その2でいきなり帰国。
ネットにつなげなかったことと、何かいていいかわからないほどだったので。
帰国後に公演日からの出来事を簡単にメモ。
12月05日
徹夜仕込みのあと、九時頃ホテルへ戻り、仮眠。二時に劇場へ戻り、ランスルー。七時から公演。成功。
ホテルで夕食(ホテルがスポンサーのダンスフェスティバルなのでフェスティバル参加者は無料である)、そのあとラウンジでビール。オランダとかアメリカとかドイツのグループもいてちょっと交流。ラウンジでは田舎ブランドのメンズファッションショーというのをやっていて地方テレビクルーや記者が押し寄せていてドラッグクイーンとかモデルとかなにやら俺は知らんがどうやら有名人達がバシャバシャ写真を撮られている。アヌーシャとマンディープは登場してきた男性モデルを指さして笑っていた。
12月06日
あさ八時頃起きてホテルに荷物を預け、みんなでポンディチェリーへ。バスで三時間。海の近くのホテルにチェックイン。ビーチがあるのかと思ったら岩だらけだった。
夜、演出家で作家で学者でなにやらすんごい才女であるらしいヴィーナパニ・チョウラ女史のコミューンをたずねてオーロヴィルへ。オーロヴィルっていうのはちょっとかわったところで、いかにもそういう雰囲気です。まあ興味深い社会実験というか。まあ、とにかく興味深いです。俺はごめんだが。
ポンディチェリーに帰ってまずい飯を食ったあと、岩場に寝っ転がる。夜は遅くまでビールを飲みながらマンディープによる「目を閉じてクイズ」につきあう。
12月07日
夕方チェンナイに戻り、カラクシェトラという歌舞音曲のとても権威ある学校へ、学長のリーラ・サムソンに会いに行く。アヌーシャの先生で、バラタナティヤムのDVDで解説をしてもらった先生。キャンパス?を散歩しながらいろいろ見せてもらう。チェンナイ空港へ。で、デリーのシビルラインズ。夜遅かったのでビール一本飲んでねる。
12月08日
遅くまでねる。12時半頃まで。
翌日からどこへ行こうか悩む。タージマハルと何とかフォートっつうシャージャハーンが建ててちょっとしかいないで引っ越したとかいうまぼろしの首都がきれいだというので、そっち行こうかなと思っていたら、あれ、バラナシいけるんじゃないのか?と頭をよぎり、ネットで夜行のトレインチケットを予約。ご存じのように旅するつもりなくてきてるのでガイドブックなんか持っていなかったのでアフタブのロンリープラネットを借りる。
夜、韓国のカンパニーの公演があるから見にいかないかと誘われていたのでアリアンスフランセーズへいくも、開演が三十分ほどおくれ、このままでは汽車に乗り遅れると判断し、結局観ずにリキシャで駅へ。
夜行寝台はクソ寒くて死ぬかと思った。
12月09日
早朝バラナシ着。いやなかんじ。俺は全然スピリチュアルな人ではないけれど、周りの人々を見渡してなんかちょっとおかしい感じがした。それは若いとき、少し葬儀屋のバイトをしていたことがあるからかもしれない。ハイで同時にドローンとした死の感じ。
チャリンコリキシャの年寄りがちょっとかわいそうに思えてくるが、がんばってもらってロンリープラネットで調べておいたホテルへ。その目の前にもうちょっと安いホテルがあるからそれみて気に入らなかったらそっちにすればとおっちゃんに言われるままそのゲストハウスを観る。予算二千くらいのつもりできたので、五百ルピーってちょっと安すぎだろ・・・と思ったけれど、シャワーも暖かかったしここの相場はそんなもんなのかな・・と思い決める。
失敗。そこの兄ちゃんが調子のいいやつで、バラナシ巡り三時間ツアーをガイドするからどうだとしつこい。俺お寺とか興味ないからいいと断っていたのに、こういうのは信用が大事だとか何とかいかがわしい口調でべらべらべらべら・・・結局そのべらべらになんか根負けしてw、朝早いしさくっと主要なところまわってガートに戻って来ればいいかなと思っってしまい、やつに任せることに。
バラナシの近くの仏教の聖地までまわれたことはまわれたが、渋滞に巻き込まれるは、四時間以上かかるわ、挙げ句の果てにツアー代九百ルピーだとか言い始めた。こいつはもう信用しないことにきめる。
遅い昼飯をメインガートのちかくの比較的こぎれいななんとかっつう飯屋でくい、ガートの辺りを散歩。
すごいところなので詳細は省略。書くと長くなる。
六時頃から毎日やっているという盛大な儀式をながめる。
夕飯とビールを求めてオールドシティーをぶらぶらする。ぶらぶらというにはすごい距離を歩いたと思う。何せ二時間以上歩き続けた。三時間?
