2009年2月アーカイブ

及川ギーヤンをつうじて韓国での製作話が来たんだが、スケジュール的にきついのでたなみ君に又振りした。五週間かけて作品作ってSidanceっていうフェスティバルで上演するんだとか。たなみ君、三月いっぱいで事務所を離れ独立する。お疲れ様です。とりあえず焼き肉五週間食い続けて英気を養ってください。

六月にSickroomやりにベルリン行くかもしれない。チャン老師が推してくれたようである。ちょっと改訂が必要だな・・・一回も成功していない、っていうか作品自体完成していない。

八月、お盆のころにデリーにいってアヌーシャとの共作バラタナティヤム作品「EDGE」をやる予定、というか心づもりなんだが昨日アヌーシャから助成金がIFなんとかから出そうにないというメールをもらう。JFもこの時期からだと無理か・・・どうすればよい?

なんだか知らんが、アヌーシャの母ちゃんがうちの母ちゃんの書を気に入ったらしく、デリーで個展を開かないかとさそわれたので、母ちゃんに話を振ってみた。はじめ乗り気だったようだけれどびびったのかリアルに考えて金銭的に無理だと思ったのか断られた。
若くてロック聴きながら巨大半紙に墨をぶちまけるとか、焼酎のコマーシャルに出て仙人然とするとか、「にんげんですよ」とか、ヘタなヘチマの横に「日本の夏だ!」とか、まあそういう売りがないとあんまりこう作家性が前面に出てくることはないように思うけど、そういうざっくりとしたところだけ見てると本質を見逃す。書道は作家人口の裾野が広いジャンルで、もうなんだかわかんないくらいの数の作家がいるんですよね。そういう数のレベルのなかで五合目を目指し、六合目を目指し、八合目辺りから上の人たちはミクロな技術とセンスを競って磨いているんだからね、それは質の高いところでの勝負になるわな。アニメとか、漫画もそうなんでしょう。絵が動いてるだけで「すごーい!」みたいな事にはならん。裾野が広いということはそういうこと。それにくらべてね、俺のやってるようなことは気が抜けたフレッシュライムソーダみたいなもんだ。

U2の新作がでて、イーノとラノアがプロデュースしてるんだけど、らしい感じである。1曲目の前奏からイーノ丸出しな感じ。でも、いまあんまりU2なきぶんではないんだよな。坂本龍一の新作が聴きたい。

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本当のところ、ひどく体調が悪い。風邪をひいているようである。デリーで何となく気がついてはいたが気合いとアヌーシャにもらった薬でなんとか乗り越えた。帰国して東京の寒さとリアルに些末な処理すべき事が押し寄せたことで、隙をねらっていた病気の素の悪魔さんたちがどばどばっと攻め込んできたようである。
とはいえ、リアルに些末な処理すべき案件は一向に片付かず、片付くどころか手をつけるのもおっくうであり、さらに今日は雨。

昨日からアーユルベーダの医者が処方してくれた、なんにきくのかさっぱりわからない上に数も一回の服用量も大量の薬を服用し始めた。やけくそである。服用したあと三十分ほどすると、何かこみ上げるものというか、酒でもニコチンでもカフェインでもない他の何かが脳に作用しているような感覚があることに気がつく。しかしそれも長続きはしない。なんだろう、これ。
ものすごい色の液体が二種類と、ワカモトみたいな錠剤に、なにやらヒンディー文字が書かれた真っ赤なカプセル。夜にはそれに加えてセメント色のペーストに、石灰のような粉末。
一ヶ月分。ひとつき続ければ確実に体質がかわるだろうと、一服してわかった。

日本に帰ってくればそれはそれで問題が山積みである。ご多分に漏れず人生にありがちな諸々の苦悩にさいなまれているわけであるが、日本人的に、これはこれで受け入れて淡々とこなすことに喜びを見いだす事にする。

ところで、忘れてしまわないうちにバンガロールでやった事に関して書いておくと、特に、大変だったなあとくらいしか書くようなことないんだけど・・・・樋口君にiChatをつかってフェスティバルロゴのモーションタイポというかなんていうか派手にきらきらとしたものを発注。皆さん大喜びで大成功。みんながいうにはいかにも日本っぽいという。いわれてもよくわからないんだが、樋口君、あれいかにも日本っぽいんだってさw

