2009年4月アーカイブ

現在19時、今まで寝ていた。完全に風邪をひいた。まさか豚インフルエンザにかかる日本人第1号という栄冠はおれに輝くわけではないだろうから、たぶんただの風邪である。
頭痛、のどの痛み、鼻の奥の強烈な痛み、関節の痛み、悪寒。
寝過ごして近所の診療所の午前の診察をのがしてしまい、三時からという午後の診察へまにあうようにがんばって自転車をこぐも、無常にも「都合により本日午後休診」の張り紙。がっかりした顔をする元気もない。
それから、こんな時にも借金返済期日はもちろん待ってくれないので、はうようにして銀行へ。
病、貧困、孤独・・・精神へのダメージは計り知れない。
うちへ帰り、なんとか正気を保とうと、録画しっぱなしで見ていなかった毎度おなじみ流浪の番組タモリ倶楽部スペシャルを見る。
助かった。ありがとうタモリ。魂の救済を得る。安心してベッドに横になる。
俺は元気になった。

メールをチェックしたら、プルシャルタ韓国公演のディテールが来ていた。10月。今回は近くで気が楽。なんか忘れ物してもすぐとりに帰れるし・・・ないか。そんな感覚にもなる。
インド人のみんなは焼き肉屋いけないね。サムゲタンとか海鮮チゲだな。
ベジの子達はナムルとキムチなら食えるか。キムチはアミが入ってるんだっけ?

休む

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朝六時半ごろ腹痛で目が覚めて、トイレへ行ったりベッドへもどったり水を飲んだりを繰り返していたら眠れなくなったのであきらめて起きることにする。
どうやら今日は休日のようである。外はよく晴れている。洗濯機を一回まわす。シンクにつっこんだまま山になっている食器を洗う。
胃が痛い。少し悪寒もするので、風邪をひいたに違いない。
月曜の夜のスーパーデラックスで、思わぬ待ち時間に緊張しながらビールを飲んだりこぼしたり、さらにこぼしたりしていたときからなんだかあやしかった。
アワーブリンクライブは、たぶん、よくできたんだと思う。やるまえは不安だがやってしまったら満足してしまうのがいけない。ちゃんと反省すれば出来なかった事やら失敗したことばかりである。
しかし、まあ、よくもわるくもその時点でのそれが自分にできることなのである。非常に、残念なことです。次もがんばります。
つぎは・・・とくにない。いろいろあるのかもしれないけど、今は飯のことだけ考える。

あしたの夜、ライブがあるので映像を準備する。2007年の11月に初演した高橋英明氏のオペラ「アワーブリンク」のDVD発売記念ライブ。発売記念、だと思う。実際は天井に六つスクリーン吊ったり、大量にツイーターぶら下げたり、生ストリングスが八人入ったりするんだけれど、今回はそこまでやらない。いろいろやらないまでも高橋さんの曲は、曲それのみで十分美しい。

二年前に作った映像はいろいろなおしたいところや変えたいところもあるんだけど、出来る限りそのままやる。非常に実直な映像です。それまで舞台上でダンスとの「からみ」を考えた、どっちかというとアブストラクトな、映像というよりプロジェクション「ねた」を作ってきたんだけど、アワーブリンクで初めて、自分で撮影した生の素材と記録映像アーカイブから拾ってきた素材を中心に組み立てた。1時間の音楽に映像をつけるのは大変・・・。雰囲気が出てればいいVJ的なパフォーマンスだったらいくらでもやってられるのかともおもうが、とはいえ、VJなんてあんまりやったときないから、その奥深さはわかってないんだけれど。

当初意気込んでへんてこなアイデアはいっぱいあったんだけど、最終的にストレートなところに落ち着く。ある意味、仕上げは客任せ的な。浮かんだアイデアみんな実現したらすごく、なんていうかミシェルゴンドリーかよ!みたいなもんになってたかも、しれないけど(笑)まあ、そんな技術も力量もなく、結局ほぼギミックなし、そこまでないのか!くらいストレートな映像となる。
そういう音楽だったから。
つくってるとき、毎日あの音をずっと聞きっぱなしだった。どうしようかまよったとき、あの曲をお経のように聴いてればなんとかなるんじゃないか、とか。思い返すと、それがとても幸せな時間だったな、と思う。

