毎年同じことに同じ時期に驚いてそろそろ驚くのをやめたらどうかと思うんだが、本当に驚くのはもう今年もあと二ヶ月半ほどで終わりになることである。さっきまで正月だったのに。
十日間ほど書いてなかったので、その間のことは細かく覚えていないがイベントだけメモ。
思い出すのがめんどくさいので、さかのぼっていく。
昨日、脇坂の参加する日韓グループ展の作家さん達の韓国からの作家さんがいない日韓交流会(たぶん)というのがあって、消防署の前のフレンチダイニングっていう飯屋さんで食事。ファイバーアートのコミュニティーは、女性の方々が多くてわいわいと楽しそうである。あ、ダンスもそうか。性別がわからん方も多いが。
日曜日は、柴崎師匠の気功イベントのお手伝い。朝が早かったのできつかったが、何とか眠らずに乗り切る。突っ込みどころ満載の奇矯なイベントではあったが、珍奇な体験をさせていただいた。信じる者は救われるというが、俺も少し信じれば元気になったんだろうか。参加者の皆さん、終了後晴れ晴れとした顔で帰って行った。
思わぬところで懐かしいダンサーの二人に再会。八年ぶりくらい。
土曜日、石山の公演を見に川崎へ。川崎っつうとどのくらいかかるかわからないし、途中で犬にかまれたり熊に襲われたり狸に化かされたりすると遅刻してしまう、と思ったので早めにうちを出る。おかげではじめに客席に入ることになり、ものすごい石山ファンの方一番乗りで入場、みたいなかたちになってしまった。
周辺の人たちからの前評判がよかったので、ちょっと期待半分不安半分、ものすごくおもしろかったらどうしよういやそれはくやしい、という気持ちと、ものすごくはずされたらどうしよういやそれは元同志として怖い・・・などなどといろいろ複雑な気分を抱えながら見たのである。
樋口君のポップな映像や熊地君の音と松橋さんのデザインコンセプトに綺麗にパッケージされて先鋭的な意匠をまとってはいるけれど、振付やダンスや構成手法は結構ウェットなモダンダンス的な正統の「表現」につらぬかれていた。なるほどそういう作り方を前面に出していきたいのか、と納得。彼のいう「王道」というのは、たぶんそこにあるのだろう。もう石山の活動は俺の関わることではないので異論はない。が、それにしては何を表現しているのかわかりにくい「表現」であったと思う。振付のキレは、前作の方がよかった。
この作品に関しては、すっごい作品ではなかったので少し安心したところもある。作家としてのシグニチャーを確立した彼に嫉妬心も覚える。しかし、あいつが向いている方向があっちの方でよかった、という安心感もある。
樋口君はパフォーマンス作品での映像の使い方みたいなのを研究しているようで末恐ろしい。こんど俺にもなんか作ってもらおう。
金曜日、ってんなん日?9日?月曜から金曜までは記憶がない。確か柴崎師匠に発注されたいままで作ったことのない種類の音楽をつくったり作れなかったりしていたのだろう。もちろん、昼間はHTMLとCSSイジリなどもやりつつなので深夜作業になるのだが、秋の夜長は眠くてたまらん。
考えてみると、本来ならば韓国へ行っていたはずの週なのであった。
悔しいので焼き肉くらい食って気持ちを落ち着けたいところです。


It costs one no little energy even to acknowledge the possibility of a Catholic's credulity: to share in his rapture and dedication continues to be further from your power, and I should get from this church no other feelings but most of those of shame and pain.