クライシス

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一昨日深夜、セーフティーネット・クライシスと題されたNHK特集をみる。
若い頃の私はビルゲイツの総資産くらいのお金は常に財布に入っているような老後を想定していたし、不老不死を本気で信じていたようなふしがあり、さらには正直なところ念力で革命を起こそうなどと思っていたので、健康保険制度、介護保険制度、生活保護のことにかんして不安になるようなことはなかったのだけれど、今はもちろん不安どころの騒ぎではない。私もまさに貧困層。クライシスまっただ中である。
貧困の再生産のはなしもきつい。貧しくて教育が受けられない。勉強する暇があったら働けと役所にいわれる。学校やめて働いたら働いたで、働けるなら生活保護いらないだろうといわれる。やっぱり学校いけない。教育を受けてないとアホだと思われるので仕事がない。仕事がないと教育どころか飯食えない。人間性が脱力してくる。あきらめた親があきらめた子を育てる。これでは日本終わる。
政治家や富裕層は、貧困層が終わっても日本は終わらないだろうとでも思っているんではないか。
じつに、暗澹たる気分。

スピードがNASAと一緒に作ったすごい水着をしのぐスーパー水着を、五月の終わりまでに作ろうとして日本のメーカーががんばっておられるそうである。たぶん現場はすごいことになっているんだと思うが、もうすこしである。がんばってほしいな。
テレビでメーカーのオヤジが、日本製より海外製のものの方が優れているなんてくやしいではないかといっていた。日本に住む人たちはいままでこうやって「なんだかもしかしたら明るい未来」を作ってきたのだ。これでもし、ものすごいのが登場したら、日本の終わりは少しだけ先に伸びるかもしれない。

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コメント(3)

うーん。否定するわけではないのだが、
最近こういう「クライシス」という論調が増えているが、
有史以来、人類はずーっとこうだったのではないだろうか?
まさに戦前までは貧農が娘を売らざるおえない環境があったし、
「蟹工船」という作品が生まれる状況もあった。
戦後の「一億層中流」幻想が崩れただけ??

その「一億層中流」を果たせたのも
ラッキーな事にアメリカのアジア政策(防共)に組み込まれたからであって
一歩間違えば北朝鮮のようになっていたかもしれない。
あ、話がそれてしまったか。

とはいえ、資源も無い日本という国に生まれた子供を持つ親としては
この国の将来を思うとクラクラしてくる。
生んじゃって良かったのだろうか?と。 大丈夫なのか?と。

今度、飲みながら議論させてください。
おやすみなさい。

そーですねえ・・・。
でも、時代と状況にあわせて憲法に定められたとおりに国民が生活できるようにシステムを調整していくことは政府の義務ですからね。
年収二百万のワーキングプアの人に年間六十万ちかい国民健康保険の請求がいくなんてのは黙って見過ごせないんですよね・・・。
黙って見過ごせないから文句いったり、それじゃあなんとかしようじゃないのって動きがあって、それでやっとなんとかやってきたんだとおもうんですよね。
いままでだってそうだったし格差はものすごくあったのは確かだけど、そうやってなんとか声を上げて戦ってきたからやっと今まで程度ですんでいたくらいなもんなんだと思います。
資本家や富裕層が「しかたないべ、そういうもんなんだよ」といいはなつとき「そうですね、そういうもんなんですよね」と”いたしかたなく”最下層になってしまった人々が脱力して同調したら大変なことになると思うんですよ。
インドで、人のような人でないような生き方をしている”いたしかたない”最下層の人々をみてそう思ったんですよ。「生まれ変わって、つぎの人生に期待しな・・・」って、それはないよ・・・と。ほんとにそうなのかもしれないけど、それであきらめた瞬間になにか別の生き物になってしまうんですよ。どんなイデオロギーで理屈を言われようとどんな学説にもとづいて理屈をいわれようと何しようと、人が人でないようになって生きるのだけはいやだな・・・見るのもいやだな。
これはたぶん、まず、人間の誇りの問題だと思うんですよ。中流程度のお金を持つ人だって「昔から人は不平等だったんだから、おれなんて搾取されていてもそりゃあしょうがないよ、こんなもんだよ・・・」とおもってらへらへらっと笑った瞬間に、ひとでなくなりますよね・・・。

近頃なんだか「あきらめ」が蔓延しているような気がする。
今ある環境を「人のせい」、「世の中のせい」にするのではなく、
「変えていく」「自分の声を上げる」ことが大事だと思うんです。
おいらも永ちゃんの「成りあがり」を読んで感化された少年だったので。

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このページは、matsuoが2008年5月15日 10:51に書いたブログ記事です。

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