どこがといわれてもわからないがにじみ出るバックボーン。それが伝統なのであれば、それを支える日本での生活スタイルを誇り大切にしなければ、伝統は潰える。その土地とそこに生きる人たちの関係に適した生活のしかたと知恵みたいなもの。アフォーダンス。山には山の、砂漠には砂漠の知恵と身体性がある。ちゃんと本も読んで、昔の人が何をやったか編集してきたかも勉強しないといけないなとおもいいろいろ読んでいる。ざっくりした奴ばかりだけど。風姿花伝とか茶の本とか大学生の時に読んでわけもわからず遠い昔に忘れてしまったのでもう一回読んでみることにしよう。

外国にいると自分は非常に仏教的な考え方をするのだということを感じることがある。
日本のコモンセンスの中では気がつかなかったことに気がついたりすることがある。

村上春樹がイスラエルで演説したらしい。戦略と技術の勝ちである。よく言ったあんな事敵の懐でなかなかいえないといういう人もいるが、普通の日本男児であれば誰でも出来ることであろうとおもう。当然のことだ。自分の主張を、好機に、適切な言葉を適切に選んでいう。でもこのチャンスをつかむのは並大抵ではできないよなあ。卵ではなく、彼は橋である。
チャンスをつかんでいてもそれに気がつかないこともある。だから、あんな大切な場面で酔っぱらって寝るような大臣もいたりする。たまたま大臣になったような奴にチャンスを生かす器量はない。普通の日本男児はあんな事はしない。壁の側の人間。

なんだかカラダにまだ毒が残っているような感じである。バンガロールでは常に鼻の粘膜が刺激されて濃厚な鼻水がどばどば出た。

濱中さんの非常に有益な情報のおかげでシンガポールチャンギ空港でインターネットに接続しています。矢沢永吉聴きながら。
13日は夕方からリハーサル。八時頃に朝飯食ったあとインドとは思えない中庭でインドとは思えない普通の紅茶を飲みながら二人で会議。何となくとっかかりのようなものがつかめたような気がしたあと、昼頃からアヌーシャにアーユルベーダの医者につれてってもらう。アヌーシャの弟がへんなどろどろをのんでいたので何かと聞いたら元気になる薬らしいので俺ももらいに行こうかと・・・
医者に二十分くらいいろいろきかれて処方された何かすごい色した薬を受け取ると二千五百ルピー!たけえ・・・アスピリンが二十錠で五ルピーなのに(笑)
アヌーシャがうちの奥さんにプレゼントがしたいというのでファブインディアへ。首巻きを選んでくれた。
そのあとリハーサルへ。とりあえず撮影。なんだかハードコアになりそうだなあ・・・
九時ごろ終了してアヌーシャとともに小野さんが紹介してくれるという人に会いにハイアットホテルへ。ハイアットホテル?!ってデリーで一番醜悪なホテルである。そこの中国料理レストランへいくと小野さんと彼女のサポーターを自称されていたお二人の紳士の方々。おそらく俺のようなタイプの非紳士的な人物に会われるのは初めてであろうと思われる(笑)食事はもう終了されていたので一杯だけカクテル(一杯500ルピー!)ごちそうになる。明朝早くにゴルフへ行くとのことで眠そうにされていたので早々に切り上げ。我々が来るまで楽しそうにされていたのに、ぶっきらぼうで好き嫌いの態度がはっきり顔に出るインド人ダンサーと「草の根文化交流」の風来坊がおじゃましてしまったようである。申し訳ない。
翌十四日、アヌーシャは午後から友人(ムスリムの女の子とクリスチャンの男性のカップル!)と共にクルマで三時間かけて人権に関するイベント(ムスリムの友人の親類がいろいろ複雑な事情があって殺されて命日に毎年開かれるイベントらしい)がに参加するために出かけなければならず、午前中にまとめていろいろ。iChatのやり方教えたり、スーパーでチャックマサラ(笑)仕入れたり。インド人の誰にきいても「チャックマサラ」なんてしらんというのでアヌーシャといろいろ議論(笑)した結果、それは「チャットマサラ」のことなんではないかとの結論を得る。おいしんぼではアムチュールをつかってあると書いてあるので確かにチャットマサラはアムチュールの酸味をいかしたマサラであるし、発音的にもチャッッマサラと聞こえるのでその漫画原作者は綴りをみないで聴いたままをカタカナにしたんではないだろうかと・・・
チャットマサラはヨーグルトにぶっかけたりサラダにぶっかけたりするものでマサラ味の味塩みたいな使い方をするという。
とりあえず、もうそれでいい。それを土産にいくつか購入。チャンキーチャットマサラ。
アヌーシャ達を見送って、弟とその彼女と一緒に昼飯。今日はなにやらレポートの発表があったらしく1時間以上しゃべってへとへとのようだった。アヌーシャのママも加わり世間話。世間話といってもなんだかこのご家庭の話題はいつも非常にハイレベルでアートや文学や世界情勢などの話が多い。昼真っから。ついて行くのに精一杯(笑)
お母さんも我々のコラボレーションに興味津々らしくミュージシャンがどうのこうのバラタナティヤムがどうのこうのと的確な(そう、的確な)アドバイスをくれる。
三時ごろ、迎えのタクシーが来て空港へ。デリーからバンガロール、バンガロールからシンガポールにたどり着き、今こうしてKOIPONDのコイを眺めるおじさんの横でこれを書いている。
もうすぐ帰ります。お疲れ様でした。


