2009年6月アーカイブ

すごくおもしろい夢を見て、目が覚めたときに苦笑い。
どこか古い旅館、もしかしたら小学生の頃に行った館山の臨海学校の施設かもしれないが、とにかく数十畳はあると思われる大広間で、大勢の知り合いや知り合いでない人々が大宴会をやっているのである。ところが始まってすぐに(といってもいつ始まったかはわからないが、ずっと夢の仲では始まったばかりだと思っている)便意をもよおしたオレは古めかしい引き戸に木製でスライド式のロックが付いた便所に駆け込む。ところが汚い上に和式の便所が久しぶりだったために無理な体勢と手際の悪さでクソがズボンの裾に付いてしまうのである。誰にも見つからないように大騒ぎの宴会場をすり抜け自分の荷物が置いてある(なぜか大荷物である)納戸へ行き着替えようとするが、服が決まらない。なぜか、どの服を着ていけば宴会で受けるか一人ファッションショーになるのである。延々やってるが決まらない。気ばかり焦る。このままでは宴会が終わってしまうではないか。ばかばかしい。何でオレはいつもこうなんだ。タイミングが悪い、チャンスを逃す、そう再三かみさんにいわれ続けたことは正解だ・・・。と思っていると、視界に謎の機械が入る。夢なので、視界にはいるというか、話は急に飛ぶ。なにやらとても便利な動力機械のような物で、大変多くのギヤやベルトが動いている。さらに、ターボのように(ターボがどういう原理の装置かしらないのだが)発生した熱だか圧力だかを再利用して、さらに効率を上げようという工夫も見られるのだが、よく見ると全てのギヤ比が1:1であるうえに、ただ機械は動き続けているだけで、なんの動力源となっているのかわからない。そこで完結しているのである。オレはいつの間にかそばに立っていた誰だかわからないが「すごく嫌いな女」に、ゆっくりとその事実を告げて落胆させてやるのである。
そこで目が覚めた。裾に付いたクソと宴会に乗り遅れる問題は解決されていない。
本日は雨で暇で貧しく憂鬱である。

村上春樹の読売新聞に載ったインタビューをちらと読んだんだが、彼はいつから「僕らの世代」(団塊の世代って事?)の代表のように語るようになったんだろう。いつから小説で世直しをするみたいなことを語るようになったんだ?変な使命は感じずに、この人にしか見ることが出来ないビジョンをただただ井戸の底からすくってきたけっかが、ただとても神話的に普遍的に硬質なものだったという、そういうことならば俺は好きなんだが、こう、なんか戦略的に説教くさくなられると、おまえは「壁」か?と疑りたくなる。いや、戦略的なのがダメっていうんじゃなくて、むしろ、戦略的であってほしいんだが、その卵の代弁者的な物言いがうさんくさい。

なんか最近、みんなに共通の何かを確認するような物ばかりに興味をひかれていたような気がするから、反動で、これは特殊だ誰も同じ事かんがえるやつはいないしいくら洗練されても普遍性はないんじゃないかみたいな物に惹かれたりもする。
そういう物って、誰も理解しないし普遍性もないのに、ある層、しかも結構分厚い層にはとても熱狂的に受け入れられたりして、普遍的な物に対する特殊に惹かれるという構図そのものに普遍性があるんだわな。だって特殊で、原理的にそいつにしか理解できない物事はそいつにしかわかんないしだれもほんとうに共有できないでしょう。共有できないことが理解できないことがあり、理解できなくて理解されないことがある、ということを理解するという救済。

RCの「わかってもらえるさ」という歌をきいていて、清志郎、わかってもらえてよかったなあ・・・と。

昔、とっても若い頃、住んでいた近くの路地なんだが、ちょっと前に高円寺へ行ったときに一枚だけとった。ある晩、ここを通って銭湯へ行くときに、考えていたことが思い出されそうになったからである。何かの物語のような、メタフォリカルな事だったような気がする。とってもどうでもいいことで、ものすごく怖いことだったような感じだけが思い出されて気持ちが悪い。ということで、写真に撮った。手ぶれしてピンぼけなところが、なんかその思い出せないイライラとマッチしている感じ。
ということ自体を忘れないように、いや別に忘れても良いんだが、なんか思い出したので貼っておこう。
そのうち、その物語の内容が思い出されて、それが実にむちゃくちゃ怖くて、実に世界の秘密に到達してしまっていたりして、なんかみんな全部わかっちゃったりして、気が狂ったりしたらどうしよう。高円寺の路地裏で一人の貧乏な青年がたどり着いた思念が世界の秩序を破壊したりして(笑)
思い出すのは吉本隆明の詩の、俺がほんとのこと言ったら全世界が凍り付くだろう、みたいな1行。たぶん全然、オレの話の脈絡とは関係ないだろうが。学生の時よんでなんかそれだけが頭に残った。
あ、しらべた。やっぱかんけいない。

