十九の時に見た

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また、黒猫のロイの調子が悪そうだ。便秘。吐く。バターをなめさせたり腹やお尻の穴をマッサージしてやったり。じっとしていることが多いのでかまってやらないと腹が動かずクソも出ない。いつも便秘がひどくなったときはウンコのポーズでがんばる姿を見るんだけど、しないから心配である。寝てばかりだ。
ということで、猫が心配でやっぱりうちですごす日曜。

ソダーバーグのセックスと嘘とビデオテープをテレビでみる。
学生の頃、映画館に見にいった。どこだったか。誰といったか。一人で行ったのか?たぶん。ほとんどの映画は一人で見にいった。二人で見にいく意味がわからなかったからだ。女の子と二人で映画鑑賞なんて理屈がわからなかった。せっかくのデートなのに二人で正面向いて何も話さず、見ず知らずの他人が作ったものを2時間も3時間も見るなんて、時間の使い方を間違っているだろうというのが持論だったからである。もし六時間しかないというような状況で会って三時間映画見て飯食ってやったりやらなかったりしてさようなら・・・、よりも、あって六時間ぶっ続けではなしてやってくってやってはなしてやってやってさようなら、ではないのか?それが若い男女の合理的なつきあい方ではないのか?と、おもっていたふしがある。いまは、別に一緒に見てもいいと思っている。
あのころ、ビデオデッキもってなかったし、ネットももちろんなかったし、映画館と本とCD(あと長電話)にたくさん時間を費やした、というか費やすしかなかった。ひまだった。ひとりでよく街を徘徊した。
一人で考える時間を絶対確保しておくという癖はその頃付いた。
最近そんな時間がとれていないのでイライラしている。焦りを感じる。

あの映画はビデオカメラっていうのが新しかった頃の話だ。なにやらこむずかしい映画におもえた、というより小難しく考えたかったんだろう。まつお青年はなにやらいろいろ考えたり帳面に感想を書いたりしていたような気がするが、今考えると蒼くさい。その頃の俺は何を見ていたのか、その頃のノートが見てみたい。もちろんもうないけど。十八〜九の青年にあんなのわかんねえだろうに。ところが大人になって見直すと、感想も何も文章や言葉で表すのが、非常に困難である。ただ、昔よりもリアルに感じる。その感じをきちんと映画を見ながら生きることが出来る。この映画はよく出来た映画だった。そんな大げさな映画ではないけど。ソダーバーグは今となってはオーシャンズなんとかの娯楽の巨匠である。

若い頃に見てしまって「まあ、あんなもんだ」と落とし前をつけてしまっているもったいないという映画や小説がいっぱいあるはずだよなあ・・と。

夜はフランソワ・オゾンの5x2を見る。ちょっとした夫婦げんかの後に(笑)これはこれでまた、私のようなオヤジにとって、とても・・・・。良い映画とか悪いとか、何も言えないはなし。

歳をとって、映画や小説などについての感想など何も言うことが出来なくなった。話したくなくなったという感じ。

うちの奥さんが郵便局の時間外窓口に行きたいというので、夕方、神楽坂へ散歩に出かける。なんかいろいろめんどくさいし、夕飯は外でラーメンを食った。

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このページは、matsuoが2008年5月19日 10:06に書いたブログ記事です。

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