2009年8月アーカイブ

土曜。掃除洗濯などをした覚えがあるが、何となくぼんやりとした記憶しかない。
日曜日、30日の選挙の日にはリゾートできゃーきゃー言っている予定なので、不在者投票に行く。そのあと神楽坂を散歩する、というか紙やら飯の材料やらの買い出し。

池谷さんという学者と糸井しげさとの「海馬」という本を流し読む。糸井には永ちゃんとの「成り上がり」もあるけど、受け手になることが上手な人である。べらんめえ調で正論を吐く成功者も、同じ人の子とは思えないようなずば抜けた頭脳の持ち主と彼の研究成果も確かに魅力的ではあるが、やっぱりその発言を魅力にかえるのは受け手の側なんだな。素直な糸井がかっこよくあたまがよく見える。

夜はスカイクロラとかいう攻殻機動隊の監督のアニメをテレビでやっていたんで見る。攻殻機動隊もそうだったけど、あの安っぽいCG、なんで使うんだろ。それに、また、切実な感じがしない。たぶん、この監督にだって切実な問題はいくつもあるだろうし、キワキワの人生を一所懸命に生きているはずであるが、その一所懸命さとは関係ないところでやっている感じがするのはなんでだろう。たぶん、「かっこいい」という事を、「かっこつける」事と、勘違いしているんじゃないか。かっこつけやがって・・・・と思っちゃうのかな。どういう人物かは知らないが、あまりかっこいい人ではないのかもしれない。もし、とても自然にかっこいい方であったら、ごめんなさい。

早川義男のアルバムにそんなのあったな。高円寺すんでるとき、秋の頃、よくきいた。世間ではアンビエントとかがはやっていたのにw

徘徊

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iPhoneにNikeの万歩計と連係する機能がついていたので、どんなもんかと思いNike+とかいうチップを付けてうちと仕事場を往復する。片道40分4キロちょっと、消費カロリーは往復500kcalとでた。80分歩いてそんなもんか。カップ麺一杯食ったら500kcalなんてすぐだわな。でも、まあ、少しは運動になる。

先日人間ドックを受けたとき、問診票に日頃運動はしていますかとの質問があったので、「全くしていない」におもいっきり丸をかいた。それがちょっと気になっていたので、歩くくらいの運動はしないと、経過観察C判定が来年にはD、再来年にはEになり、病院送りになるのではないか、と不安になったからである。

子供の頃から、自ら進んで体を動かすことが好きなタイプではないのだが、何の因果か身体表現の世界に身を投じたおかげで運動不足になることは避けてこられたのだけれど、ここ数年来これも何の因果かそれとも生来の性格によるものか、自らが舞台に立つことが虫ずが走るほどに耐えられなくなって以来、とんと運動とは縁がなくなってしまった。そもそもスポーツをするという概念をもたない。本当は気分良くダンスでもやってられたらよかったんだが。

しかし、俺ももう四十である。かねがね仕事においては体力が一番重要であると感じ、この体力のなさが自分の仕事のクオリティーに直結していると感じてきたのであるけれど、最近ひしひしと感じるこの体力の減衰はますます仕事のクオリティー低下を招くだけではないか。

これはまずい、ということで何か解決の糸口を探していたのである。
そこで、iPhoneで太宰治の小説の朗読を聴きながら徘徊という気楽なスポーツを見つけた。朗読のネタが尽きるまでやってみようとおもう・・・なんかじじい趣味だなw


きのう、ケネスにとりあえずパフォーマンス環境についての大風呂敷的なアイデアをやっとおくる。さっきメールボックスに早速やたら長いフィードバックが入っていたのを認めたが、まだ目を通していない。ちょっと怖いのもあるが、やる気がわかない。モチベーションの低下である。
さっき見たテレビで、世界で一番速く走るボルトは、走るモチベーションはなんですかときかれて、伝説になることだといっていた。好きこそものの上手なれ。走ることは好きなのだろうか?うまくできるから好きになるのか。
俺に関して言えば、あきらかに今あまりうまくできないから、好きじゃなくなってモチベーションが低下して、またあまりうまくできなくなって・・・という悪循環なんだろう。どっちにしろ、これしかないんだから、うまくできるようになるまで我慢してやり続けるしかないんだわな。

まあ、とにかく、ランカウイ島にでもいってビールのみながらかんがえることにする。

今年の夏は気候がおかしいというのをきいて、そういえばなんだか涼しいような気もするし、暑いような気もするし、お盆過ぎたらこんな涼しくなるのだったかと、変な気持ちもするし。
夜なんか涼しい風がびゅーびゅー窓から入って、ふろあがりなんかに窓際に全裸で立って「ひえーっ」とか思わずつぶやく。
で、仕事が手につかないのでyoutubeで稲川純二のこわい話なんかきいて、アイスなんか食っている。
本当は、時間がない。

