もう、帰ってきてから随分たっちゃったんだけれど、簡単にでも最後の二日のことを書いておかないと、東京の日々の報告が出来ないので、もうそんな昔のことは思い出せないのだけれど、書いておく。
マディケリを出発して七時間半のバスの旅の末にバンガロールにたどり着き、宿泊しているジャイのうちの鍵を持っていないのでアタカラリに向かう。それが午後三時くらいか。
ジャイもトーマスもいなかったらアタカラリでゆっくり待つつもりだったんだけれど、トーマスがカナダから来たアーティストとなにやら打ち合わせ中。鍵を受け取り、ジャイのうちへかえり、かび臭い体をシャワーで流して昼寝。やっぱバンガロールはいい。快適。この街なら住めると本気で思う。(もちろん、それなりの地位とお金は必要なので、俺にはむずかしいけど)
少しうとうとしているとトーマスが帰ってきたので、今となっては何話したんだかおもいだせないが、お茶を飲みながら、とてもゆっくりした午後を過ごす。iPodをダメ元でもう一回バラしてみたら、(とりあえず)復活。旅から帰ってきてすぐ、このタイミング。ついてない。もういい加減新しいのを買わないとならんか。だって音楽聞いているときに、いつ止まるか気が気でなくて音に集中できない。いや、バッテリー交換すればなんとかあと三年は持つか。
夜7:30ごろ、濱中さん達みんな、それからアーユルヴェーダのトリートメントのためにインドの山奥に二週間もこもっていたJOUが、ジャイのうちへジャイとトーマスと俺を迎えに来る。アタカラリのツアーマネージャーであるラギニのうちで、今日はパーティー。打ち上げである。みんな、こぎれいなシャツなんか着ているので、俺もあわててシャツを羽織る。
はたして、話に聞くとおり、ラギニのうちも日本語で言えば豪邸であった。飯も(もちろんカレーだが)とてもうまい。自称インドのエルビス、ラギニの旦那のギターで歌を歌ったり、濱中さんの千の風にのって?だっけ?の熱唱やら、ラケシュのおなじみ謎のボリウッドショーとか、JOUのダンスやらいろいろ大盛り上がり。いやあ、隠し芸は日頃から練習しておくべきですね。俺も久しぶりにギターを持たされたんだが、とっさで何も出来なかった・・・これは、芸人として非常に悔しい。
しかし、みなさん、お金持ちばかりである・・・・。
翌二十二日は朝からつぎの企画のロケハンツアー。十二月にアタカラリが主催する国際ダンスフェスティバルのオープニングピースを一緒に作ることになっている、というか、いつのまにやらなっていたんだけど。
もちろん、濱中さんも松本さんもトーマスも一緒である。ジャイの話、というか夢を聞くと、なにやら壮大な計画のようだ。ラスベガスのショーのイメージが頭に浮かぶ(笑)
まず、はじめにいったのがカルナータカ州庁舎である。この建物をバックにオープンパブリックな作品を大々的にやりたい、とかおもってるんだから、たいした夢である(笑)まあ、すごいところである。どんだけすごいかはネットで検索すれば写真があるとおもうよ。
まあ、あといろいろまわったんだが、州立庁舎はだめとしても、まあ、何となくいいところはあった。
どこでやるとしても、難しいですね。
帰ってきて濱中さん達はジャイに頼まれてダンサー達の撮影セッション。
おれは今まで忙しくて買い物する暇もなかったので、やっと街へでて土産物ショッピング。fabindiaにも、最終日になってやっと行けた。テーブルクロスやらなにやら、かみさんに頼まれた物を購入。
夕方五時頃戻ると、ちょうど撮影会も終わる頃。おれはアタカラリとお金の話をしたり、両替商にルピーをユーロの両替してもらったり。
六時頃アタカラリのみんなに別れを告げて、ジャイのうちへ向い荷造り。
七時半、トーマスとジャイに見送られながら、我々日本人チームは帰国の途へ。
十二月に、戻ってくる。?でもさ、あんな規模のイベントやるとなると、準備が大変なんじゃないだろうか・・・・。
それと、プルシャルタは、今年六月に再びアムステルダムで上演されることになりそうです。(みんなのスケジュール次第なんだが・・・)シンガポールからも声をかけられているという話も。
正直、そんなに売れると思ってなかった(笑)


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