二月十二日デリー。
風邪をひいたみたいで鼻の奥がいたいし体もだるい。デリーは寒い。バンガロールのテンションのまましずかなデリーの高級住宅でリラックスしているのも原因だろう。
朝八時半ごろ起きてアヌーシャ弟とママとアヌーシャと朝食。メールをチェックしたあとどこだかわからないが中心の方にあるリーハーサルスタジオへ。アヌーシャと仲間で運営するGATIとかいうダンス関係のオーガニゼーションの事務所兼スタジオ。ワークショップの開催やアーティストインレジデンスやシンポジウムなんかを企画運営しているらしいです。一昨年辺りから頻繁にお知らせメールが届くので随分忙しくしている様子。
十時から午後三時頃までもう一人のダンサーを加えてリハーサル。断片的な動きのアイデアとやりたいことを見せてもらいながら音や映像と一緒にしたときの可能性についてディスカッション。難しいです。バラタナティヤム。音はインド太鼓などのミュージシャンとやるときめているらしい。音とのからみが重要なので俺に基本の構造を考えさせてくれとせがむ。昨日はあえなかったが、ミュージシャンとも話し合う必要有り。
なんと以前東京でパフォーマンスを見てショックを受けたオリッシーダンスの小野さんがヨーロッパから帰国していったんデリーに滞在しているというので連絡を取ってみたら、GATIのすぐそばの友達のうちに居候していることがわかり、スタジオに遊びに来てくれる。アヌーシャと三人で昼食。小野さんはブバネシュワルのうちを引き払ってデリーに引っ越しを考えているらしく、ここでネットワーク作りをしたいというのでいい機会である。
どこかわからないがしゃれたカフェだかレストランでアヌーシャの子供バラタナティヤムクラスが終わるのを待つことに。ところが小野さんが誰か会っておきたい人物はいるかというので交流基金の人に挨拶くらいしか思いつかないというと、電話をかけまくってくれてすぐにアポイントメントを取ってくれる。で、JFへ。バンガロールのことやこっちでの活動について報告と雑談。日本語が話せるのでちょっとしゃべりすぎた。でも行ってよかった。
七時頃、俺はゲーテインスティテュートへ向かう。小野さんは別のミーティングがあるというのでどこかへ。ゲーテインスティテュートではケニーGみたいなへたれラウンジジャスのライブが行われていてビールもないしタバコも吸えないのでオールドデリーに飯を食いに行くことにする。アヌーシャの友達カップルに小野さんも合流。
なんだか迷宮のようなオールドデリーのなかを歩いて適当なレストランに入り、手を洗おうと店の入り口にある洗面台に並んでいるとアヌーシャ達が一人の男性をチラ見しながらこそこそ話しているのでどうしたのかきくと、なんとザキールハッサンその人である。一人で飯食ってる。ザキールハッサンである。Dr. タブラビートサイエンスである。ありえん。この偶然。この人混みの中、この世界の広さの中で、神と会うに等しい奇蹟。
声をかけるにきまっている。しかもノート片手のミーハースタイル。いくぞ、と思った瞬間には小野さんがすでに名刺を渡してる(笑)「すごいファンなんです光栄ですサインください」というと右手でガンガン食事中にもかかわらず「じゃあてをあらってくるね」といって右手を洗いに行ってくれサイン。すごい紳士的な態度である。大物らしく。名前を聞かれたので何をやっているか少々説明させていただく。飯中にもかかわらず。申し訳ない。
我々も飯が終わって、では帰りますと挨拶をしにいくと、知り合い達も加わって食事中。で、ちゃんと名前と職業を覚えてくれていたんですよ。皆さんに俺が誰でどういう事をやっているのかザキールが説明して紹介してくれるという光栄。興奮。
まあ、そういう奇蹟の夜でした。
後でサインを確認したら「matsuo sama」と様呼ばわりで書いてくれていた(笑)ちゃんと会話中には「さん」だったから、知ってて丁寧に書いたんだな。