たぶん、喪失感っていうんだろうが、まあそういう心の状態で、妻もことあるごとに死んだ猫の話をするし、困ったものだ。ロイにあったその日からたぶんこのいわゆるペットロスの状態をずっとおそれてきた。まあそういう状態になってみればそれはそれでそういうことなんだと納得するだけなんだが、まあ俺の関わる全世界はそんなことにはなんにも感心なく、ただただ地球は想像もつかないようなばか力で回り続けているので、いやあうちの猫が死んでしまって手に力が入らないんです世なんていちいち全世界の人に説明して同情してもらってまわるのも出来ないので、ふつうの態度で生活をする。

六本木ヒルズの上で撮った夕日。このあとすぐに降りてしまった。もう少しいれば日の入りを見ることが出来たことに今思い至った。高いところが苦手なので微妙にテンパっていたのかもしれない。今度またいってみよう。
真ん中のバラは、ロイが死んだ朝にさいたものである。葬儀の日の朝、綺麗に開いたので、とった。

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十七年まえ、うちの奥さんと生活するようになってすぐにロイが加わって、それからずっと三人だったので、二人だけの生活の感じが、すこしおもしろい。
このところずっと緊迫していたので、お盆休みで静かになった東京で、遺品や写真の整理をしながら部屋の掃除をしてゆっくりとした時間をすごした。

ロイが何歳になるまでだったか、高円寺に住んでいるころ、やつは深夜に出かけては明け方帰ってくるという生活をしていた。けんかして左手の親指をなくして帰ってきたこともあったし、片方の牙を折って帰ってきたこともあった。二週間ほど行方不明になり、探すのにも疲れてあきらめかけていた頃、突然ガリガリにやせて鼻の頭に大きな傷を作って明け方五時頃に帰ってきて、網戸をガリガリこすって起こされたこともあった。常に傷が絶えず、ノミだらけだった。昼間飼い主にノミを捕ってもらい、えさで腹を一杯にして昼寝して、夜はけんかに出かけていくというやくざ稼業。高円寺から越したのを機に、外へ出すのをやめた。
その頃、やつが深夜どこをほっつき歩いていたのか・・・それだけがあいつの生涯のなかで謎の部分である。
ということで、その足跡を少しでもたどることが出来ればと、うちの奥さんと久しぶりに高円寺にでかける。
以前住んでいたアパートのあるブロックを、ロイの気持ちになって注意深くぐるっと回ってみた。なるほど、たのしかったんだな。家猫になってだらーっとソファーに寝ているとき、やつは高円寺での冒険の日々を夢に見ていたんだろうか。
ところで、高円寺は、やっぱすごいところだった。着地できるポイントがおおい。そして常に低空飛行。安心する。今度阿波踊りのときにまたいってみようか。

きのうはいただいた招待券があったので、アイウェイウェイ展へ再び。初めてヒルズの上のスカイビューへ登る。

さて、結局、さらに二週間ほど、すべきことを先送りにしてしまったので、あしたからやるわ。

八月七日金曜日、朝に小さじ三杯弱のニュートリスタットと、少量の流動食(ロイヤルカナンのカロリーメイトみたいなやつ)に水。押し入れにしつらえてやった穴蔵のような寝室の前に立たせてやると、よたよた二三歩あるいたあと崩れるように座り込む。もう自分から立つちからはなくなっていた。これは目を離してはいけないと感じ、仕事場へ行くのをやめる。この日三度ほど、引っ張り出して水をやる。朝を最後にかたくなにニュートリスタットを口にしなくなった。流動食を少量ずつ与えるが、もう口をぺちゃぺちゃ言わせることはなく、数滴にいっぺん、のどをごくりとさせるだけだ。
夜、もう手足に力が入らなくなった。しかしまだ目だけはしっかりしていた。大きくはないが目を動かして辺りをうかがっていた。理絵が布団を敷いて一緒にねた。俺はベッドで寝た。