町中結婚式のパレードだらけである。サウンドシステムのせて爆音でトランスを流しながら走るトラックのあとを、気の狂ったように踊る子供達がついて行く。白馬に牽かれた馬車に派手に着飾った男女が座り、電飾を頭に乗っけた行列が黙々と行進する。街の至る所でである。ちょうどシヴァのお祭りの日で、違うカーストの男女が結婚することが許される云々というのを、しつこくよってくる日本語をしゃべるキャッチセールスのにいちゃんの一人から聞いた。火葬場にお祈りに結婚式に・・・街は悪魔的な狂騒状態である。
やっと見つけたバーっつうか、バーか?とにかくダークな店でキングフィッシャービール二本とタンドーリチキンハーフで夕食を済ませホテルに戻る。調子よく酔っぱらって道に迷う。また一時間くらいあるいてホテルへ。十二時頃か?
12月10日
朝5時半起き。日の出を観るため。例の宿の兄ちゃんは俺に任せればたった六百ルピーで日の出見物のボートに乗れるから任せろといっていたが、信じないことに決めたのでとりあえずメインガートへいって交渉してみることに。
果たして値切った結果、一人乗りボートが一時間三百ルピーだった。高いのか安いのかわからない。
よく聞くように、流れてる人や犬の死体はみなかった。まあ、生焼けの足とか手とかボンボン投げ入れてたからそういうのみることもあるんだろう。死体やいてるすぐ横でホテルのシーツ洗濯しててそのすぐ横で沐浴のオヤジががんがん聖水飲んでる。
十時にホテルをチェックアウトしてガートにたたずむ。朝起きたときから、一刻も早くこんな所抜け出したいと思っていた。
やることがない。また街をぶらぶらする。チケットがウェイティングリストには行っているまだ確約された物でなかったため、早めに駅に行って聞いてみることにする。結局古いのはキャンセルして確約された新しいのを外国人ツーリストオフィスで発行してもらった。外国人用ツーリストオフィスなんて初めて知った。
駅で、ドアが開くのをじっと待って座っている犬みたいに、iPhoneで音楽ききながら二時間ほどたたずむ。
ガイジンはガイジンで近くの席にまとめられるようである。係がやってきて、ガイジンツーリストに向けての注意書きみたいな回覧板にサインさせられた。
帰りもクソ寒かった。死ぬかと思った。気温五度くらいすきま風ビュービュー十二時間である。ほとんど手ぶらで来てしまったので、毛布や寝袋担いだバックパッカー達がうらやましかった。
しかーし、もっとなんとかできると思う。とにかくいろんな物が不便だし考えられていないし・・・インド社会にはデザインという概念がないとおもう。装飾があるかないか、それだけ。物を使う状況や環境や人に思いを巡らせて作ったとは思えない物であふれかえっておる。
12月11日
早朝八時デリー着。リキシャつかまえてシビルラインへ。まだ誰も起きていなかったので使用人に挨拶して入れてもらい、シャワー。死の世界から生き返った感覚。だらだらすることにする。
荷物まとめたりネットみたり昼飯食ったりしていたら、いつの間にか出発の時間。
デリー空港は至る所にフリーワイファイがあると知らせる看板があるんだが、なぜかつながりません。
帰国便はずっと寝続け。周り日本人だらけである。インド人にデザインはないが、日本人は顔がでかい。たぶん、寒いところから来たモンゴロイドの我々は皮下が肉厚だからだと思う。