デリーに移動したので、バンガロール後半のことは何もメモしておかないままデリー日記。
今十一日の二十三時。今朝六時十五分にタクシーが迎えに来てバンガロール空港へ。八時四十五分のフライトが九時半に遅れて搭乗。機内であと時時間ほど遅れるというアナウンス。インド人もざわめく。切れる奴続出。おれも一瞬きれかかったがスパイスジェットのお姉さんがものすごく綺麗なので許す。アヌーシャに電話で遅れる旨伝える。結局十一時半にデリー着だったのが三時に到着。三時間半遅れ。へとへとになりながらアヌーシャのうちへ。遅くなってしまったので今夜のリハーサルはキャンセルし、しかたないので早速会議。これは・・・難しいかもなあ。チャレンジングな企画。だってあくまでもバラタナティヤムを貫く作品だから。いわゆるコンテンポラリーダンスではなく、バラタナティヤムの拡張というわけでもなく、とにかく正統のバラタナティヤムのコンテクストの上でバラタナティヤムの歴史に連なるバラタナティヤムを・・・とにかくバラタナティヤムなのである。アヌーシャは一緒にバラタナティヤムのDVDを作ったバラタナティヤムダンサーでリーラサムソンの弟子なんだが彼女にとってはバラタナティヤムは古典ではなくて生きているというのが話を聞いていてよくわかる。まだバラタナティヤムを作っているのである。バラタナティヤムってたくさん書くと疲れる。
アヌーシャママに再会。有名なドキュメンタリー作家なんだがフランクでナイスなおばちゃんである。パパとは初対面。うちの中に人の気配がないので、てっきり家族は留守にしているのかと思ったら、パパは自宅の地下に建築設計事務所を持っていて、ちょっとのぞいたら大量の模型に囲まれて十人くらいの若者と共に働いていた。
おばちゃんはどっかいっちゃったんだが、アヌーシャ弟とパパと雇いのコックが作った飯を食う。飯を食ってウイスキーを飲みながらまたちょっと会議。今日は疲れたのですぐにお開き。

昨日のこと。昼頃、とってもやることがなくて暇なのでアタカラリの新作クロノトピアの仕込みをのぞきに行く。ディプロマダンサー達と茶をしばいたあとランスルーを見せてもらう。うへえ・・・。ちょっと退屈かも。終了後マティアスに捕まりフランス語なまりの英語でこれがいかにつまらない作品かを延々聞かされる(笑)まあ、いろいろいいたいことはあるが、俺にやらせろと思った。もっとましにコントロールできたんではないか。
本番はもう少しましになっていた。まあ、ダンサー達にメリハリがきいていたからだろうけど、音楽もなんだかCDを流しているような感じのつながりで・・・曲のクオリティーは高いんだけど・・。
終了後、クロノトピアグループに混ぜてもらってオンリープレイスででかいステーキを食う。腹一杯になったところでみんなにさよなら。なんだかまたすぐにどこかで会いそうな。別れるときにハグしてたときは少し寂しくなったんだけど、肉食い過ぎたせいか帰りにリキシャではそんな気分は吹き飛んでしまった。人のネットワークにも臨界点があって、ある程度までつながると急にみんながみんな知り合いの知り合いみたいな状況になって一気にネットワークの規模が拡大する場合がある。そうなるといいんだけどなといつも思う。

