしをきいていると、まあ、そんなもんかなとおもう。大げさなほど賛辞を述べる人と、批判的な人。ジャイの師匠もきてくれて、たいそうなお褒めの言葉をいただく。ジャイがいうにはああいう古典舞踊のグルが全面的に支持してくれるというのはとても珍しいことらしい。かっこいい。
翌日朝、デリーへ空路で移動。デリーの南に位置するセクションD7というエリアの住宅街のゲストハウスに荷物を置いて近所でビリヤニを食った後、俺とバハドゥとシャイモンはニューデリーにあるゲーテインスティテュートへいき、ナガリカプレゼンのセッティング。
プレゼンには先のジャイの師匠に加えナガリカに協力してくれたもう一人のグルであるチャンドラシェーカー氏も参加してくれる。さらにおくれてアヌーシャも参加。もちろん、観客からはとてもいい反応を得る。なんか、すごい仕事しちゃったんだなあ・・・・と改めて思う。クリスもいてくれたら・・・。
終了後ミラとヘマスンダリとサーガ、それにジュンジイと昼と同じ食堂で軽くスープなどを食しゲストハウスに戻り、就寝。ゲストハウスに住み込みの兄ちゃんがうざい(笑)
デリー二日目、朝から仕込み。現場のスタッフは今までになくとろくて非常に、困る。なんというか、やる気ゼロ。時間がかかり、結局完全に仕込み終わらずに翌日に繰り越し。
十時にアヌーシャが劇場に来てトーマスと日本人のおじさんグループでアヌーシャの車にぎゅうぎゅう詰めでレストランに向かい、ディナー。
アヌーシャとは三年ぶりか。なんだかね、とても、うれしい。アヌーシャは、特別だな。近況を報告し合い、チキンをたらふく食い、わかれる。残念ながら、アタカラリからの連絡が遅かったために、彼女自身のパフォーマンスの公開リハーサルの時間と重なってしまい、我々のは見に来ることができないという。本当に、残念。だって、プルシャルタははじめ、アヌーシャもさんかするはず、というか、アヌーシャとジャイと俺でやることになっていたんだから。
帰りはヌーシャに捕まえてもらったタクシーでゲストハウスにもどる。えーと、それがものすごいタクシーで・・・。もう、乗ってる間笑いが止まらん位におかしい。全部が狂っている。残念ながらうまく説明ができない。車種はアンバサダー。ぼろぼろである。とにかく運ちゃんがやばい。普通の人ではない。小さい男である。ハンドルにあり得ないくらいにかぶりついている。クラクションが鳴り止むことがなく、ラジオはインド音楽を爆音でならしていながらすぐにホワイトノイズに掻き消え運ちゃんはすかさずほかの局に切り替える。ギアチェンジとチューニングとなんだか変な電気系統の故障部分をいじる仕草と訳の分からんことを片言のインドなまり英語を話す身振り手振りがせわしなく繰り返される。後ろに四人、前に俺をのせて、完全に信号など無視しながら、爆音をたててほかの車をあおる。でもおいこしたためしがない。親父は車で寝泊まりしているらしい。とにかく・・・ハッピーな一夜でした。笑いをこらえるのに必死で・・・。
本番当日、朝から仕込みの続きをして満席の客をむかえて本番。デリー公演は成功。後のディスカッションもよかった。とてもいいレスポンスをもらう。
撤収後、バスでアンジェリカの実家へみんなで向かう。はたして郊外にあるものすごい豪邸であった。ジョニーウォーカーを飲みながら、なんかおわったなあ・・・とおもうと、だんだん力が抜けていった。
翌、本日17日日曜日、午前中になんとかミナールとフマユーンの墓を観光。午後バンガロールへむかう。かえってきた。
夕飯は日本チームだけでクドラで。とてもうまいシーフードレストラン。
とても重要なことを書き忘れたが、もう一カ所予定にあったグジャラート公演がなくなったので、二十二日の帰りの日まで、フリーです。明日は何やらジャイに呼ばれて打ち合わせをするようですが・・・。後は近くの山にでもいってこよう。
浜中さんとジュンジーはハンピへ。松本さんは二十日に奥さんがかえってくるのでそれを待ってどこかにいく予定らしいですよ。
すっかり書いていなかったので、というか、ちょっとハードな日々で書く時間がなかったのでディテールがぶっ飛びました(タクシーのことだけ妙に多めに言及してますが、まあ、ほかにもすごいインド的なことは山ほどありましたよ)
あ、もうひとつ、iPodもぶっ壊れました。今度こそ、もうだめみたいです。
海にいくとまさかのところに砂粒が入っていたりするが、あれみたいにハードディスクにスパイスの粒がはいっているかもしれない。