ぼくが真実を口にするとほとんど全世界を凍らせるだろうという妄想によって ぼくは廃人であるそうだ「廃人の歌」

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iPhone、結局いつ買えるかわかんねえ、じゃん。きのうのこと、予約手続き今日から始まり!とかいう看板出してるから事務所近くのソフトバンクの店に寄ったら、予約できませんよ、っていうか胸にiPhoneエキスパートとかいうバッジ付けてる彼、なんて言ったんだっけ?「それぞれの店で配分が決まっていて、それでもう当店の入荷分はすでに"押さえられて"いて(なにに?だれに?)次の入荷を待ってもらうしかなくて、それもいつ入荷するかわかんないから、来月辺りもう一回出直してこい」みたいなことを言った。
「看板引っ込めとくか、そう看板にかいとけ」
まあ、来月。

・・・ほんとにどうでもいい事かいてるなおれは(笑)

しかしね、昨夜古いRCのアルバムずっときいてたら、いろいろ自らのロックンロール人生を見つめ直し眠れなくなってしまって今朝まで起きていたんだよ。勿論、明け方寝たけどね。で、明け方に起きたんだわ。つまりほぼ寝ていないんだな。
だから、うちの奥さんが出かけたあと、ストーンズを大音量でかけてやったわ。

ところで、もしストーンズが死んで、なにやらレコード会社主催で「ロック葬」とかやっても、べつに炎天下に並んだりダウン着込んで凍えて並んだりはしないわ。ロックっぽくないし。イッツオンリーロックンロールっていうか、な。

よし、めし食って出かける。仕事だ。

昨夜、雨が本降りにならないうちにと自転車を必死でこいでうちまでたどり着くがいなや、大変な雷雨。

テレビで溝口健二の雨月物語をやっていたのでみる。初めて。非常に美しかったです。公開当時の、映画館で、観てみたい。こういう古い映画は映画館で上演されるように出来てる。この当時「映画」っていう言葉は劇場で上演されるという意味を含んでいたんだろうね。テレビになっちゃうとね、ただの「映像作品」になっちゃってつまらないでしょう。
といっても、最近映画館なんてめったに行かないけど。前回行ったのは、ストーンズのShine A Lightの時だから・・・随分前。

で、雨月物語なんだが、ちょっと面白い感じを受けたところが冒頭の所。焼いた瀬戸物を街で売ったら結構良い金になったので、世の中金があれば暮らしもよくなるぞ笑って暮らせると、人が違ったように働き始める。弟は百姓なんていやだ士になるといって具足と槍を買うために兄を助けて働きまくる。それをおのおのの嫁が、親子三人楽しく暮らしていければそれでよいのに・・・と嘆く。がんばって働いて、金を儲けて暮らしがよくなる、それの何が悪かろう、と私は思っていたから違和感を感じてしまったのだろう、現代病だな。がんばって働いて金を儲けて暮らしがよくなっていないからすこし後ろめたかったんだが、必要なだけで楽しく暮らしていくのがいいわな。
RCの多摩蘭坂の歌詞に「ふさわしく暮らしている」ということばがでてきて、確か他の歌でも、清志郎は「ふさわしい」って言葉を使っていたようなきがするんだが、まあ「ふさわしく」やると。ふさわしいって、変な感じだけど。もちろんその「ふさわしい」は不変なわけではなくてちょっとずつふさわしさ加減が変わっていく物なんだろうけど、「ふさわしい」だけあって急激にふさわしさは変化することはない。
見てない人がこんな落書きよむと、雨月物語は「ふさわしい」についての映画なのかと思ってしまうかもしれないが、そうじゃないと思うよ(笑)