俺一人残った日本人。アタカラリでインターネットに接続しています。なんだか隣でよくしゃべる変な振り付け家(たぶんアメリカ人)がインタビューを受けていて、なんだかしらけたクリシェががんがん耳に入ってくるんだが、それに加えて隣のリハーサル質では彼のダンサー達が変なフュージョン音楽でワンツースリーフォーアンドワンツースリーみたいなリハーサルを続けていてトリップ感たっぷりである。しかし、このヒゲオヤジよくしゃべるなあ・・・・インタビュアーの女の子はかわいい。あ、もういっかいチラ見したらすげえかわいい。色白くしたらたぶん日本でトップアイドルデビュー級。

は?いんどどころじゃねえっっっっw ちゅーごく!

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すでに六日に本番は終わって、今日は八日。しばらく書いていないのでディテールはよく覚えているがそのつながりが思い出せない。
今日のことからメモ。二月八日日曜日。
八時起床。八時半に食堂で朝食。コーンフレークと卵焼き。はずれの日。あたりはカレー。カレーが「あたり」と思うようになっている。
九時にマイクロバスが迎えに来てアリアンスフランセーズへむかう。フェスティバルにおける最後の仕事であるカンバセーションプログラムへのファシリテーターとして。六組の若い振り付け家の短編作品の上演とそれぞれについてのディスカッション。総括討論ではこれといってうまいことはいえなかったが、グループ別の討論ではまあまあいいこという。俺がリードするグループは、偉い振付家アステルダブーと哲学者のスンダとアリゾナ大学でダンス教えてるカロリン。担当したのはボンベイでダンスを学んで活動するミハイルという青年。
終了後、タバコが切れていたのでステージでミハイルがタバコを吸うシーンがあったのを思い出し、あの小道具をくれとせがんだら一箱丸ごとくれた。コンサル料である。
アリアンスの近くのエンパイアレストランで飯を食ったあといったん宿(UTC)へもどり三人が荷物をピックアップしてアタカラリ。セルジュアメ達と再会する。そのあとみやげものショッピングへ。もう別に珍しいものはない・・・。街は五年前に比べて随分様変わりしている。ジーンズの女性はとてもレアだったのに今ではみんな洋服を着ている。そういえばアタカラリのダンサー達も以前はみんなインド服を着ていたのに、今では誰もサリーなんて着てリハーサルに来ない。せいぜいショートクルタをたまに来てくるくらいである。その着こなしも、まるで外国人がインドテイストのシャツを着ているかのような・・・。こんなに速いスピードで、ライフスタイルは変わっていくものなんだと、しみじみ思う。この変化を目撃できたのは非常に貴重な体験かも。
アタカラリへ戻り日本人チームとさよなら。俺は一人のこり、十一日の朝デリーへ向かうことになっている。じつに、寂しい。旅をしていて今までで一番寂しかったのは、バンガロールからひとあし先にうちの奥さんが帰ったとき。そのあと十日間、帰国するまで何ともいえない気持ちだった。
今夜はランガシャンカラにヘマの作品を見にいく。少女だったのに・・・。すばらしかった。
エクハルトとミラ夫妻と、昨日五年ぶりに再会できたクリスとクリスティーナ夫妻で飯を食う。スパゲッティ。ファイナリー。
クリスとミラがいうにはプルシャルタはとてもアタカラリとジャイを変えたという。あの作品が出来たおかげで、世界に胸を張れる自信が付いてそれが全てに好影響を与えたのだという。濱中さんと松本さんと俺は随分いい仕事をしたらしい。
先ほどミラのだんなにおくってもらってUTCへ戻る。今日は一人寂しく自画自賛。他の参加者達ももうすでに帰ってしまってここにはおれひとり、あ、コルカタから来た夫婦ダンスチーム、ロニーとミトゥルはまだいるようだ。ナイスだったモヤもタリクも昨日帰った。
さかのぼって本番のこと。濱中さんが詳しいレポートを書いたら、それを読んで思い出しながら書くつもり。あとで写真つきでレポート。