八月八日土曜日、早朝、ロイの鼓動が速いので驚く。目は開いている。意識はもうろうとしているようだったが、まだ反応はしっかりしていた。移動が負担になるかとも思ったが、五分ほどの距離の神楽坂の先生の所へ連れて行き、輸液に痛み止め。すこしでも最後を楽に過ごせるように。
ゆきが見舞いに駆けつけてくれる。
理絵と俺の二人で夜を徹して、瞬きもせず目も閉じないロイに語りかけつづける。鼓動は速く、呼吸も速くかすかだったけれど、ちゃんと声は聞こえていたんじゃないかとおもう。穏やかであった。まぶたをおろしてやっても、閉じたくないのか閉じられないのか、ずっと目が開いたままなので、生理食塩水のような目薬で時々潤してやる必要があった。ゴムのブラシでマッサージもしてやった。少しグルグルいったようなきがした。たぶんした。深夜突然吐いた。ニュートリスタットと、流動食。ニュートリスタットは七日の朝から食べていないので、全く体が食べ物を受け入れていなかったのだろう。消化し切れていなかった。
ただただロイの体力が尽きるのをみまもるのはつらかった。全てのエネルギーを心臓の鼓動と呼吸に使っていた。もうロイの体は食べてエネルギーを作ることは出来ないのだからじきに息をしなくなるのだろうなと思って怖くなった。

八月九日日曜日。
朝四時、理絵に1時間の仮眠をとらせる。彼女はねている間もずっとロイの左手を握っていた。鼓動は通常のスピードに落ち着いたようだった。しかし息はそれまでになくかすかになった。
五時十五分くらいに理絵を起こしてから、たぶん五分ほどたって、またロイが苦しそうに吐いた。二人でロイに声をかけて励ます。左足が少し痙攣する。踏ん張ったようなキュウウという声を幾度か出す。名前を呼ぶとそう泣くので、返事をしていたのかもしれない。突然ありったけの力で理絵の右手を両手でぎゅっと抱え込む。腹を見ると心臓の鼓動がほとんどとまりそうにまばらに不規則になっているのがわかった。また会おうと二人で声をかけているときにロイは全身にグッと力を入れて、死んだ。まるでわけがわからないが、そのとき過去現在未来をとおしてこの世界に三人だけしかいないみたいだった。

毛並みを整えてやって、保冷剤をしいた上に寝かしてやった。死後硬直が来る前に、手足を整えてやり、目と口を閉じてやらなければいけない。まぶたはやはりなかなか閉じなかった。半跏思惟像程度にあいたままである。
少し寝たあと、神楽坂へ出て、花と線香、予備の保冷剤を購入。先生に顛末を報告し哲学堂の動物霊園を紹介してもらう。
出来合いの高価な棺桶も、葬儀屋で貸してくれるという使い回しの籠もいやだったので、ダンボール箱を包装紙と布で化粧してお手製の棺桶を作る。
お通夜なので、俺はビールを飲む。酔わないがビールを飲んだ。その日、何を食べたかは忘れた。パスタだったか。そうだ、たらこパスタだった。
ロイを真ん中にして、久しぶりに川の字に寝る。

八月十日月曜日、ゆきと滝沢が来てくれる。入棺をして、タクシーで哲学堂へ。道中、突然の土砂降り。
哲学堂では丁寧に進行していただく。遺体の前に香炉をはさんで立つと、なんだか間に余計な理屈が挟み込まれてしまったようで、よそよそしく感じられたのがふさわしくなくておかしいので、棺の横に立った。
滝沢とゆきがいてくれて良かった。一点の曇りもない葬儀になった。
ロイは骨になってしまった。大きな頭蓋骨だった。
帰り際、ロイのように真っ黒な猫が、後ろをついてきた。写真を撮ろうとしたら逃げた。


確か1992年の冬のある日、明け方どこかで遊んだ帰りにうちの奥さんの住む高円寺のアパートへ行くと、寝ている彼女の肩の辺りに小さな黒い固まりがあった。それがロイだった。彼女は、浅草で拾われた黒猫を譲り受けたといった。目が大きいやつだな、とおもった。

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ロイの右後ろ足は麻痺してほとんど動かないのだけれど、たまに、がんばって歩く。少しでも血の巡りを良くしてやろうと、マッサージと屈伸運動。もうはっきりとしたグルグルも出来なくなったけれど、全ての体重を預けて少し楽そうなようすをみせる。
水を自分で飲んでいる姿も見なくなった。昨日は朝起きたら寝小便で腹がびっしょりぬれていた。

でも、目は確かである。ぼんやりかもしれないが、視力はある。ちゃんと目で語ることが出来ている。元気だった頃にくらべて、見つめてもあまり目をそらすことのなくなった猫とじっと見つめ合っていると、なんだか自分と猫の境目がなくなって、ありったけの力で強く抱きしめたくなる。そのまま強く抱きしめると抱いた自分の胸にロイがふわっと埋まっていってしまうのではないかというような錯覚を起こす。