落書きついでに、たまたま清志郎がストーンズについてなんかいってる記事を見つけて、他にもいろんな人がコメントしてたからよんでたら、カマやつがなるほどねとけっこう納得な事言っていた。
みうらじゅんも以外とまじめに。真島昌利のロックンロールはこっちの方向だって、かっこよすぎるけど、いやほんとにそうおもったわ、Love You Liveきいたとき。このやり方がロックンロールだ、と。そのあと結構長く生きてきたけど、けっこう、あのやり方、あの解決の方法、提示のしかたというかロックンロールの方向を知らない人、多いんだな・・・と思う。しめしめ、と。そういうやつは残念だがトルチョック制裁だ。

知ってるやつはみんな薄着で笑っちゃうんだぜ。

今日から、いや明日から?ムンバイでラジバンの展示が始まっていると思うんだが、だお丈夫か。今回はちょっとしたアイデアと音がばらばらぐちゃぐちゃ出る仕組みをプログラムして送っただけなので共作とはいえないんだが、数年前にあってからずっと何か作ろうといってきたのでなんかうれしい。
ラジバンには来年のルクセンブルクでのプロジェクトにも誘われていて、それは子供向けの、なんというか教育的な企画らしいんだが、それではもしかしたら「演技」的なこともするかもしれない。

10月6日にソウルでプルシャルタ公演があるということいがい、何も具体的に決まった予定はないんだが、今、準備中だがメインで巻き込まれているプロジェクトが五つもある。プルシャルタを入れると六つ。誘われてるがよくわからんのでとりあえず様子見を入れると八つ。どれもこれも予算のことで問題を抱えているようだけれど、一度に動き出したらたまったもんではない。実際に、今何を作って、何を詰めればいいのかということもないので、ゆるーく構えているしかない。あたまに「チームで」という言葉が否応なしに浮かぶ。でも実際ちゃんと実現する企画は二つか三つのような気もするけれど・・・。勿論、オレの自主的な企画、というかオレ名義の作品はなし。イーノのようなスタンスでやること。

いかにも梅雨という天気に気分がつづく。数年前までの自分だったら、なんとか憂鬱な気分から這い出そうと、いろいろ手を尽くしていたであろうけれども、放置。足がつって痛くて死ぬほど痛いとき、足がつって死ぬほど痛くて本当に死んだやつはいないと思ってただ涼しい顔でやり過ごすようなことか、違うか。

前回書いてからまたすでに五日ほどたってしまったんだが、その五日の間の記憶はただ沈んだ気分のなかで飯を食ったりただ沈んだ気分のなかで音楽を聴いたりテレビを見たり仕事をしたり、しなかったり、メールを書いたり書かれたり、憂鬱が促進されるような文章を作者の名前さえ確認せずに読み続けたりしていた。
覚えているのは週末見た「ウエルカム! ヘブン」とかいうペネロペクルスの出てる映画。コメディ。豪華キャスト。まあ、コメディだから。あと、nhk特集のマネー資本主義も見逃さず。

週開けて月曜日、ラジバンが音が出なくてこまっているというのでもういちどwindows版を作り直す。インターフェイスとの相性が悪い分けじゃないだろう、以前送った物で一度は音がちゃんと出たらしい。RCサクセションを聴きながら。とってもいいので、ヘッドフォンで一人興奮。だれかにその気持ちを伝えたかったんだが、やっぱり周りにいるのが「ロックってビーズみたいな音楽のことですか?」以降の世代の若者たちなので、俺が若いとき、おじさんが古めかしい歌についてそれがいかに心にしみるか延々朝まで飲み屋で説かれたのがウザかったように、たぶんウザがられると思ったのでやめる。