今晩チェンナイに移動することになっているけれど、昼間は特にすることなし。とりあえず昨日、2月10日日曜日の報告。
あさ十時頃、ジャイのうちの近くにある三人の泊まっているコテージへいき、インターネット。昼ちょっと前に仕事中の浜中さんと新しいガールフレンドと長時間スカイプ中(4時間!)のトーマスをおいて、じゅんじーと松本さんと三人でMGロードへ。かどの土産物屋やレコード屋そのたをのぞきながらぶらぶらしたあと、コシーズにいき昼食。チキンビリヤニなど食った後真っ赤に塗られた博物館へ。なんだかてきとーな展示でいい感じ。
浜中さんから電話があり、エンパイアホテルというレストランでトーマスと飯を食っているというので向かう。合流の後、じゅんじいがエレクトリックタンブーラを購入したいというのでいくつか楽器屋を回る。
帰ったらエレクトリックタンブーラオーケストラ(笑)を作ってライブがしたい、などと下らんことを話しながらあるいてコテージへ戻る途中、ムスリムの祭りというか儀式というか集会に遭遇する。葬式かと思ったが、何やら殉教者をまつる行事らしい。一様に黒シャツを着た男たちが歌に合わせて胸を激しく叩く。いい感じ。じゅーんじが録音していたので、後でもらってアップします。
コテージで少し休んでいると、断水していることにきがつく。そのためなにやらタンクに川の水ぶちこんでいるのにおそれをなして、ジャイのうちでシャワーを浴びたり洗濯したりするということに。
スーパーで買い出しの後、ジャイのうちで酒盛りをする。
十時頃、ジュンジと俺とトーマス三人で、町中にくりだす。04年に毎日のようにいったプレステージタワーの上にあるクラブゼログラビティーへ。客はすくなく、フロアーで踊っているのも謎の動きで踊りまくるインドビジネスマンくらい。DJ CASIOははじめ、ドアーズやらイーグルスやらACDCをまわしていたんだが、謎のインドテクノをまわし始めたので、我々もやけくそ気味におどった。インドビジネスマンが微妙にコンタクトをとりたがるのが気になる(笑)
十二時前に閉店のためおいだされてコテージへ戻る。雨。
就寝。

バンガロール公演が終了。公演は成功。客満員で受けもよろしかった。

いま日曜日午前10時半、浜中さんと松本さん、じゅんじいの泊まっているカーサピッコラで書いています。

明日よるチェンナイに移動します。ということで、今日と明日はお休み。

いろいろあったのでみんな書こうと思うと大変です。
簡単にこの三日間を報告すると、
6日よる遅くバンガロールに到着。ジャイのうちへ。
7日ナガリカのローンチ。昼間、機材チェックのためゲーテインスティテュートへいき、あれこれやっていたら、突然MacBookProが落ちる。
カタログツリーがぶっ壊れてハードディスク認識しなくなった。パニック。あれこれやったが無駄だったので、ぶっ壊れたハードディスクはそのままとっておいて東京でなんとかする(なんとかできれば)として、丸ごと新しいのに取り替えてもらう。アップルのサービスマンがいいやつ。
冷静に書きますが、丁度バックアップを怠っていたところだったので、全部データなくなりました。何ヶ月前かのデータは丸ごと東京にありますが、それからはなかったことに。
プルシャルタは無事救出。DVDでバックアップもとってあったから大じょうぶ。ジャイのMacBookProをかりて、公演一日目は乗り切り、二日目は自前の復活したマシンで乗り切る。
でも、なんかハードディスクだけの問題じゃなさそうなんだよな。アダプターつけないでいじってると突然落ちた。さっきも。デンジャラス。もう、アダプターなしでは使えない。東京に帰ったら、ジーニアスにみてもらおう。それまで、なんとか持ちこたえてほしい。