頭の半分では、もうあと少し、つらいのもあと数日じゃないか・・・とおもいながらも、あとの半分、いや七分くらいでは、普通の生活が出来るところまで回復して、腎臓ケアの療法食なんかをまずいまずいと言いながらもばりばり食べて、子供みたいに走り回らなくとも好きなネズミやプロペラをちらつかせればパンチをするくらいになったロイと一緒のいつもの生活のイメージを持ち続けているのである。

ロイが今唯一食べられるニュートリスタットというチューブ入りの栄養剤を朝ご飯にスプーン三杯、もうちょっと食べようかもうちょっとなめようかと励ましながら食べさせている途中、一緒に生きること、それが生きる意味のだいたいの答えだと感じたのが不思議であった。

きのうは、NHKで1983年のYMOがでた回のYOUを再放送していた。月曜は矢沢の三十年前のインタビュー、で、今夜はRCのライブらしい。ETV、やるな。じじいホイホイだ。
じじいといえば、おとといの深夜にビートたけしがやった絶対見ちゃいけないTVというのも、じじいホイホイであった。あまりにくだらなくて、死ぬかと思った。もっとやれ。

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八月になった。ロイはもうすっかり自分で飲もうともとも食おうともしない。一日中ほぼ寝たきりである。しかし目はしっかりしているし、ふらふらは日々ひどくなるがたまに自力で立ってベランダの隅に向かったりだとかベッドの後ろへ隠れたりだとか押し入れの奥で寝たいだとかちゃんと意志を持って行動している。
ニュートリスタットというチューブに入った栄養剤とロイヤルカナンの流動食を小分けに無理矢理食わせている。それだけがロイの食べ物になってしまった。あのカリカリという音もぴちゃぴちゃという音ももうきくことはないのかと思うと、行き場を失ったような心持ちがする。
決して自分から流動食を飲もうとせず口角から垂れ流したままにして、ぴちゃぴちゃと舌なめずりさえもボイコットしたロイは、もう食べるのをやめてこのまま逝こうかと思ってるのだよ、というようにじっとこちらの目を見つめる。あまり猫は目を長くあわせたがらないものだが、元気だった頃に比べると長くじっと目を見るようになった。もう視力も落ちているからかもしれないが、何か言いたいことがあるようにもおもえる。言葉で伝えあえないのが悲しい。
衰弱して寝たきりになって朦朧としても、のたうち回るような激しい痛みのなかでも、だれかがそばにいてだれかに心底愛されているという感覚が最後まで少しでも感じられるのであれば、それは生きていくに十分の喜びと希望である。単純なことだけれど今さら悟った。

そんなこんなで介護の日々はつづいてもう八月も二日過ぎた。明日は人間ドックであるから、今夜は八時までに夕食をすませなければならない。何を食おうか。
今日はそれまでやるべき事をやる。やるやるといっていながらやっていないことをやる。なぜやっていないかといえば、気が重いのでつい後回しにしてしまうだけでなく、出来ないのである。たぶん能力的に。

今まで何度も忘れ何度も思い出してきたことであるが、俺は人より物を理解するのに時間がかかるたちの人間なのである。その代わり、理解するときは自分なりに満足できる程度までしっかり理解するところへ落ち着く。それが間違っていようが正しかろうが、とにかく、落ち着き、納得する。納得したあとの休みとビールは何物にも代え難い。ところが、それまでに道のりが非常にきつい。まるで進捗が見られない状態が何日も何週間も何ヶ月も続いたりする。でも、ちゃんと時間はかけなければいけない。なかなか集中できなくとも雑念が入ろうともただただぼーっと過ごそうとも、帳面とにらめっこする時間を確保すること。その時間は必要な時間なのであるから我慢するしかないだろう、と思うようにしている。
たまにそれを忘れ、ただただ自分が世界で一番間抜け(実際層なのかもしれないが)にかんじられて、周囲に八つ当たりする。
締め切りまで日がないときはなおさらつらい。九月のデリー公演は大丈夫なのか。
もっと効率の良い頭に生まれていれば良かったものだ。

iPhoneのイヤホンが買ってから二週間ほどで断線したので交換してもらった。ところが新しく届いたイヤホンにはボリュームコントロールが付いていなかった。たぶん1世代前のモデルなのだろう。まあ、仕方ないか・・・と思っていたら連絡があり、間違って送ってしまったので再度交換させてくれという。先方が間違ったのだからそれは当然だと思うが、多少すまない気持ちもする。

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