そのあと、おじさんは十数年ぶりに人間失格を青空文庫で読み始め、もっと悲劇的だと思っていたこの小説がまるで喜劇に感じられる自分が歳をとったことをひしひしと感じながら、読み終える。ちょっと、絶対笑かそうとしているところがあるよ。でもそのわらかしが、漱石のように外に立ったところからなんというか技術的にわらかそうといているんではなくて、投げやりに瞬発的にわらかそうとしてる感じか、そうでないか。ところで、以前読んだときの印象は、殴り書きしたようなそれほどうまい文章ではないと思っていたが、これは手記ということで微妙なバランスを保ちながらリアリティーを保つために、相当推敲を重ねてこの文章にたどり着いた作品なんじゃないかと思い納得した。自己精神分析や、性的虐待のトラウマなんかを分析的に書いているんだから、これはまさに喜劇だ。こうやって結果悲劇を喜劇的に書くことが出来るというのに、当人にとって生きることは悲劇だ。しかしなんでこの人心中なんてすっごい不思議な事で命を落としたんだろう。やっぱり本気だったのか、近代的自我の直線的な牢獄の中に閉じこめられて、メタな視点を持つことが血にならなかったのか。メタの無間地獄におちいって、虚無的になって最後にへらへらと笑うしか出来なくなったのか。うまくいえないな。
他のも読み直すか。青空文庫とAozoreader、超便利。いま、阿Qよんでる。

あ、うちの前の印刷工場が、いつの間にかラーメン工場にかわってんだよ。とんこつ?めん?くさいんだよ、ちょっと。なんとかならんかね。

肉食

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雨か・・・。
雨やんだか・・・。
どっちでもいいけど。

昨夜はなんだかいやな電話があったあとクリスティンから飯を食いに行かないかとの誘いがあったので秋葉原へ。今夜ストックホルムに帰るクリスティンとイェンスとの最後のよる。三ヶ月も休暇で日本にいるなんて。ハイジとエイドリアンと、クリスティンが相撲のチケットを買う列で知り合ったというもう一人のクリスティン、それに松本夫婦も近所なのでよぶ。濱中さんを探したんだが、ご不幸があったとかで。残念。うちの奥さんは諸事情でダウン気味なので大事をとって休み。

軽くアキバ見物しながらネットで調べたベジタリアンの店へたどり着くとなんだか思ったような感じの店でなかったので隣のがっつり一升瓶が並んでいる店へ。またもや「いつも野菜ばっかり食べてるんじゃないですか?お肉も時々食った方が良いですYO!」と店員に捨て台詞を残しそうになるが、やめる。いや、特にベジタリアンに否定的ではないんだが。気に入らないことがあると「野菜しか食わないのが原因だ」となってしまうのはよくない。ベジタリアンから見ると「にくくってるやつはすぐ頭に血が上る」と思うのか。かんがえてみると、大量のインド人も含め、ベジタリアンの友人がかなりいる。

昔、「宇宙船とカヌー」という本を読んだときホントかどうかわからんがなるほどと思ったのが、魚をちょっとと野菜しか食わないジョージダイソンの主張である。
別に肉を食っちゃいけないと言うんじゃないが、ある条件のもとでだけ食べる事が許される。それは例えば山羊かなんかを一日中追いかけてやっとの事でしとめたならば、丸ごとそいつを食ってもいい。しかし、肉は通常の生活を送るには高エネルギー過ぎるので体の動きを逆に鈍くする。まあ、太る。一日中必死で山羊を追いかけるような生活をしないで生活が出来る限りは肉を食う必要がないし食ってはいけないのだという。と、フリーマンダイソンの息子のエコロジストだかヒッピーだかが、のたまっていた。

たしかに、ゆっくり暮らしていれば木の実やら小動物やらにんじんみたいな根っこで十分、そして結構おいしく暮らしていける。木の実やらネズミやら根っこがなくなったら、必死になってイノシシ追いかければいいのだ。で、必死になるとエネルギーを消費する。すればイノシシだってそれに見合ったエネルギー源になる。テンションあがる。多少ハードだがイノシシを追いかける。で、高エネルギーを摂取する。まあ、その代わり寝転がって人生とは何かについて考えることもなくなる。

まあ、とにかく、何を食うのが自分にふさわしいかである。いちじ、そのダイソンの本やら森の生活やらフラーやらケージをまとめてよんだ時期に、自分で捕まえてしめる自信のない物はなるべく食わないようにしよう・・・なんて思ったこともあるが、今はステーキ食いまくりである。肉のハナマサ万歳、三唱。ベジタリアンになるのに思想は必要だが、肉食に思想は似合わない。

