すごくおもしろい夢を見て、目が覚めたときに苦笑い。
どこか古い旅館、もしかしたら小学生の頃に行った館山の臨海学校の施設かもしれないが、とにかく数十畳はあると思われる大広間で、大勢の知り合いや知り合いでない人々が大宴会をやっているのである。ところが始まってすぐに(といってもいつ始まったかはわからないが、ずっと夢の仲では始まったばかりだと思っている)便意をもよおしたオレは古めかしい引き戸に木製でスライド式のロックが付いた便所に駆け込む。ところが汚い上に和式の便所が久しぶりだったために無理な体勢と手際の悪さでクソがズボンの裾に付いてしまうのである。誰にも見つからないように大騒ぎの宴会場をすり抜け自分の荷物が置いてある(なぜか大荷物である)納戸へ行き着替えようとするが、服が決まらない。なぜか、どの服を着ていけば宴会で受けるか一人ファッションショーになるのである。延々やってるが決まらない。気ばかり焦る。このままでは宴会が終わってしまうではないか。ばかばかしい。何でオレはいつもこうなんだ。タイミングが悪い、チャンスを逃す、そう再三かみさんにいわれ続けたことは正解だ・・・。と思っていると、視界に謎の機械が入る。夢なので、視界にはいるというか、話は急に飛ぶ。なにやらとても便利な動力機械のような物で、大変多くのギヤやベルトが動いている。さらに、ターボのように(ターボがどういう原理の装置かしらないのだが)発生した熱だか圧力だかを再利用して、さらに効率を上げようという工夫も見られるのだが、よく見ると全てのギヤ比が1:1であるうえに、ただ機械は動き続けているだけで、なんの動力源となっているのかわからない。そこで完結しているのである。オレはいつの間にかそばに立っていた誰だかわからないが「すごく嫌いな女」に、ゆっくりとその事実を告げて落胆させてやるのである。
そこで目が覚めた。裾に付いたクソと宴会に乗り遅れる問題は解決されていない。
本日は雨で暇で貧しく憂鬱である。
村上春樹の読売新聞に載ったインタビューをちらと読んだんだが、彼はいつから「僕らの世代」(団塊の世代って事?)の代表のように語るようになったんだろう。いつから小説で世直しをするみたいなことを語るようになったんだ?変な使命は感じずに、この人にしか見ることが出来ないビジョンをただただ井戸の底からすくってきたけっかが、ただとても神話的に普遍的に硬質なものだったという、そういうことならば俺は好きなんだが、こう、なんか戦略的に説教くさくなられると、おまえは「壁」か?と疑りたくなる。いや、戦略的なのがダメっていうんじゃなくて、むしろ、戦略的であってほしいんだが、その卵の代弁者的な物言いがうさんくさい。
なんか最近、みんなに共通の何かを確認するような物ばかりに興味をひかれていたような気がするから、反動で、これは特殊だ誰も同じ事かんがえるやつはいないしいくら洗練されても普遍性はないんじゃないかみたいな物に惹かれたりもする。
そういう物って、誰も理解しないし普遍性もないのに、ある層、しかも結構分厚い層にはとても熱狂的に受け入れられたりして、普遍的な物に対する特殊に惹かれるという構図そのものに普遍性があるんだわな。だって特殊で、原理的にそいつにしか理解できない物事はそいつにしかわかんないしだれもほんとうに共有できないでしょう。共有できないことが理解できないことがあり、理解できなくて理解されないことがある、ということを理解するという救済。
RCの「わかってもらえるさ」という歌をきいていて、清志郎、わかってもらえてよかったなあ・・・と。


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