そういえば、高校生の時、毎日ロバートジョンソンやらマディーウォーターズやらエルモアジェイムスやらジョンリーフッカーやら・・・をヘッドフォンで聴き続け、これはありがたいお経のような物で、繰り返し聞くことで本場ブルーズのソウルというものが理解できるのだ!と思いこんでいた頃を思い出す。スイーツ頭の幸せな青少年だった。そもそもアメリカ黒人の友達もいないし、なんであんな脳天気な日本の高校生がブルーズのなんたるかをそこまでして理解したかったのかわからんが・・・(笑)ブルーズマン達の心の叫びを聴けば聴くほど、ギターのチョーキング一発に魂がこもるとでも思っていたんだろう。実際は、歌詞の英語も聞き取れなかったっていうのに。
最近はギターを抱えることもないが、数々の本物のブルーズを乗り越えてきたので、今ならチョーキング一発に完璧なブルーズをぶち込む事が出来るかもしれない(笑)

まあ、クウォータートーンのチョーキング一発!みたいなかんじです、あしたのも。
あ、福岡ユタカさんのうなり節は、ブルーズです。

豚インフルエンザとやらが大変なことになっているらしい。パンデミック?
やだなあ・・・こういう季節は風が気持ちいいし、つい飲み過ぎて公園で全裸になってはしゃいで体力落ちたりしてるときに、変なウイルスにやられたりするから気をつけよう。タミフルはまだちゃんと効くらしいけど、こわいなあ・・・。

木曜は、クリスティンとイェンスと呑みにいく約束をしていたので、濱中さんをさそって恵比寿横町へ。うちの奥さんと彼女の友達もくる。彼らは野菜しか食わないのでひたすら野菜を網で焼いて食う。

金曜日、アムステルダムに住むバスク人ハヴィエが東京に来ているから会おうということで、夜十一時に浅草ビューホテル前で待ち合わせる。遅いので元から終電はあきらめるつもりで。彼はバンガロールのワークショップの参加者で、中でもひときわスーパーフレンドリーな奴だった。去年はアムステルダムで一緒にパーティーをした。インドでは自分で作ったという奇妙な服装で太鼓をたたきながら血を流していた。ひとことで言えば中央線高円寺系バスク人。たまたま浅草で知り合った人がバーを経営していてそこに三週間居候するのだという。わけがわからんハッピー加減。連れて行ってもらうとタブラにジャンベにギターにドラム、それからハヴィエの持ち歩いているハンというUFOみたいな携帯用スティールドラムっていうかそういう楽器で大騒ぎであった。あとからハヴィエの幼なじみのバスク人メークアップアーティストも登場。果たして二時すぎ、宴もたけなわに失礼する。吉原から大曲まで歩く。酔っていたためか途中判断を誤り近道と思われる通りが大きく弓なりに曲がっていたらしくいつのまにか逆戻りしていたりして、結局帰宅が五時になる。久しぶりに無心に歩いた。何も考えてはいけない、と考えながら歩いた。何かを考えたら、自滅しそうだったからである。

土曜日、一度午前中父からの電話で起こされたが二度寝。二度寝にありがちであるが、リアルで奇妙な夢を見る。どういういきさつでそこへ行ったかは覚えていないが、だだっ広いカンファレンスホールか何かのロビーで、滝沢さんが高価な宝石をスーツ姿で売っている。俺とうちの奥さんは滝沢さんとたあいのない立ち話をする。じゃあね、といって我々は帰る。振り返るとわらって手を振っている滝沢さんの笑顔に何か複雑な陰を見たような気がして、ものすごく、夢なのでなぜかわからんがほんとにエクストリームに悲しい気持ちになり、彼女に見えなくなったなと思ったところで号泣する。その自分の泣き声で起きる。

わけのわからない夢をみて呆然としたあと、ひとり阿佐ヶ谷へ向かう。高橋さんからハードディスクを受け取るため。
阿佐ヶ谷で降りるつもりもなかったのだが阿佐ヶ谷までの210円の切符を買ってしまっていたので、なんだかそのまま戻るのも・・・とおもい、せっかくだから数年ぶりに高円寺で降りてみることにする。高円寺で奥さんと知り合い、一緒に生活を初めた。もう十七年前の話。商店街をぶらぶらしていると七時ぐらい。腹も減ってくる。たんたんというラーメン屋によくいったことを思い出したので懐かしいあのやけくそなみそおろちょんラーメンは健在かどうか確かめに行く。全く変わらなくきたない。あのおやじはいなかった。うまいかまずいかときかれても答えようがない。好きか嫌いかでしか判断できない。あれを完食することは少し自殺願望に近いというか・・・すこし投げやりな気持ちでないと食えない。おもえば、高円寺時代、投げやりな気分が生活の根底を支配していた。とか、そんなことを考えながら無料の替え玉まで完食する。600円。すこし、十数年前とは印象が違うような。もっと辛くてなんだか表現できないような極悪な色をして、さらに臭かった気がする。あのオヤジがレンゲに山盛りぶっこむ謎の粉が気になって仕方なかったのも思い出した(笑)気がついて確認しようと思った時にはもう目の前に肥だめみたいな色の食い物が置かれていたので残念。なんだろうあの粉。あの粉でスープがどろどろになるんだよな・・・。

