一月十四日になったので、元日から数えると十四日経ったことになる。一週間が二回。一年の26分の1、ということは、このような日常を二十六回繰り返せば、来年の一月十四日になる。
簡単ではないか。
昨年の一月十四日あたりも、同じような境遇で同じように茫洋たる将来への不安を抱えながら、インドにおいて同じようなことも考えていた。
のであるけれど、三月十一日、ChineseRoom という舞台作品のノルウェイツアーから帰国した翌日に起きた巨大地震によって、三月十日まで続いていたそれまでの終わりそうにもない日常は、三月十一日からの終わりそうにもない日常にかわってしまった。
今年もまた何か大変な事が、何の因果も前触れも必然性もへったくれもなく唐突におこって、大変な騒ぎになったりしてまた騒げないほどの打撃を被ったりするんだろう。しないかもしれない。
で、いつも思いだすのは、以前、自らがガンである立花隆が末期ガンの患者の最後を取材していくというテレビの番組の最後にいっていた言葉で、正確になんて言っていたか思い出せないけど、人間は死ぬそのときまで生きることができるというような意味のことである。
正確にどういう文脈でどういう言葉で言ったかも思い出せないので(ほんとに言ったかどうか、そんな番組があったかどうかも思い出せないので)本意はわからんが、圧倒的に理不尽なひどい現実やらひどくつらいことやらひどく痛いことやら肉体的にも精神的にもやばいことに直面したときに、それをどうとらえようと、まあ、きがくるうかもしれないし自殺するかもしれないし希望を見いだすかもしれないけど、死ぬ瞬間までは生きているというかなんつうか生きる力があるということだとかんがえて、それがある種の救いであると感じました。
去年は、なんどもこのことをかんがえて、気持ちをおちつけたのだけど、今年も何度もおもいだすのかもしれない。
新年の抱負を考えた。箇条書きにまでしてみた。とてもちっぽけなことととても壮大なことが入り交じって十箇条ほどあるが、箇条書きにするなんて事は小学生の頃いらいなのではないか?
ちなみに、去年の正月にインドで考えた抱負というか目標は、できうる限りオンラインであること、という単純なものであったけれど、スカイプやソーシャルネット関連でオンラインマークだしてると、ひっきりなしにハローだのヘイだのまつおさーんだのと自宅警備中の誰にも会いたくないタイミングで連絡が来ることに耐えきれなくなり、あえなく年頭から挫折した。
しかし、この一年で大分慣れたので、いまなら大丈夫なのではないかとおもい、今年の抱負にも引き続き加えておいた。
しかし、そもそも、電話という一方的に他人の時間に割り込んでくるメディアがきらいなので、電話は相変わらずでないと思います。
しかし、去年の一月のインド、やばい。
なにがやばいって、いや、たぶん文章や写真だけでは伝わらないと思うのだが、年の初めから、死のにおいがぷんぷんする。

