北京。五月三日午前三時。
九時の飛行機なので六時半にはここを出なければならない。
今ちょうど荷物をまとめ終えたところ。
こんな時間まで何やってたかというと、デスティネイションというゲイクラブにいってきた。二十年前には考えられなかったことである。ゲイクラブなんて。
後三時間ほど寝られるので、ねる。寝過ごさないといいが。
続き、というか詳細は帰国してからにする。
というわけで詳細。
一時半ごろ成田に着陸。無事に帰国する。とにかく、成田は、東京は空気が澄んでいる。北京は遠くがかすんでいるだけでなく、一寸先さえぼんやりとかすんでいた。ここでは目の前の空気がすんでいるのを如実に感じる。透明度が違う。濁った川から急に透明度百パーセントの湖に出たような、そんな感覚。これでも東京の空気は汚いという。しかし、よくあそこにいられたものだ。オリンピックの選手達が気の毒である。
常に、非常に、何かを激しく燃やした後のようなにおいが立ちこめていました。
二日、最終日の記録。備忘録。
朝八時半ごろ目が覚め、何度も寝たり寝なかったり寝たり寝なかったり何とも中途半端な時間を過ごし、今日は最終日だから土産買わないといけないし八元しかないから銀行にもいかないといけないし・・・と思いシャオクーにSMS。十二時にCCDでまちあわせの約束をする。腹減ったので近所で牛肉面(大)四元。でかい。食欲は復活したが、あまりにでかいので残す。インターネットがつながらないので、近所をぶらつく。何もないし空気が悪くてぶらつきたくもないのだが、部屋が異様なにおいを放つようになってきたので、部屋から出たかった。
十二時前にCCDでメールなどチェック。さらにリハーサル用のサウンドトラックとタイムカウントを修正。
シャオクーと一緒にタクシーで中国銀行へ。500元おろす。(ところがこの後使うところがほとんどなく・・・・)
ショッピングモールのスーパーマーケットで二〜三品だけ食品を買っておしまい。(なんだか、いろいろあった中国食品問題を考えるとあんまり、もちかえってもうれしくはないだろうなあ・・・と)
そのあとCCDへ戻り昼寝。つづいて五時から六時半までという短いリハーサル。通す。まあまあかな。今のところ。まあ、何とかする。
チャンさんも見に来た。
CCDのアーティストラボ参加者達の打ち上げというか食事会があるというので参加。有名な店らしいがあんまりうまくなかった。量も大量。酒は控える。
結構熱もまた上がってきたようだが、最後の夜である。ここはつきあう。上記のデスティネイションというゲイクラブへ行くぞー!みたいなノリとなり、タクシーで移動。どこだあれ、体育館なんとか西とかっていってたが場所は覚えていない。しゃれた飲み屋やレストランが建ち並ぶところ。
デスティネイションの中は男だらけ。イカホモの中国人と西洋人であふれていました。
二十年前、南駅の近くの屋台みたいな小さな掘っ立て小屋でおしゃれをした男の子二人がバーを営んでいたのを思い出す。そんな人たちが今はこういう大きな箱で商売をするようになっているのだろうか。客はあの頃見かけた股割れズボン(カイタンクウとかいう)はいてウンコちびりながらはしりまわってたガキども達である。ゲイだって、そのころは「違法」だったのだ。違法って・・・・それゲイの人たちはどうしようもなくゲイなわけでいったいかれらはどうすればいいのさ・・・とおもってやりきれないきもちになったけれど、いまはこうして非常にオープンである。
ところで、今回つかった金額が思いの外少なかった。日本国内の交通費、免税のタバコ代、土産に買ったお菓子代、含めて一万五千円程度である。十日間で一万五千円。しかもそのほとんどを日本国内、および最終日に買った土産物代で費やしています。
まあ、そりゃあそうか・・・ホテル代はシャオクーのおごり(どうしてもというので)。あの村から出たのは天安門広場散歩につきあったあの夜と最終日のゲイクラブくらい。飯代は平均五元(75円)程度。それでも移動はいつでもタクシー。
こんな事ばかりだけでなく、タイミングもタイミングだけにいろいろ考えることも多かったけれど、こんな事ばかり書いておく。
お疲れ様でした。


おかえりやす。
写真、見事に黄砂色だね。
ただいま。この写真はちょうど泊まってた賓館のまえから村のメインストリートをうつしたもの。
黄砂なのかな・・・・砂ならいいけど・・・ケミカルな黄色にも見える(笑)