奥さんは友達に会いに出かけてしまったので帰宅しても一人。テレビをつけたらオーランドブルームとキルスティンダンストが出ているベタな映画をやっていたのでつい見てしまう。エリザベスなんとか。で、泣く。キルスティンダンストがとても魅力的であることに気がつく。何であの不細工が・・・と思っていたことを、本気で謝る。そうやって身近にいた人の魅力にふとしたきっかけで突然気がついたりして恋が始まったりするんだね、おじさんには遠い昔の話だけど。

見た目がプレデターなブルキナファソ出身のミュージシャンと話していたら、何を言ってもWhat?What?ワッ?ワッ?とけんか腰で聞き返してくるので、なんだこいつこえー・・・と思ったんだが、どうもそのワ?はフランス語のOuiがなまったものかもしくは相づちのみは現地語でしているのかとおもいあたり、少しほっとしておかしくなったことがある。
と、なんだかふと思い出した。

自分の日常の生活という点に於いて、なにも後悔やひがみなどは持ち合わせないのであるが、してきた仕事の内容となると後を振り返ってその中身のなさに愕然とし茫漠とした心持ちになる。比べてよい仕事が出来るようになるわけの物ではないが能力の欠如と人物の劣等をくやむ。

チューリップが咲いた。去年咲かなかったレンゲにつぼみが付いている。冬には何も植わっていないように土だけになってベランダの片隅に追いやられていたスズランの鉢が主役級に返り咲いた。

ロイがごはんをあまり食わない。あまりにたべないので心配である。以前はよく食べていたカリカリやら缶詰を出してやってもあまり興味がなさそうである。食欲が出ないとこまる。やせると筋肉が落ち、落ちた筋肉分解が腎臓の負担になるのだという。
一見、元気なようにみえるが、相当量の毒素が体から排出されずに残ってしまっていると思うので、きっと具合は悪いはずだ。
なでたり抱いたりしてなおるものなら、いくらでもなでたり抱いたりし続ける。
猫の横で彼と目線を同じ高さにして一緒にお椀をのぞき込みながら途方に暮れる。

漱石が俺と同じ歳の頃に、何を書いていたのか気になって調べたら、教職をやめて朝日新聞にはいり虞美人草の連載をしていた。
生年が1867年なので、ほぼ一世紀、歳がちがうことになる。

今夜はめずらしく寝付きがよくない。1時間ほど横になってみたのだが一向に眠気が襲ってこないので、時間をつぶしている。

土曜日、ゆきが来る。細君と鉢植えをいじっていた。その間、俺は428というゲームを終わらせる。ビールを飲む。

日曜日、弟夫婦に娘が生まれたのでお祝いをかねて久しぶりに顔を見せに行く。名前は「はな」という。どういう字を書くのか、聞くのを忘れた。ビールを三本ごちそうになる。

帰宅して、村上隆が曾我蕭白についてなにやら語っているのを見ながら、竹の子ご飯に天ぷらをくう。
つづいてNHK特集を非常に興味深く見る。「ヤノマミ」これはすごい。150日、共に生活をして撮影したらしい。
またつづけて鶴見俊輔のインタビュー番組もみてしまう。

たてつづけにスリル満点の映像を見たあと、風呂に入りながら、とても昔のことを思い出した。
小学校三年生くらいのことである。日曜、いつものように祖母の住む水戸から四谷のアパートへ父の車で帰ってきた晩のこと、すっかり車中で寝ていた俺は「ついたよ!」と言われて飛び起きた。深夜だったと思う。寝ぼけた頭で階段を上り、玄関を開けて中へ入った。両親や妹弟が先にあがっているはずなのに、玄関はくらく話し声もない。間違えた!ここは隣のブロックだ、と思ったとき、うちと全く同じ間取りの奥の部屋にちゃぶ台をはさんですわる二人の男女が見えた。気がつかれないようにそっと玄関を閉めて逃げた。目はばっちり覚めた。
もう高齢の佐藤さんのお宅には子供が出来なかったらしい。と、母が話していたのをきいていた。子供がいないと、夜はあんなに静かなんだとおもった。いまでもあの暗い玄関を思い出すと少し怖い。