たまに、ダンスなんかを見て「あ、こいつら野菜しか食ってないんじゃないの?」みたいなものがある。実際野菜しか食ってないのがわるいんじゃなくて、なんか野菜しか食っていないように見えるのが・・・
ダンス作品はなんというか、お祭り騒ぎのなかの思考停止みたいなのが、いちばんいい。
「野菜しか食っていない」っていうのと「ベジタリアン」は違うんだな。
肉しか食っていない、っていうのも・・・・
つまり、「肉肉野菜肉野菜」がベストだ。

なにやらアップル大本営発表があるとのことで迷ったんだが、昨夜は寝た。嫁の具合が悪かったからである。
今朝起きてwebをみたら、あたらしいiPhoneが発表されてた。
ちょうど、六月末の支払いで二年縛り契約がおわるのでベストタイミング、みたい。

きのうは、クリスティンとイェンス、それにハイジにエードリアンに濱中さんで新橋で飯を食う。ベジタリアンの北欧人のリクエストで築地すし好へ。すし好は写真で選べるしまわってないのでチープ感ないし、ガイジン大勢連れて行くにはちょうど良いね。

なんだか遅くまで陽気に盛り上がり、秋葉原で終電を逃し歩いて帰宅。やってみたらそれほど遠くなかった。
こういうときにiPodがあればいいのだが、もう随分前にぶっ壊れてからiPhone新機種がでるのを待って買い控えていた。機械は一個で十分だと思っているからである。
機能がまとまって一個のちっこい機械にまとまっているのが一番よい。「だってケータイなくしたらiPod聴けなくなるし、iPodの電池が切れたら電話できないんだよ?」という人がいるが、もとよりipodも電話も別になくてもよい物なんだからそのくらいなんでもない。六月末からはますますいろんな所から歩いて帰ることになるとおもう。

いろんなたぶん大切な事があったが、十年後には忘れてしまうようないろんなたぶん大切な事であった。こういうたぐいのいろんな事ほど、どこかに書き留めておくと読み返すのが老後の楽しみの一つにもなるんだろうが、老後の楽しみが日記の読み返しではろくな老後じゃねえな。

昨日はうちの奥さんの元同僚がきて世間話。彼女が結構ビールを飲み続けるもんだから、俺ものんだよ、けっこう。途中から俺だけテレビでアポロ13という映画を見始め、いつの間にか床に大の字になって寝ていた。起きたときには彼女は帰った後で奥さんが片付けをしていた。

一昨日土曜は、クリスティンとイェンスと一緒にアーキタンツへハイジのバレエクラスを見学に行った。2時間、朝から二クラス続けてだったそうだから4時間大きな声を出しながら満面の笑みを浮かべて続けるというのは、大変な重労働である。彼女はフォーサイスカンパニーのダンサー。
四人でランチを食いに近くのそば屋へ。みんな初対面だが、信じられないくらいに共通の知り合いが多い。誰と誰は知ってる?ああ、ああ、彼はどこどこで一緒だったわ、結婚したんだってよ、別れたんだってよ、二人目が出来たんだってよと、つきない。もちろん、おれはよく知らん。あの世界は狭いわ。

金曜は、あれだ、野球見にいくはずだったんだが、雨。神宮球場で紙コップで飲むビールを楽しみにしていたんだが、心の底からその一杯を渇望していたんだが、残念。ばかばかしい話だが、その一杯がその一週間俺の生きる動機だった。どっちにしろ、板垣で呑む。この日の朝、1Q84を読み終えた。すばらしい。物語は語られたがっているし、信じがたく多くの人たちが、その物語を語ってもらうのを待っていた。まだ続くようである。続かないようでもある。

木曜日は、なんだ、あれだ、クリスティンとイェンスが事務所に遊びに来る。スーパーデラックスに中原昌也とジムオルーク見にいきたいというので、一緒にベジタリアンレストランで草食動物がくうようなベジハンバーガーをくい、野菜しか食っていないようなひょろっと声の小さい店員に「ちゃんと肉も食うんだよ、力でないぞ!」と声をかけそうになるのを我慢して、六本木へむかう。
久しぶりにオーセンティックなノイズ。満足。ちょうど良い程度。肉の食い過ぎもよくない。

水曜は忘れた。たぶん生きてた。今まだ生きてるって事は。

その前の数日は残念なことに、完全に忘れ去られた。

これらの合間合間に、十年後には忘れてしまうようないろんなたぶん大切な事がいっぱいあったのである。

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