帰国したのは一月三十日夜八時頃である。帰宅は九時半頃。
一月二十二日からバンガロール日記を書いていなかったので、約十日ほどの空白が出来てしまった。
ここで無理にでも思い出しておかないと、この十日の記憶は確実になくなる。それは経験上よく分かっていることであるが、みごとに非常に無念なくらいになくなる。
しかし、無理に思い出すのはとても疲れる。無理は良くない。
思いつく順に事実だけを記録する。
帰国したのは・・・さっき書いた。
シャンティナガルにあるゲストハウスからトーマスとイムレに見送られ十一時に来ると言っていたのに十一時半頃に来たタクシーにのり空港まで。何となく記憶はあるが、道中一時間ほどほぼ寝ていたようなきがする。疲れ切っていた。
バンガロール空港を出発したのは、二十九日二十七時、つまり三十日の午前三時のキャセイパシフィックである。
二十九日は午前中にブリゲードロードまで歩き、スーパーやリーバイスで買い物をし、十二時半にアヌーシャとマンディープと待ち合わせたコシーズへ行き、二人にすっぽかされたおれとクリス二人で飯を食い、ビールを二本ほど開けた。いい感じに酔う。そのあとアリアンスフランセーズでDVDに関する打ち合わせ。アヌーシャとマンディープは重要な打ち合わせが長引いて来られなかったのだという。携帯にメールをくれていたが気がつくのが遅かった。
ところでなんで彼らがバンガロールにいるかというと、まあ、リサーチと打ち合わせでフェスティバルに来ていたわけである。俺も彼らも、オープニングイベントで思わず再会したときはびっくりした。
で、アリアンスでヤングコレオグラファーズなんとかというどうにもならないショーケースをみて、アタカラリへ。
ヘマのリハーサルにつきあう。映像送出のプログラムを作ったので、それのアジャスト。彼女も短い作品のショーケースに出るらしく、その晩はイギリスから来た若い振付家のリハもあってそれもみる。
いい加減荷造りの時間も飯の時間もなくなりそうだったので、ゲストハウスへ。飯の時間はなかった。インスタント麺が余っていたので、それを食う。
最後の日をこんなに詳しく書いてしまったので、他の日も詳しく書かなくてはいけないような気がしてきたが、書かない。
オープニングパフォーマンスの日は、起きて、現場いって、いい加減なインド人の雇われスタッフに二十回ほど同じ指示を繰り返さないとまずいことがわかっているので、三十回ほど同じことを繰り返し、まあまあの結果が得られるまでにもっていき、とにかく、俺のあそこでやれることはやった。パフォーマンス全体に関してはノーコメント。クリスは八台のiPhoneを同期するシステムを用意していたんだが、テスト不足で動かず・・・インド人八人を雇うことで解決するという荒技で切り抜けていた。
そういえば、クリスの来た日、深夜十一時ごろロレンゾとゼロG前で待ち合わせた。が、イタリア人らしく堂々と十二時を越えて登場。十一時半をこえると、全ての盛り場がシャットダウンする法律に変わったらしく、タイムオーバー。次の日に繰り越して、UBシティーでみんなでチャイニーズを食う。そのあと、UBシティーのルーフトップにある、バンガロールで一番高い(金額も)クラブに行ってみた。ロレンゾの知り合いのサウンドエンジニアが音響のセッティングをしたらしく、そのチェックのためといってたぶんバカ高い入場料を払わずに顔パスでいれてもらう。(ゼロZでさえ、エントランスで1000ルピー払う)
そこは、非常に浮世離れしていた。見下ろす高級マンションの屋上にはリゾート風のプールがあってお金持ちがプールサイドでパーティーをしていたり・・・
あとは、毎日墓場をぬけて毎日地道に仕事場とゲストハウスの往復をしていました。