あのとき、奥の部屋で見た佐藤さん夫婦のようにテーブルをはさんでお茶を飲みながら、まあ、ちゃんとまじめにいきていれば、我々二人にだってなにか良いことあるんではないか、と、おもう。ただ、考えるべきを考え、やるべきをやるだけですな。

ヤノマミの最後に田中泯氏のナレーションは「森に生まれ森を食い森に食われる」と語っていた。
そして男は死んだら精霊になって、それから蟻になるらしい。女はダニとか蚤、らしい。

まだ四月の六日。春なのに諸々芳しくない。

思い出す限りにメモ。木曜日、良い天気。スウェーデンから、なんと三ヶ月のバカンスに日本へとやってきたクリスティンとイェンスのカップルと昼食。俺が仕事へ行く前に飯田橋へ出てきてもらいカナルカフェ。ランチ時の行列は異常である。並んでられないので日仏学院へ行くが、そこも満席。選択肢がない。なぜなら彼女らはベジタリアンである。仕方なくカナルカフェへ戻ると運良く行列の最後尾が入るところで並ばずに入れた。と思ったらあれはレストランのほうだけで、テラスのカフェは結構スムーズに入れるんですね。ところが期待したベジタリアンメニューはなし。仕方なくピザを食う。
彼らとは初対面。以前うちに泊まったケネスの紹介で連絡を取ってきた。ステージデザイナーとダンサーのカップル。話を聞くと二人とも随分大きな仕事をしているようである。どっかのバレエ団の国立劇場でやった作品のステージセットから照明からを全部デザインして制作し終わったばかりで三ヶ月の休みは当然だだの何だのといっていた。イェンスはこないだの東京シティーマラソンに出場し二時間台でゴールしたという。

金曜は大きかったWeb仕事の打ち上げ。四谷の越後路。担当していたタナミも、片付くと共に事務所をやめていった。なにやら石山の話をありがたそうに聞き入っていたのでゆっくり話が出来なかったが、あまり変なおじさんの影響は受けないで・・・・ってもう三十こえてんじゃん。タナミもおじさんじゃないか。
もう十年も毎日のように顔を合わせながら、さらには共にインドへも行ったりしながら、彼にとっておれの行動原理や思想は理解しがたい物であっただろうように、俺にとって彼の精神は理解しがたい物であった。二元構造的に真逆の思想と行動原理と趣味的な文物への印象と理解・・等々を持っているようにもしばしば感じられた。俺より若い世代の人間や文化的バックグラウンドをもつ人間と出会う機会がおおかったこの十年ほどの間でも、彼は特に不可解な人物であった。だから、もう少し彼とつきあって他者への理解と対応を修身してみたかったのだが、今までのような頻度でというわけにはには行かないだろうから残念なことである。
とにかく、俺が三十のときにはおもいつかなかったことをやるんだから尊敬する。一人で、このご時世に、独立して、一人で仕事をとっていくというのである。家庭のある俺には恐ろしくてできないとかんがえるのがへたれではある。っていうか俺が今の事務所で仕事を始めたのも結婚決めて三十ぐらいの時だったんだが。あいつはチャレンジ、俺は保守・・・・か。
二次会でいったベルギービール屋で、おれの話は論理的に正しいがそれでは人は動かない、世の中政治だよ政治、などとなぜか石山に説教される。これもありがたく拝聴する。

土曜日は、アワーブリンクのメンバーでお花見。飯田橋。
逓信病院の前あたりに陣取って、うちの奥さんが部屋を片付け終わるまでビールにおつまみ。で、うちへ移動。
前日の二日酔いの中、朝がんばって作ったカレーは好評を戴いた。人数がおおかったので少し量が少なかったかな。ごめんなさい。それから、狭くて(笑)
で、アワーブリンクDVD鑑賞、講評会。自分の作品を見るのはやっぱりいろいろ混乱するもんだけれども、みんなでああでもないこうでもないと言いながらわいわい見て少し落ち着いた。4/27日にスーパーデラックスでコンサートやります。映像もダイジェスト+αのコンサートバージョンで。
この日、一番落ち込んだこと。実はクスティンとイェンスも招待していたんだが、メールで教えた俺の番号が間違っておった・・・・彼らは夕方五時くらいから何度も俺の電話だと思った番号にかけておばちゃんに怒られ続けたらしい・・・で、結局俺が彼らのくれた電話番号確認のメールに気がついたのが十時過ぎ。本当に申し訳ないことをした。異国にいる彼らの境遇と不安とスケジュールを考えると申し訳なくてしかたがない。

日曜は、誰とも話をすることがおっくうで、家にこもる。奥さんは代々木公園へお花見。おれは家で読書。漱石。

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