まだ、ショックから立ち直っていないので、また後で、ゆっくり細かいことかきます。

ナマステ。

追記
やっとゆっくりネットにつなげたので、いろいろしらべてみたら、MacBookProのバッテリーに問題があるらしく、アダプターを使わないで使用しているととつぜんおちるという症例がたくさんみつかる。
つまり、ゲーテインスティテュートで電源につながないで使用していて突然落ちたとき、何度か再起動をしたものの、途中でまた落ちるということを繰り返したので、ハードディスクのカタログデータが壊れたんだろう。
もっと早くこの問題に気がついていたら、というより、ちゃんとバックアップとっておればよかったのだ。
せっかくタイムマシーンがあったのに。ハードディスク代をケチったら、逆に高くついた。
東京でどこまでデータを取り戻せるかなあ。

明日からインドツアー。
今荷物をまとめました。ちょっと不安。
結局いろいろああしたいこうしたい、というか、ああしなければこうしなければ・・・は保留のまま。
まずはバンガロール公演。六日の夜に到着して、七日仕込み、八日に本番・・・か、やばいな、時間ないな。
六日の深夜、ちょっと夜なべしてやるか・・・・。

とにかく、明日からしばらくぶりのインド日記。

水曜日からインドへ行くというのに、そんなことすっかり忘れて毎日を過ごしており、全く準備などをしていない。旅に出る準備などは、出発前小一時間もあれば済むので、準備といってもつまり作品のことである。今回は多少改良したいところがあって、まあ、だいたいどこら辺をどうするかということは頭にはあるのだが、とにかく寒くて(というのは思いっきり言い訳だが)やる気が起きない。いつものことだが、「最悪、飛行機の中で時間がとれる・・・」等と考えてしまう。飛行機の中で出来るような仕事ではないにもかかわらず。
精神が弱い。インドで鍛え直してきた方がいいと思います。

昨日2日土曜日は、久しぶりに中野へ行く。インドへ持って行くつや消し黒ガムテープとビニールテープを西田商店へ買いに行くためである。インターネットで買った方が安いことが判明したが、今から注文しても間に合わないかもしれないと思ったので、寒い中わざわざ出かけていった。飯田橋からは東西線一本なので、意外に楽だ。
中野すごい。何でもあるじゃないか。中野と高円寺と阿佐ヶ谷足して、独立国作ってもいいとおもう。国が違う。
その昔高円寺に随分長く住んだ。だから、あの辺に行くと、血が騒ぐ。心の故郷である。水戸、四谷、都の西北とならぶ我が故郷・・・・。
ブロードウェーは世界に誇るパワースポットだ。中野高円寺阿佐ヶ谷共和国でははじめにブロードウェーを世界文化遺産に登録申請した方がいいと思う。

そんなことはどうでもいいが、・・・まあ、これもどうでもいいことなんだが、
何でインドに黒テープを持って行くかというと、どうも、手に入らないらしいのだ。そんなことあるか、と思うのだが・・・。こないだ日本に来たときも大量に持って帰っていたし、イギリスでは大変な重量オーバーになりながらも箱買いして持って帰っていた。
どうでもいい豆知識であるが、もし、黒ガムテープくらいインドで手にはいるだろう、とおもっている黒ガムテープがどうしても必要な仕事をしている方は、日本から持って行った方がいいです。

中野から帰ってきて、「ビューティフルマインド」と「シティオブゴッド」という映画を立て続けに見てねる。前者は二度目、後者は以前中途からしか見ていなかった映画。
シティオブゴッドはすばらしかった。あれ、役者達、地元の本物のちんぴら達らしいじゃないですか。徹底してる感じが、びしびし伝わってくる、けどエンターテインメント。いや、エンターテインメントに見えるのはあいつらが妙に根が明るいというかやんちゃな感じだからか・・・・。舞台が舞台だったら、同じストーリー、編集でも、あんな風にはならないだろう。救いがなさ過ぎるので、救いをどこかに見つけよう
見つけようと・・・。ベネといういい悪党が恋をする。救いだ。ブスカペに好きな物がある。写真。将来のことを考えてる。それも救いか。しかし、すごいところもあったもんだ。

そとはゆきがふっているので、今日はうちで・・・

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