八月七日金曜日、朝に小さじ三杯弱のニュートリスタットと、少量の流動食(ロイヤルカナンのカロリーメイトみたいなやつ)に水。押し入れにしつらえてやった穴蔵のような寝室の前に立たせてやると、よたよた二三歩あるいたあと崩れるように座り込む。もう自分から立つちからはなくなっていた。これは目を離してはいけないと感じ、仕事場へ行くのをやめる。この日三度ほど、引っ張り出して水をやる。朝を最後にかたくなにニュートリスタットを口にしなくなった。流動食を少量ずつ与えるが、もう口をぺちゃぺちゃ言わせることはなく、数滴にいっぺん、のどをごくりとさせるだけだ。
夜、もう手足に力が入らなくなった。しかしまだ目だけはしっかりしていた。大きくはないが目を動かして辺りをうかがっていた。理絵が布団を敷いて一緒にねた。俺はベッドで寝た。
八月八日土曜日、早朝、ロイの鼓動が速いので驚く。目は開いている。意識はもうろうとしているようだったが、まだ反応はしっかりしていた。移動が負担になるかとも思ったが、五分ほどの距離の神楽坂の先生の所へ連れて行き、輸液に痛み止め。すこしでも最後を楽に過ごせるように。
ゆきが見舞いに駆けつけてくれる。
理絵と俺の二人で夜を徹して、瞬きもせず目も閉じないロイに語りかけつづける。鼓動は速く、呼吸も速くかすかだったけれど、ちゃんと声は聞こえていたんじゃないかとおもう。穏やかであった。まぶたをおろしてやっても、閉じたくないのか閉じられないのか、ずっと目が開いたままなので、生理食塩水のような目薬で時々潤してやる必要があった。ゴムのブラシでマッサージもしてやった。少しグルグルいったようなきがした。たぶんした。深夜突然吐いた。ニュートリスタットと、流動食。ニュートリスタットは七日の朝から食べていないので、全く体が食べ物を受け入れていなかったのだろう。消化し切れていなかった。
ただただロイの体力が尽きるのをみまもるのはつらかった。全てのエネルギーを心臓の鼓動と呼吸に使っていた。もうロイの体は食べてエネルギーを作ることは出来ないのだからじきに息をしなくなるのだろうなと思って怖くなった。
八月九日日曜日。
朝四時、理絵に1時間の仮眠をとらせる。彼女はねている間もずっとロイの左手を握っていた。鼓動は通常のスピードに落ち着いたようだった。しかし息はそれまでになくかすかになった。
五時十五分くらいに理絵を起こしてから、たぶん五分ほどたって、またロイが苦しそうに吐いた。二人でロイに声をかけて励ます。左足が少し痙攣する。踏ん張ったようなキュウウという声を幾度か出す。名前を呼ぶとそう泣くので、返事をしていたのかもしれない。突然ありったけの力で理絵の右手を両手でぎゅっと抱え込む。腹を見ると心臓の鼓動がほとんどとまりそうにまばらに不規則になっているのがわかった。また会おうと二人で声をかけているときにロイは全身にグッと力を入れて、死んだ。まるでわけがわからないが、そのとき過去現在未来をとおしてこの世界に三人だけしかいないみたいだった。
毛並みを整えてやって、保冷剤をしいた上に寝かしてやった。死後硬直が来る前に、手足を整えてやり、目と口を閉じてやらなければいけない。まぶたはやはりなかなか閉じなかった。半跏思惟像程度にあいたままである。
少し寝たあと、神楽坂へ出て、花と線香、予備の保冷剤を購入。先生に顛末を報告し哲学堂の動物霊園を紹介してもらう。
出来合いの高価な棺桶も、葬儀屋で貸してくれるという使い回しの籠もいやだったので、ダンボール箱を包装紙と布で化粧してお手製の棺桶を作る。
お通夜なので、俺はビールを飲む。酔わないがビールを飲んだ。その日、何を食べたかは忘れた。パスタだったか。そうだ、たらこパスタだった。
ロイを真ん中にして、久しぶりに川の字に寝る。
八月十日月曜日、ゆきと滝沢が来てくれる。入棺をして、タクシーで哲学堂へ。道中、突然の土砂降り。
哲学堂では丁寧に進行していただく。遺体の前に香炉をはさんで立つと、なんだか間に余計な理屈が挟み込まれてしまったようで、よそよそしく感じられたのがふさわしくなくておかしいので、棺の横に立った。
滝沢とゆきがいてくれて良かった。一点の曇りもない葬儀になった。
ロイは骨になってしまった。大きな頭蓋骨だった。
帰り際、ロイのように真っ黒な猫が、後ろをついてきた。写真を撮ろうとしたら逃げた。
確か1992年の冬のある日、明け方どこかで遊んだ帰りにうちの奥さんの住む高円寺のアパートへ行くと、寝ている彼女の肩の辺りに小さな黒い固まりがあった。それがロイだった。彼女は、浅草で拾われた黒猫を譲り受けたといった。目が大きいやつだな、とおもった。