二月三日。昨日はずっと携わってきた某サイトの公開日。公開日に不在というのは非常にギルティーを感じるのであるが、たなみ君から無事?公開したとの知らせをもらったときはインドで心の中のたなみすがちゃん松橋さんせたひさえにおおやまなどなど、それにインド人十二億人と祝杯を挙げる。
こっちのオープニング作品の製作の方はもう何が何だかわからなくなっているが、まあやるべき事は決まっているし、あとは状況に対応していってなんとかしていくばかり。お祭りなのでお祭りらしく。
今回は音担当で松本さんががんばってくれているので俺の方はあまりそっちは気にする必要がないので助かる。今回俺はワンシーンだけ。いつもダークなノイズをインプロで演奏するスタイルで、トラックを作り込んだりするのが苦手な彼にお祭りらしい曲を作ってほしいというムチャ振りを遂行したが、まあこれも修行だと思ってがんばってね(笑)レンジが広がるのは悪くない。しかもアフリカンなドラムの兄ちゃん達が昨日到着。彼らがぶっ飛べるようなファンキーな仕上がりでお願いします。
一昨日は全員そろってのプロダクションミーティングのあとエリアムの家でパーティー。UKの連中とかベルギーの連中とか、あとは・・・まあたくさん。しこたまキングフィッシャー。
昨日は近所のホテルで飯(カレー)食ってリハーサルへ。女子校のオーディトリアム。振付は大分できてきている様子。俺の方は・・・まあ現場のセッティングがうまくいけばなんとかなる。
リハのあとはラケシュとヘマスンダリとソーミャと飯を食いに行く。ヘマとソーミャはプルシャルタのダンサーだったけれど今はもうアタカラリをやめてアビラッシュと一緒に活動しているらしい。会ったばかりの時は子供に見えたけど、今は綺麗なお姉さんになった。
羊の脳みそカレーを食う。白子みたいでなかなかうまいが、ちょっと精神的なジャンプが必要。カレーとぐちゃぐちゃに混ぜて食わないとちょっとプニッとした歯ごたえは精神に来る。

どうも今回はあまりカメラも構えることがない。ああこれは写真に撮っておきたいなと思うことはたまにあるがカメラを出す手間が面倒でやめる。インドのディテールを無視してワイヤーフレームの世界を見ているようである。たぶんそれが一番疲れない方法だ。無意識に体力をセーブしているのかもしれない。
五年前と比べて何が変わったかと聞かれても、ひとつひとつあげればきりがない。明らかな大きな見た目の変化だけでなく、人の感覚も随分変わったような気がする。それと共に俺のインドとインド人に対する認識も、これは気がするのではなく、はっきりと変わっている。それをいま文章化するのは面倒で難しい。たぶん酒を飲みながら居酒屋でアウトプットするのが一番楽だから、そのうち、東京で。
一昨日のことが思い出せない。デリー行きのチケットを予約する。往復5500ルピー。日本円で1万円。
昨日のこと。
朝九時にタクシーが迎えに来て空港へ。別にどこかへ飛ぶわけではなく、新しいエアポートロードと空港を撮影に。新空港は今バンガロールの人たちの大きな話題になっている。空港とは無縁であろうと思われる人たちでさえ、空港の話題を振ればみんな明るく自慢げにベリーナイス!とこたえる。
午後からプロジェクター屋のオヤジが借りる予定のプロジェクターを持ってきてテスト。そのあと映像編集の作業。近所に出来たコンビニ的スーパーにたまに出かけてコーラとポテトチップ買ったり。トーマスとクリスとジャイはスタジオにこもってずっと新作のリハーサル。我々は旧作プルシャルタに関するインタビュー。インドのコンテンポラリーダンスをリサーチしてまとめた本に掲載されるとのこと。
夜はクドラで、非常に、すばらしくうまい夕食。海原雄山をつれてきたってもんくはいわんだろう。それともインド人は素材の味を生かすことを知らん!とかいってインドの食文化を侮辱するか。
早めに部屋に戻って作業の続き。オールドモンクを呑みながら。映像も音もあまり得意意識を持たないままそれでも何とかやっている。昨夜も、タキタカタキタカ?七拍子!?なんだそれ〜!とか言いながら強引なトラック作り。今回はフェスティバルオープニング作品ということでお祭り感がほしいのでうまくいくかどうか不安。音の仕上げは松本さんに任せているつもり。何とかしてくれることを期待してます。

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